ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

熱波とともに母去りぬ

2012年07月10日 | 家族とわたし
母が連れてきた熱波が、すっかり去り、肌寒いぐらいの朝になった。
今日は10日。旦那の47才の誕生日。これで我々の間の年の差は8才に戻る。別にどうでもいいことだけど。

帰りは、うちから車で30分弱の所にある空港から旅立つので、気分はかなり楽ちん。
丸11日間の滞在中、母がリラックスできたのは多分、最後の2日間だけだったと思う。
自分が善かれと思って気遣ったり、やったりすることのほとんどが、うまく伝わらないどころか、否定されたりしたのだから。
でもまあ、旦那もわたしも、そして母も、いい年をして、自己主張をしてしまうタチなので仕方がない。
気を遣って欲しくないのも、気を遣いたいのも、その狭間でうろうろして疲れてしまうのもみな、それぞれの性質の現れなのだから。
こうやって、何度も失敗を重ねながら、少しずつうまくやっていける方法や道を探し出していくしかない。
母は、ライオン・キングの鑑賞と、超ウマの中華料理を食べた日の後、丸2日間、家でゆっくり過ごした。
よく笑い、よく食べ、よく寝た。
そして、わたしのiPadでゲームをしたり、新聞を読んだりした。
わたしが気功のクラスに行っている間に、ひとりで散歩に出かけたり、家の中で軽い運動をしたりした。

母の滞在の最後の晩、いろんなことが頭の中に思い浮かんできて、全然眠れなかった。
思いっきり目が腫れたまま朝を迎えた。

出発記念。


もういっちょ!


ボケボケのまま高速で車を走らせていると、真逆の方向に向かっていることに気がついた。
げげっ!
母にバレないよう、適当に誤摩化して、コソコソと家の方に戻る。
朝の通勤ラッシュをご丁寧にも二度やり過ごし、空港に着いたまでは良かったが、そこでまたまた問題発生。
ターミナルの駐車場が見つからない。
いつもなら、スイスイと行く道を、ぐるぐるぐるぐる同じ所を回っているのに気がついた母。
「あんた、なにやってんの……」
最後まで心配をかけた。

早めに出かけたのに、15分遅れで到着し、カウンターで手続きを済ませ、セキュリティーチェックの列の手前で別れた。
離れた母に、ありがとう、と口で伝える。
母は、腕時計を外した方がいいか?などと心配している。
X線検査がしっかり行われていて、乗客全員がバンザイをして検査を受けている。
母に、バンザイするように動作で伝える。

無事に検査を終え、荷物をまとめて、彼女はゲートの向こうに消えていった。
バイバイ、来てくれてありがとう。ごめんな。

家に戻ると、ムクゲの花が、爽やかな風に揺られて笑っていた。


今回に懲りずに、また母は来てくれるだろうか。


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のぶちゃんのひとり旅 その5

2012年07月10日 | 家族とわたし
とにかく母に、一度でもいいから、ブロードウェイのショーを観せてあげたいと思っていた。
けれども、英語の問題があるから、なんでもいい、というわけにはいかない。
なので、ライオン・キングならいいかも、と思った。
一度観て、いっぺんにファンになった、あのコスチュームの斬新さと演技の可笑しさ。

ところが、座席のチケット料金一覧表を見て仰天!
決めたのが遅かったからか、わずかしかない安めの席(それでも100ドル近い?!)は全滅。
210ドルか167ドル、もしくは134ドルの席がポツポツとしか残っていなかった。
万事休す!
しかもわたしに甲斐性が無いばかりに、このチケットの額の2人分は、母に払ってもらうことになっている。
う~む……。

母は、ライオン・キング、などと言われても、その内容がさっぱりわからず、なのでかなり躊躇していた。
当たり前だ。
わたしがもし母なら、多分断る。
それでも、どんどん悪化してきた状況を打破するためにも、このショーは大事だと思い、心苦しくも粘ってみた。
数時間、あーだこーだと言いながら、パソコンの前でもめた後、とうとう決めて、少し離れた同じ列の二階席を注文した。
あとは野となれ山となれだ。

Eチケットをプリントアウトするのに、またまた問題発生。
向こうから送られてきたEメールに、二枚のうちの一枚しか情報が入っていない。
電話で文句を言って、あと一枚の分も送ってもらった。
よっしゃ~!いざいざ~!

またまた旦那が送ってくれる。
3時間もの間、適当に時間をつぶして待っていてくれると言う。
なんという親切!
ショーの後、もし母が元気そうだったら、クィーンズ島の息子のアパートまで行ってみようと、またまた内緒で計画する。
ショーが母の心を溶かしてくれますように!


おなじみのショット。


2階席だというのに、エスカレーターでどんどんどんどん昇る。


離れて座っているわたし達に、心よく席を替わってくれた方達に感謝!
席は二階の最前列。
小柄な母にも舞台の様子が丸見えの、最高の条件だった。
ただ、このショーのウリである、客席からの登場を、丸々楽しむことはできなかったのだけど……。

そしてなんと、母は、劇の笑いどころで、周りの英語人達と一緒に「ワハハ!」と笑った。何度も。
さすが、若い頃はハリウッドオタクで、今も映画やドラマは洋物しか観ないだけのことはある。
楽しそうに鑑賞している母をチラチラと横見しながら、やっといいことができたと、ホッと胸を撫で下ろす。

主役の男前さんと一緒に写真を撮って、と母。ご機嫌である。


無事にもめることもなく、クィーンズ島の息子のアパートに寄ったまでは良かったが、やはり説明不足でウロウロする母。
けれども、こぎれいに、きちんと暮らしている孫の様子を見て、しきりに感心していた。
小1時間ほどいる間に、なんとかおもてなししようと、母が観たいだろうと思えるビデオをテレビにセットするも、
「いや、クリント・イーストウッドは嫌い」(西部劇のリメイク)
「なにこれ、こんな日本人をバカにしたん、観とないわ」(ソフィア・コッポラ監督のロスト・イン・トランスレーション)と、
見事に撃沈……。
またまた少しヤバい雰囲気になりかけたのだが……。

息子のアパートの近所にある、小さな中華料理屋に入ったところ、それが大ヒット!
堅焼きソバの海鮮野菜あんかけ、蒸し青梗菜、豚肉ともやし炒めがもう、美味いのなんのって。
みんなの気分がぐんぐん上昇していくのが目に見えるようだった。
両脇にある鏡の中に映る、無限の繰り返しに目を丸くしたり(母はたまに、なんでこんなこと知らんの?ということを知らない)、
テレビの画面の中で観た、紙製のお持ち帰りの容器を見て、針金の取手が付いているのに感心したり、
そしてこの夕焼けだ。


マンハッタン島に戻る間に、どんどん沈んでいく。


街中に入った頃には、もう燃えているようなぐらい。


バイバイ、やっと実現した、楽しかった日。


おかえり蜘蛛。
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のぶちゃんのひとり旅 その4

2012年07月10日 | 家族とわたし
母の滞在中、パソコンの前に座れなかったので、一気に写真を見い見い、日記を書いているのだが、
どうやら、一日にダウンロードできる枚数制限に到達してしまったらしく、続きは明日にしなければならないようだ。
やれやれ。
ツィッターといい、ブログといい、ろくに規約を読まないまま適当にやっているので、たまにこんな感じで、えっ?という事に出くわす。

とりあえず、マンハッタン島を船に乗って見学した夜のことを、写真が切れるまで。

この日は、旦那の友人ティムも一緒に行く予定になっていた。
けれども、母にはそのことを伝えなかった。
ティムの奥さんと娘達は今、日本に滞在していて、だから彼は、独り身の間に、旦那と小さな旅行に出かけたがっていた。
前日も、旦那と彼は海に行き、誘いに来たティムと母は会っているのだけれど、しかも彼は、日本語が旦那同様堪能なのだけど、
それでも多分、ティムも一緒だと言うと、それならわたしは行かないと言い出すに決まっていたからだ。

いつそのことを言い出そうかと思案しながら、旦那の運転でマンハッタンに。

車から降りた所に、馬に乗ったおまわりさんがやって来た。


女性だ。わたし達の方をチラリと見て、微笑んでくれた。


やっぱり気温が高くて暑いので、無理の無いようにと、波止場近くのドイツ料理の店に寄って腹ごしらえ。
そこにティムがやって来た。
母は当然、キツネに騙されたような顔をして驚いていた。
わたしはすっトボケて、メニューを読むのに熱中しているふりをしながら、白々しいウソをついた。
「あれ?わたしも知らんかったわ。旦那と約束してたんかなあ……」

そして、そこでまた一騒動。
メニューがさっぱりわからないまま、ビールとつまみ程度の軽い料理(良質のホットドッグのようなもの)が運ばれてきて、そこに、駐車場探しで苦労した旦那がやっとやって来て、
そうこうしているうちに、時間が押してきたので、ろくにきちんとした料理を食べないまま、船に乗ることになった。

7時前というのにこの日差し。夜景なんて見られるのかしらん……。


船の屋根から生える根性草。


ワイルドなボート。高速船らしい。


やっぱり船の上も暑い。真ん中の背の高いビルが、グラウンド・ゼロに建設中のワン・ワールド・トレードセンター。


工事中のてっぺん。「あそこに人が居たらもっといいのに」と、母は何度も言う。


9年前に、母と弟と3人で、グラウンド・ゼロを訪れた時、このビルの前で写真を撮った。


やっと日が暮れてきた。


自由の女神はやっぱり魅力的。


ケリーとウーヴェが住むスタテン島とマンハッタン島を往復する巨大フェリー。前に一度、間違えて乗った。無料というのがすごい!


来年完成する、グラウンド・ゼロのビル街。どんなに建て替えたって、あの日のことは忘れない。


ブルックリン橋。この橋の線の美しさには、いつも見とれてしまう。


電力会社。一気に心は日本にぶっ飛ぶ。


セメントの山。


マンハッタン橋。


砂糖工場。


夕暮れのエンパイアー・ステート・ビルディング。


ペプシコーラの工場。


夕日が当たり、宝石が散りばめられたドレスをまとっているような、シティー銀行ビル。


ハドソン河の真ん中に、こんな岩島が。ニューヨークの摩天楼は、巨大な岩盤の上に建っている。


鳥の憩いの場。


水上タクシー。


いきなり、船上の客が、同じ方向の写真を撮り出したので見てみると……、


どんどん陽が暮れて、


やっと明かりが灯った。


母が好きな寸胴なビル。


最近できた二本のとんがり。


エンタープライズにも明かりが。



船から降りてしばらく、車を取りに行ってくれた旦那を待ち、家に戻った。
船の上で、水しか飲まなかった母とわたしは、お腹がペコペコに減り、だから自然に不機嫌になる。
家に着くなり、わたしは久しぶりにパソコンの前に座り、ツィッターを読んでいると、旦那が「ちょっとちょっと」と呼びに来た。
母が、シリアルを食べようとして、けれどもどこに何があるのかよくわからなくて、すっかりパニクっている。
車の中で、「帰ったらインスタントラーメンでも食べたらええやん」と話していたのを思い出し、慌てて鍋を出した。
少し喧嘩のような言い合いをして、できたラーメンをふたつの碗に分け、黙り込んだまま食べた。
「もうわたしのことは放っといて。好きなようにするから。世話になったら余計に気を遣うことになってしんどい」
超不機嫌にそう言って、母はまた、自室にこもってしまった。

ドイツレストランからずっと、メニューをあれだけ必死で読んで、ほとんど決めていた料理を頼まなかったことを怒っていた。
ワケがわからないことだらけで、おまけに暑くて、夜景だってそれほどきれいじゃなくて、お腹がペコペコで、そしてなにより、娘がきちんと納得のいく説明をしてくれない。

母はきっと、そう思っているのだろう。
けれどもわたしも疲れた。
母の方だけ向いているわけにはいかないのだ。

ああ辛い。
どうしたらいいのかはわかっている。
昔の、いい子ちゃんの、母好みの返事ができる娘に戻ればいいのだ。
けれどもそれはもうできない。
そんなことをしたら、今度はわたしの頭がおかしくなってしまう。

大切な大切な母なのに。
せっかくの旅を、楽しい思い出でいっぱいにしてあげたいのに。
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のぶちゃんのひとり旅 その3

2012年07月10日 | 日本とわたし
旦那の提案で、近所の公園に散歩に行った。
もちろんかんかん照りで、気温は100℉近い。
けれども、木陰に入ると、とりあえず涼しい。


暑さで澱んでいる小川。


旦那と母のツーショット。


旦那はこの時撮った、母とわたしの写真を、わたし達に無断で携帯からFacebookに送った。ぐぉらぁ~!!


帰り道、母に見せたい所があると、車を走らせていると、
うわっ!


なんちゅう魅力的なイボイボな塔。


なんとも古めかしい教会だった。


敷地の周りをうろうろしていた旦那が姿を消したと思いきや、教会の世話をしているとおぼしき女性を連れて現れた。
閉まっているのをわざわざ開けてもらい、中を見学させてもらう。


うつくしい……。


一応洗礼を受けた、かつてはクリスチャンの旦那が、お祈りの仕方を母に話している。


簡素な祭壇だが、細部に美しい彫刻があり、造った人達のこだわりが伝わってくる。


窓の上も、


ひんやりとした祈りの場には、窓から差し込んでくる光も柔らかい。


後方奥には、ものすごく大きなパイプオルガンが。


生の音を想像してみる。


聖なる水。



旦那が母に見せたかったのはここ。昔ながらのダイナー。


1951年からやってま~す!


ダイナーというと、日本からこちらに遊びに来てくれた人を必ず一度は連れてって、運ばれてくるお皿の上に乗っかってくる食べ物の量に、思いっきりびっくりしてもらうのだけど、
今回母の場合は、その中でも量が少なくて、質がいいことで有名なダイナーに連れて行った。
それでも「うわ~!」とびっくりしていたので、多分、ここのような、古き良き時代のスタイルを固持している店だと、呆れて椅子からずり落ちてるかもしれない。


おまけ写真。


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のぶちゃんのひとり旅 その2

2012年07月10日 | 家族とわたし
今回の母の旅の目的は、これ、独立記念日パレード鑑賞!

オールドカー自慢のパレードの後、先頭に立ってやってきたのは、日頃お世話になっているおまわりさん。


追っかけられるとビビるスポーツカー仕様のパトカー。


バグパイプのおっちゃん達。


やたらと派手な方々。


母の大好きな消防車。


バグパイプ第二弾。


水鉄砲だぜぃ!沿道の人達は、大人も子どもも、水をかけられては大笑い。


二年前まで、わたしもこのトラックの荷台に乗って、クラリネット吹いていた。


ジャズバンドも荷台でノリノリ♪


中高生対象に、誰でもジャズミュージシャンに♪という教室がある。わたしの生徒もふたり、ここに入っている。


ホームレスの人達のための食堂で、毎日ボランティアで働いている人達。


NYCから、ゲイとレズビアンの人達も参加。


息子達も演奏していたマーチングバンド。


南米から。


なぜかボブ・マーレィの顔が……母はけっこう気味悪がっていた。


森を大切にしよう~の団体。もちろん水鉄砲隊。


かけるかける。


エルビス・プレスリーが好き過ぎて、今もこうやってエルビスになりきって行進するおじいちゃん。



そして夜。
町の花火が翌日の晩に順延になったので、隣町の花火を観に行く事に。
前に観ていた場所に行くと誰もいない。
え?
花火を打ち上げる場所が変わっていた。
そこで、どこか穴場はないものかと、山の上に行ってみると……。

こんばんは。


どんどん日が暮れていく。


同じことを考える人が続々やって来て……、
始まった!


なんと、雑木林の向こうで開く花火は、かなり上に上がった花火しか見えず、残念賞。


日本の花火を知ってる者にとっては、やや気落ちするが、それでもまあ、最後はそれなりに派手にやってくれた。



まあまあ、無事に済んだ独立記念日。
それにしても暑い……。
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のぶちゃんのひとり旅 その1

2012年07月10日 | 家族とわたし
母が、今朝11時の便で、日本に戻っていった。
先月の29日にこちらに着き、丸11日間の滞在の後、旦那の47才の誕生日の朝に、家の前で記念写真を撮り、空港に向かった。

77才にして、実に9年ぶりの、大きな荷物を運びながらのひとり旅。
さぞかし心細かっただろう。
けれども彼女は、冒険好きで、人にものを尋ねることを躊躇しない、活発なところもあるので、とりあえず無事に着くだろうと思っていた。

彼女にわたしの寝室を譲り、わたしは今のソファーベッドに寝た。
彼女がこちらに着いた途端、前代未聞の熱波がやってきて、連日100℉前後の、とんでもなく暑い日が続いた。
せっかく、北アメリカ東海岸特有の、涼しい夏を経験してもらおうと思っていたのに……。
涼しくなるのを待ってると旅が終ってしまいそうなので、仕方なく、まずはコレ↓に出かけたのだが、これが失敗だった。



当たり前だけど、天井に乗るんだから暑い。
ただでさえ暑いのに、熱波中だとさらに暑い。


マンハッタン島を半分に割って、真ん中から上、真ん中から下のコースがあったので、
グラウンドゼロの新しいビル(夜になるとやたらとキラキラ光る工事中のビル)見たさ(←わたし)に、ダウンタウン用のチケットを買った。
ところが、乗ってみると、バスはぐんぐん、ハーレムの方向に走って行くではないか?!
間違えた……わたしが……。

やけくそでビルを撮る。横で母は、早くもバテ気味。


セントラルパーク入り口付近。


トランプタワー前。


がんばってトランペットを吹いてる金色のにいちゃん。


こんな感じのビルがごろごろ建ってるマンハッタン。


ハーレムの中の教会。


突如現れたおトボケな像。


多分、聞き間違いでなかったら、この教会の円形のステンドグラスは、世界一の大きさ。


工事だって高いとこ!?


めちゃくちゃデカい教会。


ここらへんで、さらに、焼き魚の気分な母とわたし。

唯一の救いは、やたらと陽気なガイドの兄ちゃん。
彼は元音楽学校の生徒で、声楽を学んでたそうで、突然話の途中でオペラのアリアを歌い出す。
ここが兄ちゃんが通ったマンハッタン音楽学校。


前方左側の、白いシャツを着たのが兄ちゃん。


ハーレム名物アポロ劇場。


あぢぃ~……。


タマネギな屋根。


なぜか飛行機が回転中。


やっと真ん中に戻ってきた。


ここでやめときゃよかったのだ。
けれども、買った下町見学用のチケットが、また使えそうだということで、ケチ根性がフツフツとわいてきて、下町に向かうバスに乗り換えてしまった。
母はもう、とっくの昔にバテてしまっていたのに。

さて、これは誰でしょう?


エンパイア・ステート・ビルディング!(←!マークをつけるのも恥ずかしいぐらい、毎週のように見ている自分……)


俗名アイロンビル。


奥に、目当てのビルが見えてきた。けれども、独立記念日直前の、混み混みのマンハッタンの、平日の夕方という、超~渋滞に巻き込まれ……。


ヨレヨレのビル。


やっと着いた頃には、母はもうすっかりダウン。
「あんた、このビル見たいがために、ここまで来たん?」と、かなり呆れていた。


また同じバスに乗って中心部に戻る気がしなかったので、地下鉄でバスターミナルまで戻り、バスで帰ることにした。
母は、疲れるわ、暑いわ、お腹が減るわ、喉が渇くわ、訳わからんわ、わたしに振り回されっ放しやわで、どんどん機嫌が悪くなった。

そもそも、こちらに来たその晩から、母は混乱していた。
彼女はついつい気を遣う。いつものノリで、必要以上に。それが彼女の当たり前なのだから。
けれども、旦那にはそれが鬱陶しい。
日本に10年住んで、日本流、母流の気遣いをわかってはいるけれど、そういうものが存在しない世界に戻ってからは、特に疎ましく思ってしまうのだ。
日本に居る時も、会う度に妙な状況に陥り、気持ちのすれ違いのオンパレードだった。
なので、嫌い、とかいう感情ではなく、ただうまく噛み合ないことが多くて、旦那は勝手に24時間ポリシーなるものを作った。
母と一緒に居る時間は24時間以内。
どちらも、自分の主義主張を曲げないのだから仕方がない。
そのふたりの間に入って、右往左往するのがわたしだった。
こちらに来て12年経ち、旦那との生活も20年経ち、かなり旦那サイドに寄り添っているわたしはもはや、母の側に立てなくなっていた。
それに加えて、原発事故後のわたしの行動を、あまり良く思っていない母とは、放射能汚染のこと、デモのこと、政治のこと、すべてについて意見が食い違った。

それが母にはショックだったのだろう。
それでなくても心細いのだ。
けれども、ついつい感情的になってしまうのを抑えるのに必死で、あまり優しくしてあげられない、いい年をした娘のわたし……。
時々、そんな自分が情けなくて、落ち込んでは立ち直り、とにかくこの11日間を、楽しい時間にしてあげようと思っていた。

それなのに……バスの中では二人とも口をきかず、家に着くなり母は、部屋にこもってしまった。

今回の旅は、こちらに着いてからの体調次第で、計画を立てようと言っていた。
77才。
だから無理をしない。ぼちぼち考える。でも、どこかひとつ、小旅行がしたい。それが母の希望だった。
それが、突然の熱波で思惑が狂ってしまった。

こんなんで、最後まで、我々3人はうまくやっていけるのだろうか……。
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