所用で広島市に行くことがありましたので、途中の三原城跡に寄ることにしました。新幹線岡山駅で「こだま」に乗り換え、各駅停車で三原駅に行きました。新幹線なのに、「各駅停車」というのも変な感じですが、「のぞみ」に比べると一つ一つの駅に止まり、待ち時間もあったりして、さながら、鈍行の各駅停車のようでした。
城下町三原
さて、三原駅に着くとさっそく、「城下町三原」の幟が立っていました。
三原市は、三原城の城下町だったのです。三原城は、毛利元就の三本の矢で有名な小早川隆景が拓いた城です。
以下、瀬戸内三原築城450年事業推進協議会「三原 城下町を歩く」より
三原城下町は、三原城の東西に形成されました。永禄10年(1567年)に小早川隆景が三原城を築き、天正10年(1582年)頃から三原城と東側の城下町の整備がすすめられました。この頃に、沼田地方から多くの寺院が城下町へ移されました。
慶長5年(1600年)、福島正則は三原城に子正之を置き、西町の町割を行ったと伝えられます。
東町、西町とも山陽道が通り、街道から小路が形成され、現在でも大善寺通り・宗光寺小路などの小路が残り城下町の景観を留めています。
散策路
鉄道の下の石垣
はじめに天守台に登りました。駅から案内表示が出ていましたので、すぐに行けました。天守台と駅がくっつくようになっていました。明治時代に、ここに鉄道を引くときに他に場所がなかったために城跡にどんと鉄道を通したそうです。
石垣の上を通る鉄道。石垣は削られてしまいました。
天守台
天守台はけっこう広かったです。
天守台を降りて、全貌を見たいと思い、うろうろしていましたら、運よく観光案内ボランティアさんに出くわしました。時間が1時間少々ということを告げるとボランティアの方は私一人しかいないのに案内をしてくれました。
ありがとうございました。
塩田で栄えた町
駅に江戸時代の絵がありました。絹本著色登覧画図というのだそうです。
この絵の左側に注目すると、塩を作っている様子が描かれています。三原の産業として塩があったので、江戸時代は裕福だったとボランティアさんが言っていました。
小早川隆景の像
天守台の西側に天守台を見つめるような向きで小早川隆景の像がありました。
「この像は駅前に建てるべきではないか」(現在は駅の南側に繁華街があります。像は駅の北側にあります)
「いや、隆景さんは毎日天守台を見ることができるから、ここでいいんです。そのうちに天守閣ができれば、天守閣をずっと見守っていることができる。」
ということで、この地におられるそうです。
城下町の小路
町に入っていきますと、小さな小路があり、まさに城下町の雰囲気が残っていました。
ガイドさんは、かなり三原の町を知っていらっしゃるようで、この家は、何年前までは住んでいたのに、引っ越されたとか、ここは校長先生の家でたまにお茶会をしているとか、いろんなことを教えていただけました。
三原を愛するガイドさん
おじいさんやおばあさんが、坂の多いこの街で生活していくことが難しくなったこと子どもさんやお孫さんが街に出て行って戻ってこないこと、だからそちらのほうに引っ越していくことなどをさびしげに語ってくれました。
すごく三原の町を愛している方だなあと感心しました。