と、どちらかというと胸をはり、きっぱりと答えた旦那。
当時彼は26才、某有名アメリカアイビーリーグ大学を出てからアッチでふらふらコッチでふらふら生きておりましたところ、
ひょんなことから三十路の子持ち蜘蛛女の巣に引っかかり……一年ほどかけてぐ~るぐるぐ~るぐる糸を巻かれてしまい、とうとう観念して、蜘蛛女の父親に会ったのでした。
父親とその妻、そして蜘蛛女の見守る中、大阪の、とある喫茶店の隅っこのテーブルに座る若者は、
「それであんた、○○○と一緒になって、ちっちゃい子二人も引き取って、ほんで幸せにできるんか?約束できるんか?」と切実に迫る父親の顔を真っすぐに見つめ、
「そんなこと約束できません!」と、高校野球の宣誓級に、右手は上げてなかったけれど、きっぱりと宣言したのでした。しかも日本語で。
あっちゃ~~~
「なにぃ?」と、自分がいったい何を聞いたのか分からなかった(というか、全く予想だにしていなかった言葉を呑み込めなかった)父親は目をむきながらももう一度、「幸せにするって約束できるんかって聞いてんねん」と苛ついた声で言い、
「いや、ボクは約束できません。でも努力はします」と再度きっぱりと答えた若者の顔を、惚けたような顔でしげしげと見つめたのでした。
今朝の新聞で、最近の若い男性に、女性の経済力をあてにする傾向が大きくなってきた、という記事を読みました。
わたしの場合に限って考えるに、生まれ育った(といっても13才までですが)家庭が共働きの自営業で、しかもどちらかというと妻の方がなにかにつけてしっかりしていたので、
男だから女だからという分け目が無く、暮らしにおいてどういうふうに仕事を分担するかも、その時に応じて一番いい形を選ぶことに抵抗がありません。
もともとピアノを弾くか教えるかして生計を立てると決めていたので、別に誰々のためにやっているのだ、という感覚もありません。
だから、別に誰かの世話になって生きていくつもりもなかったので、なにも約束してもらわなくてもよかったけれど、
あの状況において、あの答が声になってスルリと出てきたのには、さすがのわたしも仰天しました。
頭の中では、「嘘も方便って、英語でなんて言うのやろ?」と必死で考えているのだけど、わたしのお粗末な英語力では全く思いつかず……。
あれから早18年、旦那はあの時の宣言に忠実に、決して意思を曲げることなく、自分の幸せは自分で作り上げるものだと信じています。
そして、一緒に生きていくことにおいて発生するいろいろなことに対する責任は、誰かの肩にだけ重くかかるのではなく平等に。
もちろん、経済においても、わたしにも稼ぎがあることが当然のことだと考えています。
彼はかなり先を行っていた男だったのだ……今朝はそんなふうに、少しだけ、妙に感動してしまいました
。
珍しく雨模様の9/11です。
でも、わたしにはその方がありがたいです。
あの日のように、キラキラと光の粒が見えるぐらいにすっきり晴れていたりすると、胸がざわざわしてしまうからです。
もう8年も経ちました。
この国は大きな変化を遂げたけれど、今また、健康保険の改正を実現するにあたり、ものすごく大きな渦があちこちで発生しています。
約束はできないけれど努力はします。
国を司る人達がきっぱりとそう決意してくれたら、そしてそれを実行してくれたら、こつこつ働く市民はうんと報われます。
小さなグループの目指す幸せが、だんだんに波及していって、大きなグループ(それは町だったり国だったり世界だったり)の幸せにつながればいいな。
あの日から今日は、いつもより何倍も、世界の平和を考える日になりました。

当時彼は26才、某有名アメリカアイビーリーグ大学を出てからアッチでふらふらコッチでふらふら生きておりましたところ、
ひょんなことから三十路の子持ち蜘蛛女の巣に引っかかり……一年ほどかけてぐ~るぐるぐ~るぐる糸を巻かれてしまい、とうとう観念して、蜘蛛女の父親に会ったのでした。
父親とその妻、そして蜘蛛女の見守る中、大阪の、とある喫茶店の隅っこのテーブルに座る若者は、
「それであんた、○○○と一緒になって、ちっちゃい子二人も引き取って、ほんで幸せにできるんか?約束できるんか?」と切実に迫る父親の顔を真っすぐに見つめ、
「そんなこと約束できません!」と、高校野球の宣誓級に、右手は上げてなかったけれど、きっぱりと宣言したのでした。しかも日本語で。
あっちゃ~~~

「なにぃ?」と、自分がいったい何を聞いたのか分からなかった(というか、全く予想だにしていなかった言葉を呑み込めなかった)父親は目をむきながらももう一度、「幸せにするって約束できるんかって聞いてんねん」と苛ついた声で言い、
「いや、ボクは約束できません。でも努力はします」と再度きっぱりと答えた若者の顔を、惚けたような顔でしげしげと見つめたのでした。
今朝の新聞で、最近の若い男性に、女性の経済力をあてにする傾向が大きくなってきた、という記事を読みました。
わたしの場合に限って考えるに、生まれ育った(といっても13才までですが)家庭が共働きの自営業で、しかもどちらかというと妻の方がなにかにつけてしっかりしていたので、
男だから女だからという分け目が無く、暮らしにおいてどういうふうに仕事を分担するかも、その時に応じて一番いい形を選ぶことに抵抗がありません。
もともとピアノを弾くか教えるかして生計を立てると決めていたので、別に誰々のためにやっているのだ、という感覚もありません。
だから、別に誰かの世話になって生きていくつもりもなかったので、なにも約束してもらわなくてもよかったけれど、
あの状況において、あの答が声になってスルリと出てきたのには、さすがのわたしも仰天しました。
頭の中では、「嘘も方便って、英語でなんて言うのやろ?」と必死で考えているのだけど、わたしのお粗末な英語力では全く思いつかず……。
あれから早18年、旦那はあの時の宣言に忠実に、決して意思を曲げることなく、自分の幸せは自分で作り上げるものだと信じています。
そして、一緒に生きていくことにおいて発生するいろいろなことに対する責任は、誰かの肩にだけ重くかかるのではなく平等に。
もちろん、経済においても、わたしにも稼ぎがあることが当然のことだと考えています。
彼はかなり先を行っていた男だったのだ……今朝はそんなふうに、少しだけ、妙に感動してしまいました

珍しく雨模様の9/11です。
でも、わたしにはその方がありがたいです。
あの日のように、キラキラと光の粒が見えるぐらいにすっきり晴れていたりすると、胸がざわざわしてしまうからです。
もう8年も経ちました。
この国は大きな変化を遂げたけれど、今また、健康保険の改正を実現するにあたり、ものすごく大きな渦があちこちで発生しています。
約束はできないけれど努力はします。
国を司る人達がきっぱりとそう決意してくれたら、そしてそれを実行してくれたら、こつこつ働く市民はうんと報われます。
小さなグループの目指す幸せが、だんだんに波及していって、大きなグループ(それは町だったり国だったり世界だったり)の幸せにつながればいいな。
あの日から今日は、いつもより何倍も、世界の平和を考える日になりました。
