愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

堂谷山城址 福井県若狭町

2016年09月26日 12時02分25秒 | 福井県


地元の学習会に合流
9月25日(日)若狭国吉城歴史資料館主催の「堂谷山城跡探検会」に参加しました。この企画は、歴史資料館が「国吉城歴史講座」の一環として企画されたものです。この講座はすでに過去に3回企画されていて、今回は第4回目の講座となっていました。地域で活発に歴史の学習会が行われ、その地域の史跡を学ぶ活動が行われていることに感動しました。とてもいいことだと思いました。

国吉城歴史資料館の案内チラシ

9時集合でした。場所は資料館です。

国吉城歴史資料館

資料館から堂谷山城址のすぐ近くの駐車場まで乗り合わせていきました。その駐車場は大変狭く、数台の車が止められるだけでした。

堂谷山城址近くの駐車場

そこから、いよいよ登城です。まさに登りました。

登城の様子。大変急な上り坂でした。この坂を登ったところが土塁になっていました。


堂谷山城址イメージ

南東に伸びる長い土塁
ようやく城址南側の土塁までたどり着きました。

城址南側土塁 土塁は北東側に長く築かれ、南西側にはありませんでした。

そこからは舞鶴若狭道が眼下に見下ろせる素晴らしい眺めでした。


石垣の跡の石が散在する主郭
この土塁に沿って緩やかに登っていきますと、主郭になります。主郭には石がごろごろしていました。石垣の跡だそうです。案内の方のお話では一部積みあがっている個所もあるので、石垣として積みあがったものが何らかの事情で崩れ、散乱したのではないかということです。また、その事情とは大きな地震ではないかということでした。

主郭付近に散在する石

その石の中には墓石も利用されていました。


主郭を守る大きな横堀
圧巻は西側の横堀でした。大変深い堀で主郭を防衛するのに十分なものでした。

西側の横堀 この堀は西側から北側にかけて巡らされていました。

主郭に天守台か
また主郭①は、穴倉のようになっていて、案内の人は、天守台であったかもしれないと言っていました。

主郭①の内側

この後、山を下り、見学会は終了しました。

はるばる若狭に来たかいがあったと思いました。
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津島神社(2) 津島市

2016年09月18日 13時00分50秒 | 津島市
天王川公園
津島神社のすぐそばに公園がありました。

「天王川公園」というそうです。しかし、どう見ても池でした。この写真の左側に堤防が残っていて、昔そこに川が流れていたようです。

津島湊
公園内の案内板では、「津島湊」について、以下のように説明をしていました。


津島湊
天王川の上流は萩原川・渕高川と呼ばれ、約500年前、この辺りは300メートルほどの広さの川幅であった。
 津島神社参詣の人々のために、天王橋(幅3間・長さ72間)が架けられ、その両岸には数千軒の町屋が並び、数千艘の出船入船で活気を呈した。津島湊はこの一帯で広さ約5~6ヘクタールに及ぶ当地方随一の湊町・門前町として頗る繁盛した。
 商都津島を支配した勝幡城の織田家は、信定、信秀と次第に勢力を広め、信長は天下布武をとなえ天下統一の基礎を築いた。
 信長は天王橋から津島天王祭を見物した。また、江戸時代になると、代々の殿様も見物に訪れて、たいへんなにぎわいであったという。
 天王川は、天明5年(1785)に水害防止のため、ここでしめ切られ、埋め立て地に町ができた。 津島市


天王川公園案内図

お旅所
公園に入ると、「天王川お旅所」という標識がありました。

天王川お旅所 標識の右側の囲いがそうです。

「お旅所」とは何なのか、調べましたところ、天王祭り(例年7月第4土曜日と翌日に行われるイベントをクライマックスとするお祭り)の際に、神様が安置される場所のようです。

中之島 ヨネ・ノグチ像
公園の中を歩いていきますと赤い橋が見え、その先が池の中島になっていました。

中之島

池にはスイレンが咲いていました。


そして、中之島にはヨネ・ノグチさんの銅像がありました。

ヨネ・ノグチとは、野口米次郎という人で津島市出身の詩人だそうです。

片岡春吉像
また、公園内には「片岡春吉翁像」というのもありました。

片岡春吉さんは、岐阜県で生まれた人ですが、明治時代に津島に毛織物を伝えた人だそうです。この像の台には羊の頭がありました。

濃尾大地震の碑
さらに公園内を散策しますと、「濃尾大地震記念碑」がありました。


案内板によれば、

明治24年10月28日、岐阜県揖斐郡根尾村を震源とする断層大地震は、稀にみる強大なもので、この地方にも未曽有の被害をもたらした。
 この碑は、明治25年10月この災害を記録建立したもので、碑表には、海東、海西2郡(津島を含む)における罹災の実情を、碑裏には、建碑資金の寄付者名が刻してある。 津島市


津島天王祭関連のもの
さて、公園の南側は天王川をせき止めた入り江になっていますが、そこに小さな島と骨組みだけの家のようなものがありました。

これは、何だろうと、後で調べたところ、7月に行われる天王祭で使われる屋台船の骨組みではないかと思われました。近くにはこの屋台を浮かべるための船が片づけてありました。

天王祭で使われる船

YOUTUBE等で津島天王祭の様子を見ると、とてもきれいで見てみたいと思いました。
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津島神社(1) 津島市

2016年09月17日 16時32分39秒 | 津島市
台風の影響でしょうか。大変蒸し暑い日が続きます。今日は、津島の津島神社に出かけました。

津島神社の鳥居

津島神社は愛知県では有名な神社です。その昔、織田家がこの神社を氏神として崇敬したそうです。

南門
鳥居をくぐると、南門がありました。

津島神社南門

はじめこの南門を国の重要文化財の楼門かと思ってしまいました。しかし、この門は県指定の門でした。

拝殿
南門をくぐると拝殿が見えました。これは国指定です。なかなか立派です。

津島神社拝殿

楼門
拝殿を右に曲がると、楼門がありました。

津島神社楼門

楼門は、神社の東側の門になっていました。南門が正門ですが、楼門の方が豪華でした。

楼門と拝殿はとても美しい建物でした。

津島神社境内(左拝殿、右楼門)

祭神はスサノオノミコト
その間に休憩所があり、中に入ると祭神であるスサノオノミコトの有名な歌が飾られていました。

額縁には
八雲立つ 出雲八重垣妻篭みに 八重垣つくる その八重垣を
という歌と
スサノオノミコト、クシイナダヒメの肖像が描かれていました。

この歌はスサノオノミコトがヤマタノオロチを退治し、クシイナダヒメを自分の妻として迎えるために宮殿を造った時の歌です。

織田家と同じ紋
さて、この津島神社は織田家と深い関係がありますが、紋も織田家と同じでした。

織田家の家紋(ウィキペディアより)

津島神社の紋

木瓜紋(もっこうもん)というそうです。

名物お土産「あかだ・くつわ」
さて、南門から外に出るとお菓子屋さんがありました。津島神社の名物は「あかだ・くつわ」というお菓子です。大変堅いお菓子ですが、有名なお菓子なので買いました。1袋540円でしたが、2袋(あかだとくつわ)買ったら、消費税分80円を負けてくれて1,000円にしていただきました。

左が「あかだ」右が「くつわ」です。
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アイヌの踊り 北海道

2016年09月13日 14時43分47秒 | 北海道
9月10日から家族で北海道に行きました。北海道の中央あたりに層雲峡という観光地があり、そこのホテルでアイヌの踊りを披露していましたので、録画しました。

アイヌの踊り 層雲狭「大雪」にて
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