愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

湯築城跡(2) 愛媛県

2015年11月25日 14時15分28秒 | 愛媛県
湯築城跡には午後4時30分ごろに着きました。このごろは日が落ちるのが早く、雨も降っていましたので、少し気持ちがせっていました。

湯築城跡全景

湯築城跡航空写真(現地パンフレットより、文字等は加筆しました。)中央の山が私には古墳に見えてしまい、「もしかしたら元は古墳ではなかったのか」と秘かに思っていました。しかし、古墳ではなかったようです。


案内板。湯築城跡は国指定の史跡です。

外堀

外堀。すぐに見えました。きれいに整備されていました。

搦手(からめて)

搦め手。城の裏手になります。今は表玄関になっていました。これは城の中から写した画像です。これもきれいに整備されていました。小高い堤防は外側の土塁です。湯築城は、堀と土塁で防備を固めていました。

武家屋敷と土塀

画像の左側が武家屋敷。右が土塀と門です。今、お金持ちの家として建っていてもおかしくないような家です。発掘では、この下から屋敷の礎石が見つかり、部屋の間取り等も分かったそうです。


屋敷の中には、当時の武士たちの様子が人形にして展示してありました。左奥の人だけ帽子(烏帽子)を着けていません。そしてなにか考えています。服装も他の人と異なっている気がします。何者でしょう。坊さんでしょうか。


こちらは、台所の様子です。お盆に湯飲みが5つ並んでいます。人のすぐ前には、茶釜があります。今から客人にお茶を出すところでしょうか。茶釜の横には、饅頭らしきものがあります。また、この人も烏帽子が無く、頭が坊主です。この頃の下人の一般的な姿でしょうか。


庭園借景

湯築城跡は、大変きれいに整備されていて、ちょうど朝倉遺跡のようでした。朝倉遺跡はもっと大規模でしたが、湯築城跡は、松山市民が気軽に歴史に触れることのできる公園だと思いました。
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湯築(ゆづき)城跡 愛媛県

2015年11月24日 08時59分09秒 | 愛媛県
松山城の次は、湯築城です。
所在地 松山市道後公園

湯築城跡は、松山城から東へ約2キロから3キロぐらいの距離です。道後温泉のすぐ近くでした。

関係する武将
河野氏 湯築城は、伊予国の守護河野氏の拠点として栄えました。南北朝期に河野通盛がここに本拠を置いてから約250年間戦国時代まで河野氏が拠点としていたそうです。その後近くの細川氏の侵入や一族間の抗争がありましたが、戦国期に豊臣秀吉が四国攻めを行った際、秀吉軍の小早川隆景に河野通直(牛福丸)が敗れ、河野氏の伊予支配は終わりました。

全国に広まる河野氏
河野氏は、全国に広まっているそうです。

中世河野氏の諸国への広がり(現地資料館の資料より)

この図を見ると、愛知県にも織田信長の家臣として河野氏(通勝)がいたことが分かります。親鸞に帰依したそうです。信長は真宗とは激しく対立しましたが、河野氏は家臣としてうまくやっていけたのでしょうか。

福井県 河野村
さて、河野といえば、先日福井県の右近家を訪れましたが、右近家のあるところも旧河野村と言いました。

福井県 旧河野村 右近家

ウィキペディアでは、以下のように河野氏とのつながりを記しています。

越前国の河野村は、南北朝時代に京に上った河野氏の一族が戦に破れ、流浪の末に築いた村といわれる。現在も河野家と同じ家紋を瓦に残している。

一遍上人も河野氏
また、踊念仏で有名な一遍上人も河野氏ゆかりの人でした。

一遍上人は、源平合戦で源氏側についた河野通信の孫に当たります。
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若越城の会 見学会 松山城 愛媛県

2015年11月22日 07時44分42秒 | 愛媛県
11月13日(金)から11月15日(日)、「若越城の会」の見学会に参加しました。
コースは、以下の通りです。

13日(金)伊予松山城、同湯築城(資料館)
14日(土)高知城、岡豊城(高知県立歴史民俗資料館)
15日(日)香川栗林公園、高松城

福井県からバスで回りました。コースも宿も食事も、旅行会社ではなく、会の方が考えたもので、大変有意義なものとなっていました。

13日
朝は、大変早かったです。コースの中の湯築城資料館に間に合わせるために朝早く出発しました。最近オープンした「舞若道路」を通り、岡山県を縦断し、瀬戸大橋を渡って、四国に入りました。

吉備サービスエリアにいた桃太郎。

松山城
最初の見学地は、松山城です。以前に訪問したことがあります。
そのときの記録は、こちらから 松山城 愛媛県

しかし今回の見学では、こんなことも発見しました。

石垣の雨どい

石垣の表面に色が違っている部分があります。上の方に「とい」のようなものがあります。城の排水溝です。水はけをよくするために、石垣のなかに設置されていました。ここから雨のときに水が下に流れるので、その水の通り道だけ周りの石垣と色が違っているのです。

戸無門(となしもん)の柱

この柱に継ぎ足した跡がありました。松山城は、天守閣が現存する12のうちの一つですが、こうして昔の姿を今に伝えているのだと感心しました。なお戸無門は、国の重要文化財です。

天守閣

松山城の天守です。今は3階建てですが、築城者の加藤嘉明が建てたときは、5層6階だったそうです。縮小改修を行ったのは、松平定行と言う大名ですが、幕府に対する遠慮ではないかといわれているそうです。

天守閣でもう一つ気がついたことは、石垣が下のほうとぜんぜん違う事です。下のほうの石垣は、わりと粗く造られていましたが、天守の石垣は、ぴったり石と石がかみ合うように積み上げられていました。

天守の石垣

一つの城でも場所によって石垣の積み方が違っていました。これは、天守を立派にするためなのか、それとも築城年代が違うからなのか、どちらだろうと思いました。
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松山観光ボランティアガイドの会から 愛媛県

2015年09月23日 06時33分07秒 | 愛媛県
昨日松山市から郵便物が届けられました。
なんだろうと思って、開封してみると、松山城のクイズについてのものでした。

先日松山城を訪れた際、クイズのコーナーがあったので、それに回答してボックスに入れました。
住所の記入欄もあったので、記入しておきました。その時は、「もしかしたら、あとで連絡があるかもしれない」と思っていましたが、もうすっかり忘れていました。

郵便物には、ご丁寧にクイズの一つ一つの問題について添削がしてあり、別紙で解答・解説まで添えられていました。
松山城を訪れた方は、何万人といらっしゃると思われます。クイズに応募された方もたくさんいらっしゃると思います。その方一人ひとりに、こうして郵便で対応されていることに大変感動しました。

また松山城が好きになりました。
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松山城(3) 愛媛県松山市

2015年08月08日 08時23分19秒 | 愛媛県
天主
天主の中は展示室になっていました。武具や古書などいろいろなものが展示してありました。

古い絵図でしょうか。松山城の縄張り図のようです。現在とあまり変わっていないので、江戸時代のものでしょうか。

甲冑の装着体験コーナーもありました。


天主最上階から本丸方面を見ることができました。

右から武具庫、その奥が太鼓櫓、左奥が巽櫓、手前が茶店、左手前は天主の屋根。

城下町の喫茶店
ということで大変充実したひと時を過ごすことができました。
下に下りて市街地で面白い喫茶店を発見しました。明治・大正・昭和の古道具を展示してある喫茶店です。お店の人のポリシーを感じました。
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