まつや清の日記 マツキヨ通信

静岡市議会議員 まつや清の日常を毎日更新!

技術・経験のあるボランティをどう活かせるか

2007年07月19日 | その他
水、ガスストップの中、朝、姉からの電話で目を覚まし、姉夫婦、妹、私で片付けに入りました。ガラス、茶碗など割れ物から、倉庫の壊れた棚や散乱状態の整理など体をとにかく体を動かすことに集中、です。

 見る見るうちにきれいになり、何とか普段どおりに生活が出来そうな環境になりました。途中、トイレ、しかも大。水が無い、とりあえず、姉の所から持ってきた水40リットル、掃除に使った水をリサイクルとして活用。

 うまくいきませんでした。トイレ問題は何処でも問題になります。水があれば何とか。静岡に戻ったら水確保をまずやろうと決意。水道復旧は25日までにと対策本部は広報してくれています。ガスは当面無理そうです。


 きのうは1箇所だった自衛隊による風呂設置が今日は各避難所ごとに設置されているようです。妹は2時間待ちで行ったようですが、本当に気分が良かった、と。小池防衛大臣がきていたそうです、「困っていることは何ですか」。

 昼頃に静岡県ボランティア協会からやってきたTさんに会いました。刈羽村役所に行く途中でした。先遣隊調査が目的。柏崎市のボランティア対応について若干聞きました。市のボランティア窓口では対応していない活動があるようです。

 応急判定士判断で赤紙判定。しかし、そこに車が埋まっている、あるいは道をちょっと広げれば通れるようになる、ボランティア窓口としてはそこに外部のボランティアは危険があり配置できない。しばらくして業者にまKせるしかない、と。

 14日、15日と中越地震の時に解体・撤去などのボランティア経験を活かそうとチェーンソーなどの使い方の研修を組織していたグループがあります。彼らが16日、急遽、柏崎に入り、自主的に車引き出しなど支援活動しているとのことです。

 こうした技術・経験もあるボランティアを需要のある活動にどう窓口が配置していくか、課題です。16:00ころ、母が入所する老健施設にいきました。すぐ傍にある入浴施設によりました。地震災害の地区の利用者は無料。元気な母にまず安心。

 明日は、市内を歩き現状把握に努めたいと考えています。


18日現地報告は、前新潟市議中山均さんのHPに写真付きで紹介されています。
ナカヤマヒトシ通信
また、参院議員近藤正道さんのHPには、現地の様子や、柏崎刈羽原発の様子なども写真付きで紹介されています。
こんどう正道公式サイト 

到着するなり東京電力抗議行動に

2007年07月19日 | その他
 新潟市の虹と緑グループメンバーサポートもあり車で116号線を使って柏崎入りできました。途中、刈羽村の元村議の武本さんの自宅に寄ると16:00から東京電力に抗議に行くのでいってみる?と、いきましょう。

 武本さんの家は瓦が吹き飛んでいましたが応急判定は黄色、前の家は車を下にして倒壊。「この前の中越地震よりひどい」と被災からの完全復興がようやくと言う時、再度の被災です。「なんで新潟ばっかり、こんげんことになるんだ」。

 PR館に矢部市議会議員など地元原発反対派10名くらいに混じって話し合いに参加しました。既に、柏崎市長、県知事が安全が確認されるまで運転停止命令、敷地内の地盤に今回の地震の活断層の可能性の指摘もあり、マスコミ総出でした。

 その後、実家に地元市議に送って貰い、待っていた妹と、父が入院する小千谷総合病院に行きました。郡病院からに移ってしばらくたっていたのですが、なかなか機会がありませんでした。久しぶりに会う父は、認知症が進行していました。

 最初おかしい反応でしたが、時間が立つにつれ記憶が戻るのか話がはずみます。避難所生活で高齢者が急に動かなくなってしまう「生活不活発病」に注意が呼びかけられています。よく考えれば、父の認知症の急進行もこのことと同じです。

 病室は6人、認知症の方々の部屋のようです。朝から1日、このベッドに居たら「おかしく」なるのは当たり前、かといって24時間介護で対応できるのか、やはり、何か悲しくなる、よくあるお見舞い風景のひとコマ、です。

 母のお見舞いは明日です。結果論としては二人とも施設に居てよかったのか。家に戻りまだ片づけが終わっていない両親の部屋で眠りました。もう、この部屋に二人が戻ることは無いのか、水、ガス無、電気有の部屋で悶々とした1日でした。