大手道
大手門の付近を見学した後は、いよいよ大手道です。ここに入るには入山料が必要でした。700円です。この遺跡の所有者でしょうか、摠見寺(そうけんじ)が受付をしていました。
大手道は、かなり長い石の階段でした。入るとすぐ上の方にスプリンクラーがあり、霧のようなものが出ていました。大変涼しかったです。
大手道
伝羽柴秀吉邸跡
大手道を登り始めるとすぐ左側に「伝羽柴秀吉邸跡」がありました。伝羽柴秀吉邸跡は、下段と上段の構成になっています。
伝羽柴秀吉邸跡の図(現地案内板)
櫓門
下段の入り口は、櫓門だったそうです。
下段の入り口。画像の手前部分に大きな櫓門があったそうです。
櫓門の復元画像(安土城考古博物館「安土城・1999」)
礎石からこうした櫓門があったことが分かったそうです。
「礎石は鏡柱を置く巨大な礎石や添柱用の小さな礎石など、大小あわせて9個発見しており、最大のものでは0.8m×1.4mの大きさがあります。これらの礎石の配列と両側の石垣の様子から、この建物は脇戸付の櫓門であることがわかりました。」(現地案内板)
すごいですね。礎石からここまでわかるとは。
「1階を門、2階を渡り櫓とする櫓門は、近世の城郭に多く見られるものですが、秀吉邸の櫓門はその最古の例として貴重です。」
と、案内板はその歴史的意義を語っていました。なるほどこれは近世の櫓門です。
近世の櫓門、金沢城橋爪門(二の門)
下段は、厩(うまや)だったそうです。現代風に言えば「駐車場」でしょうか。馬6頭が飼えるものだったそうです。
秀吉邸上段
上段が秀吉邸の本殿だったようです。
上段には礎石が並んでいました。
上段に残された礎石から上段の様子がわかったそうです。
秀吉邸全容の復元画像((安土城考古博物館「安土城・1999」)
なんとも立派な屋敷です。さすがは有力織田家家臣ですね。
大手門の付近を見学した後は、いよいよ大手道です。ここに入るには入山料が必要でした。700円です。この遺跡の所有者でしょうか、摠見寺(そうけんじ)が受付をしていました。
大手道は、かなり長い石の階段でした。入るとすぐ上の方にスプリンクラーがあり、霧のようなものが出ていました。大変涼しかったです。
大手道
伝羽柴秀吉邸跡
大手道を登り始めるとすぐ左側に「伝羽柴秀吉邸跡」がありました。伝羽柴秀吉邸跡は、下段と上段の構成になっています。
伝羽柴秀吉邸跡の図(現地案内板)
櫓門
下段の入り口は、櫓門だったそうです。
下段の入り口。画像の手前部分に大きな櫓門があったそうです。
櫓門の復元画像(安土城考古博物館「安土城・1999」)
礎石からこうした櫓門があったことが分かったそうです。
「礎石は鏡柱を置く巨大な礎石や添柱用の小さな礎石など、大小あわせて9個発見しており、最大のものでは0.8m×1.4mの大きさがあります。これらの礎石の配列と両側の石垣の様子から、この建物は脇戸付の櫓門であることがわかりました。」(現地案内板)
すごいですね。礎石からここまでわかるとは。
「1階を門、2階を渡り櫓とする櫓門は、近世の城郭に多く見られるものですが、秀吉邸の櫓門はその最古の例として貴重です。」
と、案内板はその歴史的意義を語っていました。なるほどこれは近世の櫓門です。
近世の櫓門、金沢城橋爪門(二の門)
下段は、厩(うまや)だったそうです。現代風に言えば「駐車場」でしょうか。馬6頭が飼えるものだったそうです。
秀吉邸上段
上段が秀吉邸の本殿だったようです。
上段には礎石が並んでいました。
上段に残された礎石から上段の様子がわかったそうです。
秀吉邸全容の復元画像((安土城考古博物館「安土城・1999」)
なんとも立派な屋敷です。さすがは有力織田家家臣ですね。