一時中止になっていたJohnson&Johnson社のワクチン接種が再開したので受けに行ってきた。
中止になった時はこれ幸いとばかりに、やはりこれは打たない方がいいという神さまのお告げかもしれない、などと思ったりしたけど、生徒の親御さんから「じゃあ代わりにモデルナを打ったのか?」「え?打たなかった?なぜ?」「どうしてJohnson&Johnsonにそれほどこだわってるの?」などなど、怒涛の質問を受け、この感染状況が全米一位という地域にあって、ワクチン否定というのは受け入れ難いのだということを痛感したからだ。
子どもの頃は学校で行われた予防接種を拒否することはできなかったから、日本脳炎や結核を予防する注射を受けた記憶がある。
どの時も針の跡が醜く腫れ上がり熱が出たが、幼児の頃に受けた予防接種(種類がはっきりしないのだけど)で危うく命を落としかけたこともあって、義務教育終了後は予防接種を全て拒んできた。
麻疹も水疱瘡も風疹も、実際に罹患して治した。
だから息子たちには予防接種を受けさせず、周りから厳しい目を向けられたこともあったが、その信念もこちらに渡米する際に大量の接種を一度に受けさせられてあっけなく砕かれてしまった。
今回の接種については、わたしなりに大いに悩んだ。
元々がワクチンに疑いを持っている方なので、そちらの文献や記事を大量に読んだ。
薬品会社と政治家や病院、そして医者などとの癒着にも嫌気がさしていた。
インフルエンザの予防接種が気休めのものに過ぎないと確信していた。
ワクチンを接種した者としなかった者が、社会的な分断を生じさせたり、仕事に影響するような事があってはならないと思っていた。
今もそういう考えにはいささかも変化が無い。
けれども接種しようと決心した。
夫の両親が、生徒の親御さんたちのようにあからさまに言葉にしなくても、わたしにワクチンを打って欲しいと思っている。
わたし自身もバーチャルレッスンではなく、以前のような普通の形態のレッスンに戻したいと願っている。
こんな事が起こってしまう前には当たり前だった、両親を抱きしめることも生徒たちを直に教えることも、無防備なままのわたしには無理なことだと痛感したのだけど、だからといってワクチンを受け入れるのには時間がかかった。
でも決めたのだ。
散々迷いに迷って決めたのだ。
とにかく体調を整えて当日を迎えようと思ったのだけど、前日の夜はやはり緊張してなかなか眠れなかった。
場所は車で30分ほど走ったところにある巨大モールの一角。
2年半前に倒産した、かつては小売業界の最大手だったSEARSの一階フロア。
中に入るとパーテイションポールと紅白のプラスティック製の筒で作られた巨大迷路が目に入った。
その迷路には誰も立っておらず、迷路のゴール辺りに10名ほどの係員たちが長机の前に座っているのが見えた。
会場には軽快なポップ音楽が音量を控えめにして流されていた。
三つの検問所(笑)で同じ質問を受け、その都度名前と住所と電話番号を聞かれた。
めでたくゴール直前に来た時に、ちょいと内緒で。
(良い子は真似をしてはいけません😅)
接種ブースは全部で24箇所。
接種が始まった当初はこのブースが常にほぼ満員になった。
注射はあっという間に終わり、針の痛みは全く感じなかったが、液体が入っていくのが気味が悪いほどはっきりとわかった。
それまでずっと何十年もの間、仲間内でのんびりやっていたところに、見たことも無い得体の知れない生き物が、何の予告も挨拶も無しに突然現れて、自分の体をグイグイと押しつけてくるのを見て、どうしたらいいのか分からずに慌てふためいているわたしの内側の生き物が目に見えるようだった。
しばらくの間はできるだけ腕を動かして、大量の水分を摂取してくださいと言われた。
接種後15分間は、指定の待合場所で様子見をして、体調に変化が無かったら帰っても良いと言われた。
どの出入口にも数名の警官が待機していた。
体調を尋ねる看護師の数も多かった。
皆がとても親切でプロフェッショナルだった。
これからまだしばらくの間は、このモールはワクチン接種会場のままなのだろう。
ニュージャージー州のワクチン接種状況は、他の州に比べてかなり活発である。
なぜなら、全米最悪の感染者数という状態がしばらく続いたからだ。
なのでいざ打とうと決めたら、いろんな機関からのお知らせがドドッと届いた。
だから予約はかなり楽で、言い方は変だけど選び放題だった。
ニュージャージーは面積が小さい(全米4位)のに人がやたらと多くて(約900万人で全米11位)、なので人口密度は全米1位の州だ。
昨日も約4万件のPCR検査が行われ、新患は1000人弱、亡くなった人は29人だった。
全米で最悪だったのに、この1ヶ月で7分の1近くにまで減ってきた。
もちろんまだまだ少なくはないしゼロには程遠い。
けれどもこれがワクチンの効果だとしたら、今後はさらに減っていく可能性が高い、と思うのは楽観的過ぎるのだろうか?
さて、会場を出て車を運転し始めてから5分もたたないうちに、酒に酔ったみたいにふわふわとしてきた。
車を側道に停め夫に連絡すると、店を見つけてカフェイン入りの飲み物を買って飲めと言われたが、まず家に戻りたくてそのまま運転を続行した。
オラは酔っ払ったダァ〜♪♪などと鼻歌を歌う余裕があったのは夕方ぐらいまでで、夜になると目を開けていられないほどに疲れが出てきた。
熱も痛みも無いけど、ただただ全身が怠くて仕方が無い。
あ〜これが副作用ってやつか〜、へへへぇ〜などとふざけていたが、翌日は一泊二日で夫の両親の見舞いに行く予定だったので、とにかく早寝しようとベッドに入った。
ところが全く眠れない。
目を開けていられないほどドロドロに疲れているのに、目を閉じても一向に眠りに落ちることはできなかった。
この妙な倦怠感が、時差ボケの時のように、何の脈絡もなく突然襲いかかってくる。
他には何の変化も無く、注射を打った辺りがたまに痛いと感じるぐらい。
でもやっぱりとんでもない異物を体に入れてしまったのだなあと思う。
散々考えに考えて選んだことだから後悔はしていないけど、残念だとは思う。
翌日の土曜日の朝に、友人と彼女の娘ちゃんが合作してくれたバッグとマスクが届いた。
友人を通じて知ったハシビロコウくん。めっちゃファンになった。
ニワトリとカエルって、わたしのコレクショングッズそのまんま!
娘ちゃんは特大の才能を持った絵描きさんで、友人は裁縫が大の得意なオカリナの先生。
二人の作品を胸に抱き抱えているうちに元気が戻ってきた。
ペンシルバニアに向かう。
恒例春の梅雨に入ったニュージャージーはこんな空だったのに、
ペンシルバニアに入った途端に真っ青な空が。
夜はわたしが鶏肉とキノコと長芋と葉野菜で鍋を作り、母が作ってくれたデザートを食べ、その後はリビングのテレビで、先日行われた両親の友人ピアニストと仲間たちによる室内音楽の演奏会を鑑賞した。
生演奏会が少しずつ増えてきたのを実感する。
トライステートも今は客席の50%入り、そして9月からは100%入りで、演奏会やブロードウェイのショーが開催される。
2年半かかったけれど、やっと長い長いトンネルの向こうに灯りが見えてきた。
テレビの中から聞こえてくる客席からの拍手や声援を聞きながら、しみじみと嬉しくなった。
翌日は首の根元と肩を痛めた母にマッサージをし、夫は目が悪くなってほとんど何も読めなくなった父に新聞や本を読んだ。
ほんの一日だけの時間だったけど、両親はとても喜んでくれた。
何度も何度も来てくれてありがとうと言う父が愛おしかった。
もう大丈夫だからと、彼らと別れ際に抱きしめ合うこともできた。
実に1年半ぶりの抱擁だった。
体調は完全に戻ったというわけではなく、突然元気が無くなって眠気が襲ってくる。
だから運転はほとんど夫がやってくれた。
天気は曇り時々ジャジャ降りの雨。
家に戻ったら、白い雨除けのビニールの下で、階段の工事がまた進んでいた。
あとは手すりと一番下の段を仕上げたら完成、かな?
留守番をしてくれた空と海のために、今回初めて、留守宅のペットを世話する専門の人に餌をやりとトイレの掃除を頼んだ。
一回につき25ドル。安くは無いけど彼らの様子を写真や文章で送ってくれたりしてなかなか楽しかった。
写真の中の空も海も、めちゃくちゃ文句を言いたげだったけど…。