愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

邪馬台国の鏡は魔境

2014年02月23日 08時09分35秒 | 犬山市

 ちょっと昔の話ですが、中日新聞におもしろい記事が載っていましたので、紹介します。




古墳内部を照らし、仙人や神獣を写した鏡
 古代国家の形成で重要な役割を持っていた三角縁神獣鏡にこのような秘密があったとは、驚きました。
 愛知県の犬山市にある東之宮古墳について、この鏡が古墳の内部を照らし出すものという赤塚次郎氏の話は特に興味深かったです。
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うのはな館(歴史資料館) 東浦町

2014年02月16日 20時31分15秒 | 東浦町
3人の像
 そこから、歩いて「うのはな館」に行きました。風が強く、とても寒かったのですが、健康のためにと、歩いていきました。といっても500メートルぐらいでしたが。
「うのはな館」に入ると、まず水野忠政、於大、徳川家康の像が目に入りました。 桑山賀行さんという人が製作したようです。


入海式土器
 お目当ての「入海式土器」のレプリカが展示してありました。


海と関係が深い東浦町
 さらに、資料館では製塩の歴史についての展示がありました。


 最後に、東浦町の遺跡マップがあり、見事に現在の海岸線(川)から引いているところに並んでいて、昔は、知多湾が今よりも広かったんだということが分かりました。
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乾坤院 東浦町

2014年02月16日 20時24分11秒 | 東浦町
大雪
 2月14日は、愛知県も大雪でした。朝6時ごろは、まだ道路にも積雪がなく、何とか仕事に車で行けましたが、7時ごろから9時ごろまでの間にがんがん降ってきて、交通もかなり麻痺の状態でした。職場で、後ろから追突される人もいました。日ごろ雪が降らない県は、十数センチの積雪でも大慌てです。

 さて、翌15日は雪が心配されましたが、朝から雨で、おかげで雪もかなり消えました。そして16日(日)は、快晴になりました。所々雪が残っていますが。テレビを見たら、ラグビーの仕合で、秩父宮ラグビー場のグランドのまわりが雪だらけでした。関東地方の雪の量に驚きました。コートは、ほぼ乾いていて普通に仕合をしていましたが、ここまでに整備するのに、けっこう手間がかかっただろうなあと思いました。

乾坤院
 16日は、引き続き東浦町に出かけました。乾坤院と「うのはな館」の見学のためです。

乾坤院の山門。なかなか立派でした。

水野氏の墓
 乾坤院は、「於大公園」のとなりで、公園の駐車場から、歩いていけました。曹洞宗のお寺で、緒川水野氏の菩提寺です。ここに、水野氏のお墓がありました。

水野忠善公

水野忠元公

水野忠守公

左から水野守信公、水野信秀公、水野忠善公の娘

水野忠政公

 水野忠政だけは、別格で建てられていました。さすがは、中興の祖というだけの事はあると思いました。
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緒川城 東浦町

2014年02月16日 07時29分15秒 | 東浦町
緒川城跡は分かりにくかった
 東浦町の入海貝塚を見た後に、緒川城を訪れました。住宅地の中にあり、なかなか見つけるのが、困難でした。しかし、学校給食センターというところに看板があり、ようやく場所が分かりました。でも、この看板が分かりにくかったです。

グーグル、ストリートビューから

緒川城土塁跡
 この看板の地図にそって、ようやく緒川城にたどり着きました。

緒川城跡は、児童公園にありました。公園の北側に土塁の跡が残っていました。古地図によると以下のようです。

現地案内板にあった古地図

 城のほとんどは、住宅地となっていて、遺構は残っていません。ただ地名として、「古城」「羽城」「屋敷参区」などが残っているようです。

史跡全景写真

緒川城主は水野氏
 さて案内板によると、この緒川城の城主は水野氏のようです。水野氏といえば、三河一向一揆で家康側につき、活躍した水野藤十郎忠重、水野太郎作正重がいます。(松平記)また、水野下野守信元は、佐々木上宮寺に戦の準備をして陣中見舞いに来ています。(三河物語)村岡幹生氏によれば、この陣中見舞いで、和議の勧告をしているのではないかと言っています。

水野忠政は中興の祖
 緒川城水野氏と三河一向一揆の水野氏はどんな関係なのか調べてみました。
 まず緒川城関係の4代は、水野貞守、賢正、清忠、忠政、信元と続いた(Wikipedia)、とあります。
 この4代目水野忠政が水野氏中興の祖といわれ、三河一向一揆で活躍した水野下野守信元、水野藤十郎忠重の父親なのです。

水野氏から家康の母親が
 また、水野忠政は、徳川家康の母親である於大の父親でもあります。(Wikipedia)

於大出生の地の石碑がありました

 水野太郎作正重は、水野藤十郎忠重と相婿であると、松平記で紹介しています。ただそれ以上のことは分かりません。
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入海(いりみ)貝塚 東浦町

2014年02月09日 16時55分00秒 | 東浦町
 昨日は、雪が降って、愛知県も大変でしたが、今日はうって変わって晴天に恵まれました。そこで、今回は、東浦町に出かけました。
東浦町とは

東浦町は、知多半島の付け根に位置する町です。愛知県では、平成の合併で町がかなり減りました。14の町のうちの一つです。

東浦町には、いろいろな史跡がありますが、その一つ、入海(いりみ)貝塚を訪れました。
入海貝塚は、入海神社の境内にあります。

入海神社ではもち投げが

入海神社鳥居


入海神社拝殿、狛犬が修理中でしょうか、青いシートに包まれていました。

 今日は、鳥居のところに会った行事予定では、「建国祭」でした。偶然出会った地域の人に尋ねたら、「今日は、もち投げがあるんだよ。」と教えてくれました。


持ち投げのために、櫓が設営されていました。おそらく関係者の方だと思いますが、早くから準備をされていました。

入海貝塚は縄文早期の貝塚
入海貝塚は、境内の中にありました。国指定の史跡です。

入海貝塚の石碑


石碑の裏にあった説明板

 入海貝塚は、縄文早期後半の遺跡です。貝塚からは、ハイガイが約75%、マガキが約15%みられ、他にアカニシやシジミが見られるそうです。また、出土した土器は、「入海式土器」とよばれ、この貝塚は、入海式土器の標識遺跡だそうです。
入海式土器が出土したら、その遺跡は縄文早期ということになるということでしょうか。

 どんな土器なのか、こんど「うのはな館(東浦町郷土資料館)」に行って、見てきたいと思います。
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