愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

小谷城(3) 滋賀県長浜市

2019年03月28日 17時13分07秒 | 滋賀県
虎御前山展望所
番所を過ぎると、「虎御前山展望所」という曲がり角があり、虎御前山が正面に見えました。虎御前山は、織田信長が小谷城を攻めたとき、前線基地を置いたところです。小谷城から山の様子が手に取るようにわかります。逆に、虎御前山からは小谷城の様子がはっきりと見えていたのでしょう。

虎御前山展望所

御茶屋
展望所からさらに登っていきますと、御茶屋という曲輪があります。なかなか風流な名前の曲輪で、本丸までの道の途中で休憩でもしたのでしょうか。案内板には、「『御茶屋』という風雅な名前には似つかない軍事施設である」とありましたので、「御茶屋」はあとで付けられた名前なのでしょうか。


御茶屋イメージ図(現地案内板)

この御茶屋曲輪の奥の方に行きますと、竪堀のような跡がありました。あとでいただいた案内図で確認すると、確かに御茶屋から御馬屋敷、桜馬場にかけて清水谷に向かって、幾本もの竪堀が掘られていました。

御茶屋奥の竪堀?

さらに曲輪の中には、大きな石が転がっていました。はじめは石垣の崩れたものかと思いましたが、案内板によれば、「西側に庭があった」とあるので、この石は庭にあったものだと分かりました。やっぱり、庭を眺めてお茶を飲んでいたのではないでしょうか。

御茶屋の巨石(庭石)

また、御茶屋は土塁で仕切られていたということですが、その土塁もありました。

御茶屋を仕切る土塁

土塁は、曲輪の端の方にもありました。曲輪の南西方向、上がってくる登城道が見える方向です。ずいぶん低くなっていますが、わずかに高まりがあり、土塁であったと思われます。


御茶屋西側縁の土塁

こうやって見てきますと、りっぱな軍事施設であることも頷けました。

馬洗池・御馬屋
次は馬洗池です。山の中腹に水をたたえた池がありました。


馬洗池

400年以上もたっているのに、水が枯れずに残っていることに驚きました。池の周りには石垣があり、池が崩れることを防いでいました。立派な池でした。

その奥は「御馬屋」という曲輪になっていました。


馬洗池・御馬屋イメージ図(現地案内板)


御馬屋全景

この御馬屋の周りはどうなっているのか、また端まで見に行きました。すると結構高い土塁で囲まれていることが分かりました。


御馬屋の土塁

小谷城(2) 滋賀県長浜市

2019年03月18日 10時11分53秒 | 滋賀県
お久しぶりです。
またまたブランクができましたが、再会です。
小谷城の続きからです。



しばらく登っていると「間柄峠」、「望笙峠」がありました。特に「望笙峠」では、眺望が開けていました。

望笙峠からの眺望

金吾丸
さらに登っていきますと、「金吾丸」の標識がありました。ここまで結構な登り坂でちょっときつかったです。金吾丸は、大永5年(1525)、初代浅井亮政の代です。六角高頼が小谷城に攻めてきたとき、越前より朝倉金吾教景が援軍で、ここに陣を敷いたところから、金吾教景の名を取って金吾丸と名付けられたそうです。


金吾丸跡

なお、金吾丸の出入り口らしきところに石垣らしきものを見つけました。


金吾丸の「石垣」?
写真は外からみて左側の「石垣」です。もちろん案内では石垣の遺構が書いてないので、違うかもしれません。

金吾丸を超えて、少し下りますと元の登城道と合流し、やがて番所が見えてきました。

番所

番所跡


番所イメージ図(現地案内板)

この場所跡の案内にイメージ図がありました。こういうのは、とても嬉しいです。昔のイメージが膨らんで「この辺に石垣があった」とか、「この辺に堀があった」など遺構を見る手助けになります。これからあとの遺構にもこのイメージ図がついていたので、とても助かりました。

番所跡をよく見まわしますと、奥の方にイノシシの捕獲器がありました。もしかしたら、クマやシカのためのものかも知れません。

番所跡にあった「イノシシ捕獲器」

そして、イメージ図にあった「北側の石垣上に一段高い平地がある。」の石垣がありました。


番所の石垣