まず最初に、先日生検に出された限りなく怪しい出来物は良性だったことをお伝えする。
まったく、わたしの体には、限りなく怪しい姿をした良性ブツが多すぎる…。
6月特有の、清々しさが朝から晩まで居座ってくれる天候が続いた週末に、うちからちょうど1時間ぐらい離れた大学街に住む、夫のペンシルバニア大学時代のルームメイト(夫婦ともども)に会いに行った。
二人ともに超エリートで、特大企業の役員(そして彼はとても過酷な癌からのサバイバーでもある)と建築家のカップルで、彼女がデザインした(わたし的には夢のような)お部屋がこちら。
と、ここまでは前回(といっても7年も前だったらしい…コロナ禍の3年がどんなに大きな破壊力だったかを思い知る)と同様で、今回は新たにこれ↓が増築されていた。
いわゆるお外キッチン。
天井のスレートは開閉可能な全天候型。アレクサに呼びかけると開いたり閉じたりしてくれる。
夫の左側の横長の暖炉からは、怪しくも優雅な火が立ち上がる。
この空間が気持ち良すぎて、1年の半分以上はここで料理をして食べているのだそうな。
わかる気がする。
この丸いのが気になって仕方がない。
鉄板のように見えるがそうではなく、別の金属でできていて、だいたい1000℃ぐらいまで熱くなるそうだ。
火を入れて温度をあげていく。
調理開始!
家の中のキッチンでは、栄養はもちろん彩りや食感までにこだわりを持って作られた惣菜が並ぶ。
いやもう、どれもこれもが超〜美味しくてたまらない。
鶏のもも肉がハンパなくジューシーで柔らかで、こんなの今まで食べたことがない。恐るべき1000℃鉄板もどき。
食事は友人夫婦、そして近所に住むお母さんとの5人でいただいた。
台湾人のお母さんはわたしの母と同い年で、老齢に入ってから3回も癌にかかり、常に果敢に挑んでは乗り越えてきた人。
背筋がピンと伸び、普段から努めて歩くようにしているという彼女の足取りはとてもしっかりしている。
彼女は日本語が堪能である。
日本の占領下に置かれていた台湾で、家の内外で日本語のみを話すようにされていたからだ。
彼女の父親や叔父は、その当時役所のお偉方だったので、日本語を話すモデル家族に認定された。
日本から酷い目に遭ったという認識は持っていなかったと言う。
酷い目に遭ったというならそれは中国で、同じ占領でも内容や待遇は全く違ったのだそうだ。
もちろん、そんな思いを持つ人ばかりではないのだけれど、わたしの身近に、日本の占領によって実際に辛い思いをしたという人がいないことに救われる。
彼女はこちらに移ってから栄養学を学び、栄養士としてしばらく働いたのだけど、それまでの間にバイトで働いていた図書館の仕事の方が性に合っていることがわかり、もう一度司書の資格を取るべく学校に入り直したのだそうだ。
そして同じ図書館で30年近く司書として働いた。
凛として、けれども可愛くて、出来ればずうっと話を聞いていたくなる人だ。
観葉植物や盆栽も、その一々がユニークで美しい。
彼女の専門は建築だけど、ランドスケープの才能にも魅せられる。
おまけ写真は罠にかかったグラウンドホッグくん。
うちにも時々出没する、この憎可愛いやつは、ありとあらゆる努力をして、我々が丹精込めて育てた野菜をパクパク食べる。
この後彼は、車で遠いところまで運ばれて放されたそうな。
夫が、野生動物を捕らえて放してやる場合は、川を越えなければならないと言う。
そうしないと、かなり遠くまで行っても戻ってくるのだそうだ。
グラウンドホッグ、ウサギ、シマリス、リス、スカンク、キツネ、シカ、アライグマ…共存できるに越したことはないのだけれど、やっぱり育てた花や野菜を見ごろ食べごろにパクパク食べられちゃうと頭にくる。
これは一昨日夫が撮った写真。
整備されていない野原は、彼らにとっては居心地がいいのかもしれない😭。