愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

天白元屋敷遺跡へ行ってきました 名古屋市守山区

2014年10月27日 22時31分04秒 | 名古屋市守山区
 10月27日、中日新聞で報道された「天白元屋敷遺跡」へ行って見ました。


 天白元屋敷遺跡は、守山区の志段味町で近くに、以前訪れた古墳の遺跡がたくさんあるところでした。(2013年12月に志段味古墳群を訪れました)その古墳群のすぐ西にありました。近くを庄内川が流れ、すぐ隣が守山高校でした。

やはり重機が

遺跡の南のほうから撮ったもの

 地図で守山高校の南側に小さな川が流れています。そこから遺跡の方に近づいてみました。写真はそこから撮ったものです。元屋敷遺跡の南側を歩きましたが、葦が一面におい繁り、とても遺跡の様子はわかりませんでした。しかし、重機らしきものが動いていました。

発掘中
 遺跡の南東を走る県道15号線には、下のような看板がありましたので、発掘は終わったわけではなく、継続していることがわかりました。


進出するスーパーはアピタ
 そして、やはり県道15号線沿いに進出するスーパーの名前がでかでかと出ていました。

 アピタができれば、この辺り一帯が駐車場などに変わってしまい、遺跡のスペースはなくなってしまうとおもわれます。もうちょっと東に「バロー」があるので、そんなにスーパーは要らないとおもうのですが。

三日市場よりもっとひどい名古屋市

2014年10月20日 07時52分17秒 | 名古屋市守山区
今日の中日新聞を見てびっくり。
名古屋市で遺跡の破壊が行われていました。
しかも「手続きミス」といっていますが、個人ではなく組織でやっているので、単純にそうですかとはいえません。
確信犯の疑いありです。
地権者組合と開発公社の双方が「やっていると思ってました」と罪を擦り付ける有様で、ことの重大性の認識が足りない気がします。


浦里公園 名古屋市緑区

2014年10月19日 10時44分15秒 | 名古屋市緑区
浦里公園の銅像
名古屋市緑区の浦里公園というところに銅像があります。

雉本朗造(きじもと ときぞう)という人です。

 雉本朗造は、大正時代にこの地に起きた「鳴海小作争議」において小作人の側に立って小作人を裁判で支援した人です。

鳴海小作争議を支援
 鳴海小作争議は大正6年に起こり、大正12年に解決しましたが、雉本朗造は、その1年前に謎の死を遂げました。「たまたま大正11年3月13日九州旅行方面に旅行の帰路、瀬戸内海で船上より行方不明となり、不慮の死をとげられた」(「緑区誌」2010年)

 争議に関わった小作人たちが、雉本朗造の死を偲んで、昭和5年にこの銅像を建立しました。(石堀山)そして昭和48年現在の浦里公園に移されたそうです。


公園に立てられている「雉本博士 銅像後援会」の看板

阿野一里塚 豊明市

2014年10月18日 20時14分24秒 | 豊明市
愛知県の一里塚
 愛知県は江戸時代には東海道が通っていました。東海道には一里塚がありました。今で言う「道路標識」です。この一里塚には榎などの木が植えられて、旅人が休憩できるようになっていたそうです。愛知県には、下記のように東海道に一里塚が置かれていたようです。(Wikipedia)

71里 - 細谷、豊橋一里山 (愛知県豊橋市東細谷町字一里山30-1) 豊橋市史跡
72里 - 二川 (愛知県豊橋市二川町字東町)
73里 - 飯村 (愛知県豊橋市三ノ輪町)
74里 - 下地 (愛知県豊橋市下地町四丁目)
75里 - 伊ノ奈 (愛知県豊川市伊奈町)
76里 - 御油 (愛知県豊川市国府町)
77里 - 長沢 (愛知県豊川市長沢町)
78里 - 本宿 (愛知県岡崎市本宿町)
79里 - 藤川 (愛知県岡崎市藤川町)
80里 - 大平 (愛知県岡崎市大平町岡田) 国の史跡
81里 - なし(岡崎宿内?)
82里 - 矢作 (愛知県岡崎市矢作町付近)
83里 - 尾崎 (愛知県安城市尾崎町)
84里 - 来迎寺 (愛知県知立市来迎寺町古城24-1) 愛知県史跡
85里 - 一ツ木、刈谷一里山 (愛知県刈谷市一里山町深田)
86里 - 阿野 (愛知県豊明市阿野町池下114、阿野町長根4) 国の史跡
87里 - 有松、鎌研橋 (愛知県名古屋市緑区鳴海町鎌研付近)
88里 - 笠寺 (愛知県名古屋市南区白雲町)
89里 - 伝馬町 (愛知県名古屋市熱田区伝馬二丁目4付近)
90里 - なし(海上七里)

 今日は豊明市の阿野一里塚を見に行きました。阿野一里塚は江戸日本橋から86里目に当たるそうです。また、現存する一里塚の遺跡の中では道の両側に残っている数少ない遺跡だということです。

東海道の北側の一里塚


道の南側の一里塚

江戸時代の榎か
 両側とも小高い塚のようなものがあり、特に北側の塚には古い木の株が残っていました。もしかして榎なのでしょうか。見る人が見れば、何の木の切り株なのか分かるとおもいますが、私にはわかりませんでした。

かなり根が露出していました。

南側の一里塚には江戸時代の石碑
 さらに、南側には「南無阿弥陀仏」と文字が彫ってある石碑が建てられていました。銘には文化とあり、江戸時代の石碑でした。どなたかここで亡くなられたのでしょうか。石碑は真ん中で折れた後があり、後世に補修したものと見られます。

岐阜城 岐阜県岐阜市

2014年10月12日 14時06分34秒 | 岐阜県
一宮から金華山
 10月11日(土)、金華山に行きました。先日一宮の「138タワー」というところに行き、そこから金華山が見えましたので、是非次回は行って見たいとおもいました。

一宮138タワー(138とは「いちのみや」をもじったものだそうです)


タワーから見えた金華山。(奥の黒っぽい手前の山です。中央の高い山の頂に岐阜城が見えました。)


138タワー、岐阜城、犬山城の位置関係です、

台風接近中の3連休
 しかし10月11日は、日がよくありませんでした。岐阜に行くまでに大渋滞(一宮辺りです)岐阜城についてからも多くの行楽客でいっぱいでした。
 なぜなら、11日から3連休で12日、13日は台風が来るかもしれないという情報があって、11日はどこの行楽地もいっぱいだったのだと思います。

岐阜市はどこでも見える金華山
 岐阜城に近づくと、市内からはどこからでも金華山が見えました。

この写真は岐阜城の直下のコンビニ駐車場から撮ったものです。

岐阜城にはロープウェイで
 岐阜城に行くには金華山を登らなければいけません。金華山は標高329mで登山には手ごろです。頂上に行くと、リュックを背負って登ってみえた方けっこういらっしゃいました。しかし今回はロープウェイを利用することにしました。ただし、けっこうな料金でした。往復1080円です。時間は片道10分以内です。


ロープウェイからの景色


 頂上に着き、さっそく岐阜城を目指しました。歩いて8分だそうです。入り口には門がありました。この門は、以前見た東条城、桜井城と同じでした。戦国時代はこういう門だったのでしょうか。


間近にみる岐阜城
 ようやく岐阜城をまじかに見るところまで来ました。


 岐阜城のすぐ近くに来ました。石垣ですが、何積みかちょっとわかりません。以前見てきた「野面積み」ではないようです。


地球儀
 岐阜城の屋内では、いろいろな資料を見ることができました。その中でおもしろかったのは、地球儀です。NHKの「軍師官兵衛」でも、信長が地球儀を見ながら「世界を見たい」と世界征服の野望を語るシーンがありましたが、その時代のものでしょうか。たいへん正確なものでした。新大陸もありました。オーストラリアもありました。