愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

クタラキ山城 福井県大野市

2018年06月25日 09時54分06秒 | 福井県
先日、若越城の会より「クタラキ山城」に登りませんかという案内が来ました。
クタラキ山城は、織田信長の時代に、信長の家臣である金森長近が美濃から越前へ攻めてくるというので、越前の一向一揆衆が、それを迎え撃つために築いた城ということです。
また、水戸の天狗党が敦賀に入る際に「蠅帽子(はえぼし)峠」(クタラキ山城)を通ったという記録もあるそうです。

ということで、現地の城を研究している方2名と城の会3名さらに蠅帽子峠を目指す武生の山の会の方数名で登山をすることになりました。

案内をしていただける地元の研究者

登山は難航を極め、山には「やぶ」と称する低木が生い茂り、顔面に当たらないようにその枝を手で払いながら、足元は枯れ葉が積もっていたり、切り株が鋭利な切り口をのぞかせていたり、根っこがむき出していたりで、それに足を取られたり、滑らせたりしないように細心の注意を払いながらの登山でした。
川も渡りましたが、折からの梅雨時で水量が増していたらしく、長靴にはもう少しで水が入ってきそうでした。そこで、浅いところを見つけながら、なおかつ川底の石に足を滑らせないように、これも細心の注意を払いながら川を渡りました。

城には、曲輪が数か所と畝状竪堀が4条あるということでした。確かにそれらしき跡が残っていました。しかも、このクタラキ山城のある山を「夜引山」というそうで、「一向衆が夜にここを引いたから、この名前がついたのではないか」と地元の研究者の方が言っておられました。

もう一つの発見は、美濃から越前に抜ける蠅帽子峠を越える古道の跡があったことです。岐阜県側では整備が進んでいるそうですが、福井県側は手つかずになっています。なんとか整備をしてもらいたいと思いました。


沢登り、藪漕ぎをして上る一行


クタラキ山城より下流の古戦場跡 ここから金森軍に向かって石で攻撃したのではないかと地元の研究者の方が説明してくださいました。

奥深い大野の山に越前一向一揆の跡があり、敵と戦う一向衆の姿が目に浮かぶようでした。
大野の研究者の方、ありがとうございました。

入尾城 瀬戸市

2018年06月17日 16時23分57秒 | 瀬戸市
久しぶりの史跡めぐりです。「日本城郭体系9」に、入尾城がありました。

入尾城は、平安時代の末に平良兼の子孫滝口影貞によって築城されたそうです。
瀬戸市で最も古いお城だそうです。
この地は、水野郷と呼ばれ、滝口氏は後に水野氏を名乗ったそうです。水野氏と言っても、水野忠政の知多半島の水野氏とは別系統だそうです。(知多の水野氏は源氏が源流だそうです。)
水野氏は、室町時代の初め頃内紛が起き、勢力が衰え、時の城主水野致高(むねたか)が美濃守護の土岐持益に仕え、美濃の野尻村に移ったので、入尾城は廃城になりました。応永年間(1394~1428)のころだそうです。

入尾城の位置(Yahoo地図より作成)
入尾城は、北に高座山、玉野川(庄内川)、南に東谷山などに囲まれた天然の要害です。

入尾城は、現在は八幡神社になっています。

八幡神社鳥居

八幡神社本殿

この八幡神社の鳥居や常夜灯は「皇紀二千六百年」と記されていました。戦前にリニューアルしたようです。
また、名木として「アベマキの木」があり、それが「みずの名木物語」として紹介されていました。この辺りを「水野」と昔から呼び、現在に伝わっていました。昔の地名が残っていることは、とてもうれしいことです。

みずの名木物語


入尾城南の東谷山
入尾城のすぐ南側にありました。


入尾城北の玉野川(庄内川)
かなりの渓谷になっていました。

山と川に囲まれた要害であることがよくわかりました。

桶狭間の戦い再現劇 名古屋市緑区

2018年06月13日 17時18分36秒 | 名古屋市緑区
けっこう忙しくて、なかなか史跡めぐりができません。
そこで、今回も新聞記事から紹介します。

6月10日は、桶狭間の戦いがあった日だそうです。「信長公記」では天文21年(1552)5月19日に合戦があったとされています。天文21年は、今では永禄3年(1560)の間違いで、筆者太田牛一または写した人の誤記だとされています。日付は5月19日ですが、これについての議論は聞きませんので、新聞が言う6月10日は、旧暦を新暦に改めた日付かもしれません。
いずれにしても、雨の多い季節に戦われたことは間違いないようです。

中日新聞6月12日より

名古屋城本丸御殿復元完了 名古屋市中区

2018年06月09日 11時46分46秒 | 名古屋市中区
6月9日、朝刊(中日新聞)に名古屋城本丸御殿が復元を完了し、お客さんがいっぱい見に来ていることが報道されました。
近所の方で、見に行った方もあり、「きれいだったよう。」とのことでした。

中日新聞の記事

私は、待つのが好きではないので、もうしばらくしてから見に行こうと思います。

大岡白山神社 安城市

2018年06月04日 06時11分31秒 | 安城市
6月2日、例年行われている平和行進に参加しました。これは、広島・長崎の原爆を忘れないためにアピールをしながら、歩いて行進するというものです。
その日は、岡崎市から始まり、午後は安城市を行進しました。

平和行進(安城市1号公園)

さて、その平和行進の安城市の出発点が、大岡白山神社というところでした。

安城市大岡白山神社の赤い鳥居

まず、白山から遠く離れた愛知県安城市に、白山神社という名前の神社があることに驚きました。

中に入ると徳川の葵の御紋があり驚きました。

拝殿の戸に彫られている葵の御紋

さらに境内を見学していますと、熱田神宮で見た織田信長寄進の塀とそっくりの塀がありました。

熱田神宮の織田信長寄進の塀によく似た塀

昭和55年(1980)に修復工事をしたという札に「信長塀」としっかり信長の字がありました。

信長の字が見えた札

偶然ではありますが、白山といい、葵の御紋といい、信長といい、不思議な神社を見ることができました。