愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

志段味古墳群2019(2) 名古屋市守山区

2019年09月22日 04時46分32秒 | 名古屋市守山区

古墳の公園

この資料館から古墳の公園に直接つながっていました。資料館をでると、図にある古墳をすぐに見学できるようになっていました。こういう仕掛けは2013年にはありませんでした。というか、資料館がありませんでした。

公園はきれいに整備されていました。余分な木は切られ、でこぼこはならされ、芝生が植えられ、散策路ができていました。

古墳の公園の様子

おもしろかったのは、方墳と大久手5号墳です。

方墳 方墳は志段味古墳群でこれ1基しかないそうです。案内の方が特にみてほしいと案内してくれました。


大久手5号墳

大久手5号墳は、大久手池の土手を造る際に半分破壊してしまったそうです。それで半分だけの前方後円墳になっています。

そして大塚古墳です。大塚古墳は復元を試み、造られたころの様子を再現したそうです。石を敷き詰め、埴輪を並べ、このような様子だっただろうということです。

大塚古墳前方部からの撮影


2013年の大塚古墳前方部からの撮影

案内の岡田さんは、草だらけの古墳がいいと。なぜなら、昔のままで手を加えていないからとおっしゃっていました。

確かに、復元してしまうと、そのように固定観念ができてしまう恐れもあります。また、違っているかもしれません。

しかし、見学者にはたいへん分かりやすいものになります。難しい問題です。

大塚古墳後円部からの撮影

この後昼食をとり、希望者で白鳥塚古墳を見学に行きました。白鳥塚古墳も門扉ができていたり、後円部に階段が造られたりとかなり変わっていました。

白鳥塚古墳にできた門扉

ということで、この見学会では、復元の功罪について考えさせられる見学会となりました。

志段味古墳群2019 おしまい
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志段味古墳群2019(1) 名古屋市守山区

2019年09月21日 11時15分16秒 | 名古屋市守山区
9月19日、年金者組合のイベントに参加しました。「あいち年金者大学」というのがあって、その企画です。1か月の間に、囲碁、歴史、映画鑑賞、古典文学などの企画があります。その一環としての企画です。今回の歴史講座は、守山区の志段味古墳群を見学しようというものです。
志段味古墳群には、2013年に訪れています。 

志段味古墳群

東谷山古墳群も訪れています。

東谷山古墳群

特に志段味古墳群は2013年当時開発工事をしていたので、どんなふうに変わったのか見てみたいと思いました。

2013年志段味古墳群での開発工事の様子

見学のコースは、以下のようです。
勝手塚古墳―志段味古墳群ミュージアム(新しくできた資料館)―古墳群(方墳、西大久手古墳、東大久手古墳)―大塚古墳―昼食―白鳥塚古墳

勝手塚古墳を見学する参加者の皆さん

勝手塚古墳は2013年当時と変わっていませんでした。


しだみ古墳群ミュージアム

次に訪れたのは、新しい資料館です。いろいろ勉強になりました。まず古墳を飾っていた石は、石英だそうです。これは輝くなあと思いました。ピカピカに輝く古墳を見れば人々は畏敬の気持ちを持ったことだと思いました。石英は志段味古墳群の近くで採れたそうです。

石英の説明

さらに大塚古墳から出土した馬具などから当時の支配者の様子を復元したものがありました。なかなか迫力があって目を奪われました。

支配者の復元

また尾張地方の大きな古墳の成立順序も知ることができました。
白鳥塚➡大塚➡断夫山

白鳥塚古墳は意外と早く4世紀後半ごろで、前方後円墳なので、大和政権との関係が深かったと考えられています。この古墳は愛知県で3番目に大きい古墳で、かなり大きな力を持った勢力の王の古墳と考えられています。

その後ここに多くの古墳が造られますが、全て東谷山の方に向かって造られています。それだけ後世に大きな影響を与えた王だったようです。

大塚古墳と断夫山古墳は同じ時期に造られています。6世紀前半頃です。案内の岡田さんの考えでは、大塚古墳の王と断夫山古墳の王が提携し、いわゆる「尾張氏」が誕生したのではないかということでした。

志段味古墳群と断夫山古墳が少し結びつき、一層古墳への関心が高まりました。

志段味古墳群2019 つづく
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東谷山古墳群(2) 名古屋市守山区

2018年05月01日 17時30分11秒 | 名古屋市守山区
尾張戸神社古墳
中社古墳をさらに登っていきますと、やっと頂上にたどり着きます。頂上は尾張戸(おわりべ)神社になっていました。

尾張戸神社本殿

ここも古墳です。
現地案内板では、
尾張戸神社古墳は4世紀前半に築かれた径約27.5mの円墳です。名古屋市でも最も高い東谷山(標高198.3m)の山頂に立地します。墳丘上には、古代豪族尾張氏の祖先神を祀る尾張戸神社の本殿が位置します。2段に築かれていたと考えられますが、2段目の墳丘は大きく削られています。墳丘の斜面に積み上げられた角礫の葺石の上には石英が撒かれていました。多くの石英を用いて古墳を飾る特徴は山麓の前方後円墳・白鳥塚古墳と共通し、白鳥塚古墳に葬られた庄内川流域の首長を支えた有力者の墓と考えられます。

山頂尾張戸神社からの眺望 多分東の方が見えているのだと思いますが、どこだかよく分かりませんでした。

付け足しです
今朝(2018年4月30日)の中日新聞に、尾張戸神社でイベントがあったことが記載されていました。ちょうど登山した日の午前中にそのイベントがあったようです。私たちが登る前に下りてきた人たちに食堂でお話をお伺いすることができました。

尾張戸神社のイベントを伝える中日新聞

東谷山古墳群 おしまい
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東谷山古墳群(1) 名古屋市守山区

2018年04月30日 09時14分08秒 | 名古屋市守山区
季節もよくなりました。4月29日(土)は名古屋市守山区と瀬戸市の間にある東谷山に行きました。

東谷山は、その西に志段味古墳群がありますが、東谷山自身にも古墳があります。

志段味古墳群 名古屋市守山区
志段味古墳群(2) 名古屋市守山区


東谷山フルーツパークの案内図

東谷山27号墳
この案内図の右側に東谷山があり、その頂上に至る道の途中に古墳がありますが、まだ見ていません。そこで、今回登ってみることにしました。登り始めて最初に出会ったのは、「東谷山27号墳」と言う横穴式石室でした。

東谷山27号墳の石室の跡

案内板では、
右にある石組は、東谷山27号墳の埋葬施設である。横穴式石室で、もとは墳丘で覆われていました。東谷山の山裾から段丘面を中心に、横穴式石室を持つ古墳が約50基築かれました。
と書かれていました。


50基ですから結構多いと思いました。この上にはまだ大きな古墳がありますので、この石室はそうした大きな古墳を作った人より下の位置にいた人かもしれません。そういう人が50基も墳丘を作ったということは、ここに一つの権力があったのかなあと思いました。


さて、急な階段を登っていくと、次の古墳南社古墳が見えます。

南社古墳

南社古墳

説明版によれば、
南社古墳は4世紀中ごろに築かれた径約30mの円墳です。東谷山の南側の峰の頂部に立地します。古墳は2段に築かれ、1段目斜面に東谷山で取られた角礫、2段目斜面に東谷山麓の段丘で取られた円礫の葺石が積み上げられています。麓から古墳を見上げた時に目立つ2段目の斜面を、わざわざ麓から運んだ石で飾っていることは注目されます。本古墳の埴輪は中社古墳のものと同時に製作されたもので、東海地方では最古級の埴輪です。中社古墳に葬られた庄内川流域の首長を支えた有力者の墓と考えられます。

2段目の葺石を麓から取った石で敷いたということは、東谷山の石ではなく、麓の石をここまで運ぶだけの動員力を持っているということの誇示でしょうか。

この山に登りながら「頂上に神社があるけど、祭礼の時にはいろんなものを運ぶのが大変だろうね。」と、一緒に登っていた人と話していました。それほどこの登山道はきつい道でした。(年寄りには)

中社古墳
さらに登っていくと中社古墳が見えてきました。この古墳は、前方後円墳です。

中社古墳 前方部分からみた円墳

中社古墳復元図 案内板より

案内板の説明では、
中社古墳は、4世紀中ごろに築かれた長さ63.5mの前方後円墳です。東谷山の山頂から南にのびる尾根上に立地します。後円部は3段、前方部は2段に築かれ、斜面には葺石が積み上げられています。墳丘各所に埴輪が並べられていますが、後円部の北側では、三角形の透穴をもつ円筒埴輪列が、元の状態をほぼ保ったまま埋もれていました。本古墳の埴輪は東海地方最古級のもので、当時の政治の中心地であった大和から直接的に伝わってきたものと推定されます。本古墳は庄内川流域を治めた首長の墓と考えられます。

下にあった円墳はこの地域の有力者、そしてここにある前方後円墳はこの地域の首長の墓というわけです。前方後円墳という形からなるほどと思いました。それにしても三角窓の円筒埴輪が大和から伝えられたものと推定していますが、この地域が焼き物の産地であったことを考えると、ここで生産されたことも考えられないかなあと思いました。


円筒埴輪
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東谷山フルーツパーク 名古屋市守山区

2015年06月07日 18時42分01秒 | 名古屋市守山区

もう、すぐそこまで梅雨が来ています。今日は、梅雨の前の小休止でしょうか。一日雨も降らず、かといって気温もさほど上がらず、絶好の行楽日よりでした。
東谷山フルーツパークに出かけました。妻がどこかに出かけようと声をかけてくれたからです。

ところで、このフルーツパークはすぐ近くに古墳がたくさんあるところです。


この看板は、フルーツパーク内にあったものです。フルーツパークの東西に古墳群があります。そして、以前にも記事にしましたが、この地域を「歴史の里」として整備する計画があります。古墳を実際に500円で掘る体験ができるという企画があったものです。

志段味古墳群 名古屋市守山区(当ブログの記事)
http://blog.goo.ne.jp/midorishako/s/%CE%F2%BB%CB%A4%CE%CE%A4

このフルーツパークに隣接するだけあって、「歴史の里」構想を宣伝する看板がいくつか見られました。先の記事では2015年部分オープン、2018年全面オープンということでしたが、今日見た看板にはいつオープンとは書いてありませんでした。
どんな風になるのか、大変興味深いです。

以下看板の紹介






計4枚のパネルが掲示してありました。
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