黍生山から下りたら、次は井ノ口城です。井ノ口城というのは、「信長公記」で斉藤道三の居城として登場しますが、それではありません。
井ノ口城は、黍生城の南にあります。しかし、標高は150mで比高は20mです。ほとんど平地にあります。
井ノ口城の位置(地理院地図より作成)
井ノ口城は、「参河国二葉松」では「戸田右衛門尉忠勝」とあり、「日本城郭体系9」では「鈴木重政の築城」とあります。戸田右衛門とは田原城のあの戸田氏と関係があるのでしょうか。また鈴木重政という武将は、足助鈴木氏の2代目の人です。足助鈴木氏は真弓山城を本城としていましたので、この井ノ口城は支城としての役割があったのでしょう。
黍生城を登った道で降り、そこから井ノ口町の方へ歩いていきました。約2kmです。30分ほど歩いて、ようやく井ノ口城につきました。
井ノ口城全景(東から撮影)
井ノ口城イメージ
井ノ口城は竹と藪で覆われていて、なかなか大変でした。
登り口は西曲輪の北の方からでした。ここは、大きな堀切になっていました。
西曲輪と東曲輪の間の堀切
これは大変見ごたえがありました。この曲輪を横断する堀切は、昔長野で見た「三日市場城」を思い出しました。その時に案内の方が言われた「どうして曲輪を二つに仕切るように大きな堀切や土塁があるのでしょうか」と見学者に投げかけた問いを思い出しました。
また西曲輪は、草が刈ってあったので、見事な切岸もみることができました。
西曲輪の切岸
東曲輪(北側)
これは東の曲輪を写したものですが、藪がひどくて詳しい状況が分かりませんでした。東曲輪は全体が藪と竹やぶで覆われていて、よく分からなかったので、残念でした。
井ノ口城は、里にできており、戦の時の砦というより居城という感じがしました。しかも結構大きかったので、藪で覆われていたことがとても残念でした。
愛教労 城の会 6月22日 市場城めぐり