愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

高松城(2) 香川県高松市

2015年12月13日 13時48分56秒 | 香川県
城の会見学会3日目は香川県高松城です。その前に栗林公園を訪れましたが、庭園は詳しくないので省略します。

高松城には、以前訪れたことがあります。以前の記事はこちらをご覧ください。

高松城 香川県高松市

高松城跡は、玉藻(たまも)公園と呼ばれています。


丑寅櫓
今回は、丑寅櫓の方から入城しました。


旭橋
その前に堀を渡る橋がありますが、この橋に城を守る工夫がありました。旭橋といいますが、直角に架けられていません。斜めになっています。敵が攻めてきたときに、この方が城内から撃ちやすいからだそうです。




サヌカイトの石垣
今回発見したのは、石垣に香川特産のサヌカイトが使われていたことです。

石垣。割れ目が他の石と違い、硬そうです。サヌカイトは石器としても有名で私自身、この石で紙を切ったことがありますが、大変きれいに切れて、びっくりしたことがあります。また、叩くととてもよい音が出ることでも有名です。高松城では石垣としても使っていたのです。

お堀めぐり
また、お堀めぐりの船も見ることができました。船に乗っている人は、魚のえさを持っていて、それを目当てにたくさんの鯛が船の周りに集まっていました。


本丸隅櫓
1回目のときには、目に留まらなかった「地久櫓跡」です。本丸の方角的には、南西にあるので「未申櫓」になるでしょうか。


同じく本丸「矩櫓(かねのやぐら)跡」です。方角的には北西なので、「戌亥櫓」でしょうか。


新しい天守石垣
本丸天守の石垣は跡で積み直したものですが、いかにも積み直しましたということがわかり、これも驚きました。

新しさがよく分かる石垣。

月見櫓
やはり高松城といえば、この月見櫓でしょう。


今回は中に入ることができました。月見櫓を支える「四天柱」がありました。


月見櫓に登って南の方を見ると、眼下に「水手御門」「渡櫓」が見えました。


高松城では石垣について、いろいろ見させていただき、地域によって色々と工夫をしているんだなあということが分かりました。

高松城 香川県高松市

2014年08月31日 12時40分48秒 | 香川県
宇高連絡船からマリンライナーへ
 8月15日、所用があり香川県高松市を訪れました。ずっと昔にも香川に来たことがありましたが、そのときは「宇高連絡船」を利用しました。しかし現在は鉄道で来ることができました。岡山から高松まで「快速マリンライナー」というJRの電車が走っています。時間にして約1時間、料金は1500円ほどです。便利になりました。マリンライナーからは瀬戸内海の景色が少し見えました。

快速マリンライナー、画像はウィキペディアです。

マリンライナーからの眺め

高松城へ

 城に入ってすぐ振り向いて1枚撮りました。左の方に暖簾みたいなのがありますが、夕涼み開放ということで、夜は無料では入れるようでした。ちなみに入城料は200円取られました。右側に小さな看板があり、「簾櫓跡」と書いてありました。「すだれやぐら」と読むのでしょうか。昔そういう名前の櫓があったようです。

城のお堀に鯛が
 門から中へ真っ直ぐ入っていくと水門がありました。外海と城の堀とを仕切っている門です。その水門で、のぼりを立てて、何か作業をしている方たちがいました。

のぼりは、「たいがんじょうじゅ」と読むのでしょうか。写真の左側は堀で、右側は瀬戸内海です。

 左側の堀をそっとのぞいて見ました。すると、魚がいました。一瞬鯉か、と思いましたが、よく見るとそれは、鯛でした。おじさんたちは、その鯛のエサを売っていたのです。

写真の中央付近に黒い魚影が見えます。それが鯛です。

月見櫓から披雲閣へ
 更に真っ直ぐ進むと、外からもよく見える「月見櫓」が見えました。


 月見櫓を右に曲がると、庭園や屋敷がありました。
屋敷は「披雲閣」で、庭園は「披雲閣庭園」といいます。


蘇鉄の間
 ここを過ぎて、更に奥へ進みますと資料館がありました。
「蘇鉄の間無料開放」の看板に魅かれ、中に入ってみますと、たしかに「蘇鉄」がありました。

これは「蘇鉄の間」。この右側に庭があり、蘇鉄が芸術的に植えられていました。

蘇鉄の庭です。「ああ四国は南国だなあ」と感じました。

天守閣跡へ
 元の門の方に歩き始めました。最初の鯛のエサの所を左に曲がると天守閣跡にいけました。天守閣には、「鞘橋」という橋を渡っていきます。この橋は敵が攻めてきたときに、すぐに落とせるようになっているそうです。お城はいつも「戦い」と背中合わせで作られていることがわかります。

「鞘橋」ただし、天守閣跡から撮ったものです。


天守閣跡。右のほうのみどりの屋根が見える橋が鞘橋です。この石垣の頂上に登ることができます。石垣の頂上には上に建てられていた天守閣の台座(石)、木の杭(柱)などの跡がありました。


写真がぼやけていて、申し訳ありません。天守閣跡にあった看板からのものです。
これは、天守閣の石垣を上から撮った写真です。まわりが石垣で、中央に「田の字」に線が引いてありますが、この線に沿って台座があったそうです。(今も残してあります)間には杭があります。

この写真も上記看板からのもので、石垣の上にお寺みたいなものが明治時代からあったそうです。これが「玉藻廟」といって、松平家初代藩主松平頼重を祀るものだったようです。しかし、石垣修理工事に伴い平成18年(2006)9月から11月にかけて記録保存を行い解体されたようです。今はありません。

城にもいろいろある
香川県高松城は、なんと言っても堀に鯉ではなく鯛がいたこと、天守閣に昔お社があったことなど、なかなかおもしろいお城でした。