愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

備中松山城(4) 岡山県

2017年09月10日 05時51分24秒 | 岡山県
天守に入ると珍しいものがありました。囲炉裏です。籠城した際に暖をとるためのものでしょうか。この城は、天守の現存する山城としてはかなり高い位置に立っていますが、冬は寒いのでしょう。囲炉裏は不可欠だったと思われます。

天守1階の囲炉裏跡

備中松山城は明治初期までは城として存在していましたが、廃城令などを受け、だんだんと忘れ去られ、昭和初期には崩壊寸前になっていたそうです。

昭和14年解体修理前の天守(松山城等管理事務所「重要文化財 備中松山城」より)

それを当時の高梁中学校の教員信野友春さんが見つけ、克明なスケッチをして、「備中松山城及其城下」に著しました。これを契機として備中松山城の復元を望む声が高まり、町民ぐるみの修復が進みました。NHK「歴史秘話ヒストリア」では、瓦を人の手で運ぶ際に女子高生や小学生までが手伝ったとして、当時の写真が放映されました。
こうした努力の積み重ねの上に今の日本三大山城の一つ備中松山城があるのだと、先人の努力に感謝する次第です。


(備中松山城 おしまい)

備中松山城(3) 岡山県

2017年09月09日 04時22分17秒 | 岡山県
二の丸へは二の丸櫓門を通って、はいります。石垣に大きな石がありました。鏡石でしょうか。

二の丸櫓門の鏡石

二の丸は細長い空間でした。

二の丸

二の丸から奥のほうに進みますと、右手に腰曲輪のようなものがありました。それを進んでいきますと、搦手門がありました。天守の裏手から出て、ここから逃げるようになっていました。

搦手門

さらに腰曲輪を奥に進みますと天守の後ろにある二重櫓の裏手に出ました。

二重櫓

二重櫓の石垣を見ると、これも自然の岩盤の上に石垣が積み上げられています。すばらしい。

さらに、二重櫓の後ろに後ろ曲輪と称する曲輪がありました。立派な櫓台がありましたので、松山城の後方の見張り台としての役割を担っていたのでしょうか。

後ろ曲輪
(つづく)

備中松山城(2) 岡山県

2017年09月08日 04時07分03秒 | 岡山県
さらに登っていきますと大手門跡が見えます。

大手門跡

そしてこの大手門を抜けると、自然の岩の上に石垣が組まれるというこの城独自の石垣が見えます。


石垣


石垣2

この場面はNHK大河ドラマ「真田丸」のオープニングの城の場面になっています。てっきり上田城だと思っていましたが、どっこい備中松山城だったのです。同じくNHK「歴史秘話ヒストリア」で知ることができました。

大手門を過ぎると左手には土塀が見えました。鉄砲狭間、矢狭間が見事に並んでいました。

土塀

土塀の反対側は、三の丸です。上番門、足軽番門跡などの石碑がありました。

三の丸

三の丸から右のほうに坂道が続き、黒門跡がみえました。黒門は、だいたい本丸や天守のある本段への虎口の門にある名前ですが。ここは二の丸への入り口になっていました。

黒門跡 上から撮影。門柱の礎石が二つ見えます。

二の丸に上がる階段の右手には厩曲輪があります。ここで、馬から降りたのでしょうか。

厩(うまや)曲輪
(つづく)

備中松山城(1) 岡山県

2017年09月07日 05時42分39秒 | 岡山県
岡山城を訪れたので、もう一息足を延ばして備中松山城に行きました。備中松山城は、日本三大山城(他二つは、岐阜県岩村城、奈良県高取城)の一つとして有名な城です。ぜひとも訪れておきたい城でした。

備中松山城天守閣 二層二階で他の城の天守閣に比べると小さいのですが、そういう感じを全く受けませんでした。

備中松山城には、山陽道を通り、岡山道から行きました。賀陽ICで降りて、ひたすら高梁市に向けて車を走らせました。途中峠に差し掛かるとそれは美しい光景が開けていました。

峠から見る高梁市

どの山に備中松山城があるのだろうかと期待に胸を膨らませながら車の運転をしました。

備中松山城へは城見橋公園駐車場に車を止めさせていただきます。ここからシャトルバスが運行しています。(ふいご峠まで往復400円)バスでふいご峠まで5分くらいで行きます。ふいご峠から登山です。約20分で天守閣に着きます。(夏場は暑いのでちょっときつかったです)

登場絵図 下のシャトルバス発着場に置いてあったものですが、見ながら登ったので、絵図がしわしわになってしまいました。

ふいご峠から一本道で、ずっと登っていきますと、まず見えるのが上太鼓の丸跡です。

上太鼓の丸跡の石垣

太鼓丸は上中下三つあり、伝達手段として使用されていたそうです。
(つづく)

岡山城(3) 岡山県

2017年09月06日 04時54分20秒 | 岡山県
さて、いよいよ天守閣です。なかなか立派な天守閣です。正面から見るとしたに行くほど横長になっていて、ほかのお城にはない独特の形をしています。

岡山城天守閣

天守閣に上り、岡山城の周囲を一望した後、再び本丸本段を南のほうに歩いていきますと不明門(あかずのもん)があります。本丸本段への最終的な門です。立派な門でした。

不明門

不明門から表書院の段になります。

表書院(現地案内板より)

表書院は岡山藩の政務を行った場所です。その間取り図が実際の地面の上に再現されていました。

また、発掘調査で明らかになった宇喜田秀家時代の石垣も展示されていました。

築城当時の石垣への入り口


築城当時の石垣 石垣が横に長いということが分かります。

後楽園への橋、月見橋から見た岡山城

(岡山城 おしまい)