愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

大須観音 名古屋市中区

2016年01月31日 18時49分45秒 | 名古屋市中区
今日は久しぶりの快晴です。どこかに出かけようということで、大須観音に行きました。大須通りという繁華街があるのですが、それを見たいという人がいましたので、せっかくなら大須観音を見に行こうとなりました。

大須観音。左側は「普門殿」、右は本殿のようです。きれいな青空の下赤い色が映えます。

「普門殿」の中には仏様がいらっしゃいました。阿弥陀様や大日如来様などがそれぞれ干支によって分かれて鎮座されていました。

これは千手観音様です。干支は「ねずみ」でした。干支によって守ってくださる仏様が違うようでした。自分の干支の仏様は何だったか、忘れてしまいました。
その他に小さな観音様でしょうか、たくさん立っておられました。


山門には仁王様がおられました。

山門の仁王様「ん形」


同じく「あ形」

大須観音をお参りした後、「観音通り」などの通りを散策しました。さすがは名古屋です。看板に韓国語、英語、中国語で「歓迎」が表示されていました。また、人もたくさん出ていて。若い人も多かったです。






若越城の会 新年会

2016年01月26日 15時54分59秒 | 日記
1月17日、若越城の会の新年会に行きました。いつもですと、雪の方が心配ですので、パスさせていただいているのですが、案内をいただいた頃は「今年は暖冬」という予想がありましたので、もしかしたら車でいけるかもしれないと思い、参加させていただくことにしました。
すると、1月中旬は見事に雪予報。やむなく電車で行きました。会場は若狭です。米原から久しぶりに「しらさぎ」に乗りました。30年ぶりでしょうか。北陸線をゆっくりと敦賀まで楽しみました。途中、「疋田」のあたりで雪が積もっていました。「電車にしてよかった」と思いました。

会場は「湖上館 パムコ」という小さなホテルでした。ホテルから三方五湖の一つ水月湖がきれいに見えました。

水月湖

また、このホテルで地ビールを飲むことができ、3種類でました。私は黒ビールがおいしかったです。

さて、新年会では今年の秋の見学会をどこにするのかが話題になりました。「愛知には古戦場がたくさんある。桶狭間、小牧長久手、長篠、三方が原など。それに名古屋城はまだ3分の1だが本丸御殿ができている。清洲城や岩崎城、石垣が出ている小牧城、国宝の犬山城も見所だ。」という声があり、なにやら愛知県になりそうな感じでした。

愛知での見学会になれば、愛知の方が参加しやすいと思います。決まったら、ブログでも報告しますので、ご期待ください。

名古屋市タウンミーティング 

2016年01月25日 09時36分47秒 | 日記
1月14日、名古屋市緑区区役所にて名古屋城木造再建についてのタウンミーティングが行われました。私自身は以前から参加するつもりでいましたが、今回、「若越城の会」の方で、ぜひ参加したいと、わざわざ福井の方からお越しいただき、二人で参加しました。そういう点では全国的に注目されていると、改めて思いました。

はじめに名古屋市の職員の方から天守閣の再建についての説明がありました。説明は、プレゼンで行われました。この中で、焼失前の名古屋城の写真が700枚以上あること、天守閣の規模が姫路城より大きいこと(延べ床面積で、名古屋城約4564.0㎡、姫路城約2409.0㎡)などを新たに知ることができました。簡単な説明用パンフレットもいただきました。

タウンミーティングのパンフレット

私は、以下のような問題意識を持って参加しました。以下、タウンミーティングでの結果。

1 発掘調査は必要ないか。名古屋城は、もともとは戦国時代に今川氏親が築いたとされています。その遺構を再調査する必要はないか。
話題にならず
2 木造復元した場合、
①急な階段などが復元されるが、足の不自由な人への配慮をどうするのか。
 重要な課題である。お年寄りや足の不自由な人は、おんぶをして上がればよい。そのほうが暖かい。エレベーターは付けるつもりはない。
②耐震や防火の設備が必要になるが、それらの設備が木造復元の技術と矛盾しないか。
話題にならず
③せっかく木造で復元するのであれば、木造の技術を見せる必要があると思うが、どのように見せるのか案はあるのか。
話題にならず
④最悪天守閣の中に入れないことも予想されるが、見学と復元とのバランスをどうするのか。
市の話を総合すると、天守閣には人を入れるつもりで考えているようだった。
⑤現在天守閣が持っている博物館としての機能はどうするのか、なくすのか別につくるのか。
細かいことは後で考える
⑥戦後のコンクリート再建で「二度と燃えないでほしい」という名古屋市民の声があったが、特に防火という点でどうするのか。
話題にならず
3 天守閣以外の整備について
①現在、本丸御殿の復元工事(平成30年終了予定)、石垣の修復工事を行っているが、同時進行で天守閣の復元工事ができるのか。
はっきりしない
②他の史跡で、二之丸庭園の整備をどうするのか。
話題にならず
③西之丸と本丸表門馬出の切り離しをしなくてもいいか。
話題にならず

 ということで、案の定というか、木造再建した場合に心配されることは「細かいことは後で」という雰囲気での話しだったように感じました。もっぱら、話題の中心は400億円をどうするかということで、河村市長は「市債は財産である」という私には理解できない回答を繰り返し、市民の負担はないとうことを強調していました。
 その他、河村市長の強調していたことは、名古屋城天守閣は日本一大きいということ、早く取り掛からないと、木材がなくなること、(江戸城より遅れると、この計画は終わりとも言っていました)アンケート結果(木造賛成が15%)は、文化庁の見解が分かる前のもので、正しくない、などです。

 全体として細かいことは語らないで、木造にすればこんないいことがあると、木造再建の宣伝の場になっていると感じました。
 
 これからも、名古屋城再建問題には注目していきたいと思います。

知多大草城跡 知多市

2016年01月12日 14時00分36秒 | 知多市

知多大草城 展望台

見学日 2016年1月3日

先日常滑市の大野城を見学しましたが、すぐ近くに知多大草城があります。大草城は他に長久手市や幸田町にもありますので、ここでは知多大草城とします。また豊田市の市場城も別名大草城といいます。

関係する武将
織田長益(ながます) 織田信長の弟。織田信長に弟がいたというのは、あまり知られていません。はじめ、信長に大野城を与えられましたが、大野城は水の便が悪く、ここに新しい城を造ったそうです。しかし、天正14年(1586年)長益は、豊臣秀吉によって摂津の国に所領をあてがわれ、いったん廃城になりました。
山澄淡路守英龍 尾張藩の重臣。古城となった大草城跡に隣接して屋敷を構え、その維持・管理を行ったそうです。山澄氏は、ほぼ江戸期を通して、これを行ったそうです。
※参考 「愛知の山城ベスト50」

尾張大野城の様子はこちらから 尾張大野城(1)常滑市

大草城は、城跡のほぼ全体が大草公園となっています。

大草城の概要(Yahoo地図に加筆しました)図の左下が、山澄氏の屋敷跡です。

例によって史跡の周りをぐるぐる回って駐車場を探しましたが、今回は東側の「津島神社・地蔵寺」の駐車場を見つけることができ、そこに停めさせていただきました。そこから入るとすぐに城跡東側の堀を渡ることができました。

Ⅰ郭の水堀

橋から南のほうの池を写しました。なかなか幻想的でした。

ここに珍しい蝶がいるらしく、カメラを構えた方がいらっしゃいました。何を撮っているのかとお伺いしたところ、越冬している十数羽の蝶が木の葉にとまっているところを教えてくれました。なかなか自然豊かな公園です。

Ⅱ郭の土塁
Ⅰ郭の虎口を通ろうと振り返るとⅡ郭東の土塁が見えました。とても大きかったです。


Ⅰ郭の北土塁と空堀
Ⅰ郭に入ると右側にⅠ郭北の土塁が見えました。少し低くなっていました。公園整備の際に削られたのでしょうか。また、1郭とⅡ郭の間の掘も残っていました。少し浅くなっていました。


展望台
Ⅰ郭に展望台がありました。お城の形でした。

展望台から南の方を見ると山の上にちょこんと大野城が見えました。

大野城

Ⅰ郭東土塁
Ⅰ郭の東側の土塁はすごく高かったので、びっくりしました。

Ⅰ郭東土塁。高さ6m、下幅15m、上幅6m前後だそうです。(「愛知の山城ベスト50」より)

土塁は登ることができました。Ⅱ郭の方を歩いていますと、大きな虎口がありました。

Ⅱ郭の虎口。「愛知の山城ベスト50」によれば、外枡形だそうです。

山澄氏の屋敷跡を訪ねましたが、周りを生垣で囲い、中は平地になっていました。

外郭の土塁跡
また、公園から北西方向に畑があり、土塁と思われる遺構を見ることができました。現在は畑になっていました。


そして公園北の今は削られて家が建っているという土塁跡は、立派なアパートになっていました。

枡形虎口の名残
同じく公園北の曲がった道(枡形虎口の名残)も、見ると「なるほど」と思いました。

名古屋城木造復元について まとめ 名古屋市中区

2016年01月11日 11時54分27秒 | 名古屋市中区
現在名古屋市では名古屋城天守閣の木造復元についてタウンミーティングが開催されています。この問題を考えるために掛川城と名古屋城を見学しましたが、私なりに考えをまとめてみました。

1 発掘調査は必要ないか。
名古屋城は、もともとは戦国時代に今川氏親が築いたとされています。その遺構を再調査する必要はないか。

2 木造復元した場合
①急な階段などが復元されるが、足の不自由な人への配慮をどうするのか。
②耐震や防火の設備が必要になるが、それらの設備が木造復元の技術と矛盾しないか。
③せっかく木造で復元するのであれば、木造の技術を見せる必要があると思うが、どのように見せるのか案はあるのか。
④最悪天守閣の中に入れないことも予想されるが、見学と復元とのバランスをどうするのか。
⑤現在天守閣が持っている博物館としての機能はどうするのか、なくすのか別につくるのか。
⑥戦後のコンクリート再建で「二度と燃えないでほしい」という名古屋市民の声があったが、特に防火という点でどうするのか。

3 天守閣以外の整備について
①現在、本丸御殿の復元工事(平成30年終了予定)、石垣の修復工事を行っているが、同時進行で天守閣の復元工事ができるのか。
②他の史跡で、二之丸庭園の整備をどうするのか。
③西之丸と本丸表門馬出の切り離しをしなくてもいいか。

しかし、タウンミーティングに参加した人の話を聞くと、木造に伴う細かいこと(私にとっては大切なことですが)は、業者の報告が出るまで分からないといって、答えないそうです。そして、市長から木造がいいという話が一方的になされるということらしいです。(もっとも木造に反対する人の話ですが)
そういったことも頭の片隅において、のぞみたいと思います。