愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

津具城址(2) 設楽町

2016年06月30日 20時51分34秒 | 設楽町
畝状竪堀を見た後に左に行くと、大きな堀切がありました。



堀切が北西の方に延びて、そのまま竪堀になっていました。なかなか雄大でした。

Ⅱ郭に上がると、土塁の跡がありました。


Ⅱ郭土塁の跡

Ⅰ郭とⅡ郭の間に虎口があり、虎口からは堀切が延びていました。

Ⅰ郭西の虎口

城の北東部に平坦な場所がありました。ここも城の一部ではないかと思いますが、ここからⅡ郭と堀切がよく見えました。



ということで、なかなか写真や言葉だけでは表現できませんが、曲輪も堀切もしっかり残っており、けっこうダイナミックな城でした。登るのが大変だったけれども、城は大変見ごたえのある城でした。

残念なのは、素晴らしい城なのに、近くの大きな道に看板がなく、登り口がどこかわからず、登り道もどこかわからず、結構急峻な道を登る羽目になったことです。

是非とも案内板を設置し、この素晴らしい津具城をみんなが訪れるようになってほしいと思いました。
がんばれ教育委員会

津具城址(1) 設楽町

2016年06月29日 17時37分32秒 | 設楽町
さあ、いよいよお目当ての津具城です。

後藤善心が築城した難攻不落の山城
津具城は「愛知の山城ベスト50」によれば、後藤善心という武将の築いた城のようです。後藤善心とは、最初武田氏に仕えていた武将のようです。はじめ、津具城の東の方に白鳥山城を居城としていましたが、永禄5年(1562年)今川氏真の命によって渡辺平内次らに攻められ、あっけなく落城してしまったそうです。そこで、これに懲りた善心が難攻不落の城を目指して築城したのがこの津具城ということだそうです。

「難攻不落」というより、登城するのがかなり困難な城でした。

城に登る道がない
「愛知の山城ベスト50」等の解説書で「登城口は、ふもとの『李登勝美術館』の中を通って行く」とか説明されていましたので、さっそく、許可をいただきにお訪ねしました。ついでに登城口がどこなのか、お伺いしようと思いましたが、あいにく美術館の方はいらっしゃりませんでした。お歳を召した方が出られました。その方に許可をいただきました。

美術館の右手の方に小さな道があり、これだと思って登っていきますと、途中このような看板がりましたが、津具城のつの字もありません。


しかも道が途中でなくなってしまいました。前面は山の急な斜面が見えるだけです。小さな沢があり、斜面をチロチロと流れ落ちています。

登城困難の山城
この山の上に津具城があるに違いないと半分直感で登ることにしました。「沢登り」です。かなりきつい斜面でした。道なき道を一生懸命に登りました。昔広島の高野で「蔀城」に登った時もこんな感じでした。蔀城と違った点は、急だけど、短かったということです。20分ぐらいで、尾根にたどり着きました。息が切れそうでした。

尾根を歩いていると、すぐに井戸跡が見つかりました。

井戸跡

縄張り図を見ながら、これに違いないと、うれしくなりました。

津具城のイメージ図

畝状竪堀
堀跡を東に登っていきますと、すぐに曲輪があり、そこから竪堀が2本のびていました。「愛知山城ベスト50」では「畝状竪堀」と紹介されていました。

南側の竪堀


すぐ北側の竪堀

畝状竪堀を考える
この竪堀は確かに2本以上あるので、畝状になっていますが、規模としては、以前見学した小原の市場城に比べるとやや小さい感じでした。また、福井の一乗谷城に比べると、数においてまったく少ないという感じでした。さらに、市場城の畝状竪堀が主郭の下にあり、主郭を守備するのに、一番強固な守りの設備を施してあったのに対して、津具城では、Ⅱ郭の下にあり、Ⅱ郭を守りの要と考えていたことが伺われました。

金龍時 設楽町

2016年06月28日 15時56分30秒 | 設楽町
鞍船遺跡から戻る道すがらに金龍時というお寺がありましたので、見学してみました。

正式には「曹洞宗 白鳥山 金龍禅寺」です。開基は天文10年(1541年)だそうです。



お寺の本堂

枝垂桜
このお寺に珍しいものがありました。枝垂桜です。明治初年に第19世大秀英仙和尚が植えられたそうです。100年以上もたっています。

枝垂桜

六地蔵
さらに、参道の入り口に六地蔵さんが立っていました。


みんな行儀よく並んでいたので、一つ一つまじまじと見ました。どれも違っていました。手の形や持っている物にはきっと意味があるのでしょうが、私に分かりませんでした。

鞍船遺跡 設楽町

2016年06月27日 16時43分37秒 | 設楽町
梅雨の合間の晴天。今日は絶好の史跡巡り日になりました。せっかくのいい天気なので、遠出をしました。設楽町です。以前には田峯城の見学をした町です。今日は、鞍船遺跡と津具城を見学する予定で出かけました。

縄文時代早期の遺跡
まずは鞍船遺跡です。「あいちの史跡」によれば、
「発掘調査により、隅丸方形、円形、楕円の多様な形態の竪穴住居跡が確認され、関東系と関西系の土器の他石器、石材が出土し、広範な人々の交流圏を示しています。」
ということでした。縄文時代早期の住居址です。

県道80号線から歩いていけるはずなのですが、いろんな道があって、看板もなく、どこにあるのかさっぱりわかりませんでした。そこで、近くのJAのガソリンスタンドで聞いてみました。すると地元の方らしい人が出て見えて、

「寺(金龍時というお寺)の前の道を川に沿って行けばいいよ。あそこの杉の木の山がそうだよ。」

と、親切に教えてくれました。
うれしかったので、帰りにガソリンをそこで入れて帰りました。

教えられた道を10分ほど進んでいきますと、やっと案内の看板が見えました。

鞍船遺跡の看板

「こんな遺跡のすぐ近くまで来ないとわからない看板だけでは困るよ。もっと、大きな道のわきに看板を作っておいてよ」と思いながら、通り過ぎました。

看板のすぐ裏手に遺跡がありました。

発見は大正11年、発掘は昭和29年

遺跡の案内によると、なんと発見は大正11年だそうです。しかし、発掘は昭和29年からです。30年以上もたってからのことです。戦争で発掘どころではなかったのでしょうか。こんなところにも戦争の影を見た思いでした。


鞍船遺跡全体

遺跡は柵で囲ってありましたが、萱で葺いて再現している住居址の左右に円形の住居址が一つずつありました。内部を見てみると、中央にくぼんだ穴がありました。炉の跡でしょうか。

炉の跡

住居址の内部の様子

がんばれ教育委員会
それにしても、萱で葺いた屋根が朽ちているのが目立ちました。あとで、ガソリンスタンドの方にお尋ねしたら、

「そうでしたか、何年か置きに葺き替えているんですが。」

と言っておられました。
地元の方も関わっているのかなと思いました。それはそれで、いいことですが、肝心の遺跡の保存、展示ということでは、教育委員会は後れをとっているのではないかと感じました。

田峯(だみね)城跡 設楽(したら)町

2015年12月22日 15時57分01秒 | 設楽町
見学日 2015年11月30日(月)
所在地 愛知県北設楽郡設楽町大字田峯字城。

設楽町は、新城市、東栄町、豊根村、豊田市に囲まれた町です。山が多い町です。


田峯城跡は、設楽町の南端にありました。近くを伊奈街道が通っています。

伊奈街道と田峯城跡、長篠城跡、野田城跡

田峯菅沼氏
田峯城は、文明2年(1470年)菅沼定信によって築かれたといわれています。

田峯菅沼氏の系図


長篠の戦いと菅沼氏
定信から4代目、菅沼定忠は長篠の戦いに武田側として参戦。しかし、敗北し、武田勝頼とともに背走。田峯城に戻ろうとしましたが、留守を預かっていた菅沼定直、今泉道善(どうぜん)は、勝頼らの入城を拒否。やむなく、武節城に行き休憩を取ったそうです。
菅沼定忠は、翌年7月に田峯城を急襲し、城内の96人の首をはねたという伝説が残っています。

首塚の石碑

石碑には以下のように顛末が書かれていました。

田峯城内乱の首塚
町指定・史跡
三十数基の古石塚(一石五輪塔など)および、場所が指定の文化財です。
この場所は長篠合戦直後、城主菅沼定忠に謀叛し翌四年(一五七六)、定忠の夜襲によって捕らえられ処刑された九十六人の首をさらした所といわれています。
古石塔の最古は推定十六世紀末です。


見学の記
田峯城縄張り図

現地案内板より。本丸から北西方向にたくさんの曲輪があります。

入り口看板

よく見ずに見学をしましたが、よく見ると月曜日はお休みでした。残念

木橋・空堀
看板を過ぎると木橋がありました。両側は空堀です。


表曲輪

表にあるので、表曲輪だそうです。そのまんまです。今は茶畑になっています。

井戸曲輪


蔵屋敷


裏曲輪


畷(あぜ)曲輪
この字は「あぜ」と読ませるようです。


道寿曲輪
長篠の戦いのときに、城主菅沼定忠とともに武田方として参戦した家老城所道寿(きどころどうじゅ)の屋敷と考えられています。


本丸東側
さて本丸の東はやや入りにくかったのですが、降りてみるときちんと標識がありました。

畦曲輪

本丸のすぐ東を降りたところにありました。「あぜくるわ」と読むのでしょうか。畷を「あぜ」と読ませているので、違う読み方かもしれません。

馬屋跡
その奥には「馬屋跡」という標識がありました。

本丸から東へ2つ目の曲輪です。

空堀

馬屋跡と仕置場の間には大きな空堀がありました。



月曜日ということで本丸の中に入れませんでしたが、今度来るときはぜひとも本丸の武家屋敷を見学したいと思います。