まつや清の日記 マツキヨ通信

静岡市議会議員 まつや清の日常を毎日更新!

南相馬市議会議員の但野謙介さんの講演

2011年09月11日 | ニュース・関心事
「ふきのとう」主催3月11日から6ヶ月「エネルギーカフェ」は40名を越える参加者で市民文化会館で開催されました。8月8日から10日までいわき市、郡山市、南相馬市の被災地支援第4弾ツアーに参加した3人メンバー報告。

いわき市の好間保育園の有機野菜を送る運動を進めている「虹っ子」紹介に続いて但野謙介さん講演。ある意味で挑発的な問題提起でした。原発反対運動の側の「事故隠し」批判広がる中、新原発の土地購入するも建設できず。

老朽化した原発長寿命化で運転が続き今回の大惨事、新原発だったらどうなったのか、考えてしまう。但野さんは、脱原発派だが30年後に原子力に依存しない南相馬市を準備していきたい立場。しかし、震災で目前の課題に。

これまでの原発反対運動の方々だけでなく、今度の事故で今まで推進派であった人々が脱原発に変わりつつある中で多様性を認めながら原発に依存しない南相馬市を作り上げて行く道を実現できないものか、探っている、と。

家族が離れ離れになりこのような被害をこうむって「ふざけるんじゃない」という怒りは湧く、しかし、再生エネルギー法案ができて南相馬市でも太陽光発電が始まっていくが矛盾抱えるこの法で本当に突破できるのか。

一生の仕事は原子力に頼らない、他の産業で雇用が確保される南相馬市を作り上げていくこと。しかし、3万人は放射能汚染を恐れて市外。若い世代にはとにかく避難してくれ、放射能浴びてもいい世代で力仕事はやる、と。

新しい基盤が出来て、放射能汚染が低減したら街に戻ってきてくれ、それまで新しい南相馬市に役立つ知恵や技術を磨いていて欲しい。交流会では、9月議会で南相馬市の野菜を学校給食に使うべしとの請願の紹介。

但野さんは、安全でないものは「地産地消」であっても反対の立場を取る、また、除染で398平方キロメートルの市に1平方キロメートル分100億円がついているが全部で4兆円かかることはどう考えるべきか。

まず、学校や職場対策だが、福島市や郡山市の基準値以上のところが優先されている現実。本当に被災地現地の大変な課題に立ち向かおうとする昨年10月に議席を得た若干29歳の市議会議員にエールを送りたいと思います。

「死の町」「放射能をつけたぞ」発言で鉢呂経産相辞任

2011年09月11日 | ニュース・関心事
発足し所信表明も終わっていない野田内閣の経産省、鉢呂経産相が福島原発被災地訪問直後の「二つの発言」で辞任。一つは記者会見で、一つは記者とのやりとりでしかも3が11日東日本大震災から6ヶ月目のこの時期に。

いずれも軽率で被災地住民の感情を配慮できなかった発言。どうして「死の町」発言が出てきたかについては一考が必要のように思います。私自身、3月19日いわき市に入った時に「ゴーストタウン」のよう」を使いました。

佐藤和良いわき市議の表現から出ていますが、実際、3月12日の爆発と脱出する住民、福島市に引き上げたマスコミ、「ひとっこ、ひとり」いないひっそりとしたその雰囲気にこれが放射能汚染のもたらす被害かと実感。

鉢呂経産省はもともと原発に反対をしていた方です。反対運動の中で「事故が起きたらチェリュノブイリのような死の町になる」というフレーズを使っていたのではないかと推測します。私自身も使った記憶があります。

それは、ひとたび原発事故がおきれば「こんなに悲惨なことになる、だから原発をやめよう」とチェルノブイリに例えてのロジックです。しかし、チェルノブイリ「死の町」から脱出した人、汚染の中で残った人もいます。

いま、私自身は「福島原発震災の中で生き続ける福島県民、放射能汚染にさらされ続ける人たちと真正面に向かい合い、彼等の苦しみ、悲しみ、怒り、喜び、希望を共有する中で浜岡原発を止めよう」と主張しています。

この主張に対して「福島原発震災を起こさないためにまず浜岡原発と止める活動を優先すべき」との批判を受けます。私自身が福島原発被災地に4日行きました。5回目も11月16日~18日の支援ツアーが計画しています。

私は浜岡原発震災を防ぐための反対運動のリアリティを「福島原発震災被災地の中」に発見しようという気持ちがあります。「福島県で起きていることは明日の静岡県」「いわき市で起きていることは明日の静岡市」。

運動の中で浜岡原発震災へのリアリティを失っていたのではないか、という反省があるからです。鉢呂経産相が「死の町」という言葉をどのような意味において語ったしまったのか、是非とも聞いて見たいと思います。

放射能汚染の中で「苦しみ、悲しみ、怒り、歓び、希望を持とうとする」住民が念頭にしっかりあったかどうか。ただ佐藤議員からは「福島のことより静岡のことさしっかりやってくれ」と言われています。それは当然ですね。