今日は夫の58歳の誕生日。
「欲しいものは?」って聞くと、いつものごとく「別に無い」と言う。
毎年夏は稼ぎが極端に少なくなる時期なのだから、贈り物用にと事前にへそくっておけばよいものを、急な入り用のために使い果たしてしまっている。
ならば、『肩たたき券作戦』で行こうではないか。
ということで、朝から菜園で菜葉を摘み、夕ご飯までに萎びてしまわないように水を吸わせておいて、あとは冷凍冷蔵庫内の食品を駆使して、アルモンデ誕生日おめでとうディナーを作ることにした。
そこに『肩たたき券』ならず『神の手マッサージ券』をプラスしたら、それなりに喜んでもらえるはず。
4月に日本に居たので、自分の誕生日は母と義父の家で迎えた。
どちらも大人の誕生日など祝う日ではない世代の人たちだから、その日はおめでとうの一言も無かった。
こちらでの23年間、誕生日というと朝から晩まで特別な人扱いをしてもらい慣れてしまったからか、あまりにも寂しかったので、スーパーに行って赤飯を買った。
夕飯を食べる時に、「今日は誕生日おめでとう〜」と自分で自分に言ったら、呆気に取られたようで、「いきなり何を言うてんの」と苦笑いされた。
いやはや習慣というのは恐ろしいものだ。
久々に祝ってもらえない誕生日を過ごした夜に、しみじみとこちらの誕生日を恋しく思った。
年老いた親から、兄弟姉妹から、社会の中堅どころになった子どもたちから、友人たちから、おめでとうの電話がかかってきたり、プレゼントが送られてきたり。
もちろん大人だから、平日であれば普通に仕事をする。
でも特別なのだ、その日の起きている間の16〜7時間は。
あなたが○○年前の今日生まれてきたことを心からお祝いします、という人たちがいて、その人たちの声を聞いたり顔を見たりしながら、生まれてきたこと、そして今も無事に生きていられることに感謝する。
誕生日って感謝する日なんだなと思う。
誕生日おめでとう。
これは誕生日イブの外食。
これに比べると今日のアルモンデディナーはかなり見劣りするのだが、夫はしきりに昨日の料理より何倍も美味いと言う。
愛、なんでしょうかね😅