愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

重原城(2) 知立市

2020年03月05日 09時57分03秒 | 知立市

重原城航空写真(Googleより)

重原城は、現在上重原町公民館になっています。

上重原町公民館

重原城の土塁・堀跡は、この公民館の東側にありました。


重原城土塁跡

この土塁の向こう側が堀になっていました。結構深い掘りでした。

堀跡

堀や土塁のカーブをそのまま信用すると重原城(中心部)は公民館の東側にあったことが考えられます。北を流れる小川、長篠川は堀の役目をしていたものと思われます。

長篠川
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重原城(城めぐり秘話) 知立市

2020年02月06日 08時56分41秒 | 知立市
三河国二葉松
「三河国二葉松」という古文書があります。江戸時代に三河について書かれた地誌です。

三河国二葉松

三州古城記
この文書の下巻に「三州古城記」という項目があり、それこそ三河のお城がいっぱい記載されています。内容は主に築城者や城主についてです。例えばタイトルの重原城だと「重原村古城 山岡傳五郎或河内守 天文二十三年正月今川勢攻落」とのコメントがあります。山岡傳五郎は築城者か城主だったと思われます。しかし、天文23年(1554)正月に今川氏によって攻め落とされたことが分かります。「三河国二葉松は」は、ネットで閲覧することができます。いろいろと写しなどがネットで公開されています。私は、「愛知県図書館、貴重和本デジタルライブラリー」の本を参考にしています。

三河国二葉松 三州古城記

愛知県中世城館跡調査報告
しかし、これだけではどこにあるのか、どんな城なのか、今も残っているのかなどが分かりません。そこで、次に「愛知県中世城館跡調査報告」という本を調べます。


中世城館跡調査報告(西三河) ネットより

購入して手元に置いておきたいのですが、高いのです。4つに分かれていて、「尾張」「西三河」「東三河」「知多」とありますが、値段が高くそれぞれ1万円近くします。そこで、図書館に行くことにします。どこの図書館にあるわけでもなく、ない図書館もあります。私は名古屋市の鶴舞図書館に行きます。名古屋市は鶴舞図書館にしかないようです。

愛知県(尾張、三河)の旧郡
重原城は「三河国二葉松」で「碧海郡」に分類されています。なので、西三河を調べます。三河を西と東で郡を覚えておくと便利です。西三河(碧海郡、幡豆郡、加茂郡、額田郡)、東三河(宝飯郡、設楽郡、八名郡、渥美郡)「信長公記」で尾張の上四郡(丹羽郡、葉栗郡、中島郡、春日井郡)と下四郡(海東郡、海西郡、愛智郡、智多郡)とありますが、三河は西四郡と東四郡です。

重原荘
さて、「愛知県中世城館跡調査報告」(西三河)では、「三河国二葉松」に掲載されているお城がこの本のどのページに記載されているかわかるようになっています。重原城を見ると、所在地(知立市上重原町本郷)、現状(山林、畑地、宅地)、遺構(掘、土塁)とあり、だいたいのイメージが分かります。そしてなんといっても嬉しいのが「縄張り図」です。この図を見ながら実際の遺構を散策することになります。重原城については、重原荘という荘園が中世をとおして存在し、その規模も現在の知立市、刈谷市のほぼ全域、豊田市の一部を含む広大な荘園であったこと、そしてこの重原城の場所がその中心(荘司或いは地頭の館があったところ)と考えられること等が書いてありました。行く気をそそられます。

ということで重原城に行きました。
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無量寿寺その2(ひともとすすき) 知立市

2013年03月16日 06時19分56秒 | 知立市
 無量寿寺には、「ひともとすすき」というのがあります。「ひともとすすき」とは、カヤツリグサ科の草で、カヤツリグサ科の中では、最大のものだそうです。いわゆるススキは、イネ科なので、ちょっと仲間が違うようです。
 この「ひともとすすき」に、縁結びのいわれがあるようです。このススキの葉を片手で結ぶと、願い事がかなえられるという言い伝えがあるそうです。
 案内板には、以下のように説明してありました。
 

 謡曲「筒井筒」の故事にならって植えられたと伝えられている。
  八橋の一もとすすき穂にいでて
  はるばる来ぬる人まねくらん
 と「三河名勝図会」にはあります。
 このすすきの葉を片手で結ぶと願い事がかなえられるといふ言い伝えから、縁結びのすすきと言われている。

「筒井筒」とは、元の話は伊勢物語23段のお話で、井戸の周りでいつも遊んでいた幼馴染の男女が夫婦になったが、男の方が別の女のところに行くようになってしまった。しかし、女は男を恨むこともなく男の心配ばかりをしていることが男に分かり、それからは別の女のところに行かなくなったというお話しです。

この伊勢物語をモチーフに能の演目としたのが、「井筒」です。「井筒」の演じられている写真を見ると、小道具として、井戸があり、その井戸に「ひともとすすき」らしい草がつけられています。このことから、ひともとすすきが、縁結びのススキといわれるようになったのではないかと思います。
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無量寿寺(伊勢物語-東下り) 知立市

2013年03月10日 09時26分34秒 | 知立市
2013年2月3日、無量寿寺に行きました。
無量寿寺は、知立市にあります。名鉄三河八橋駅のすぐ近くです。無量寿寺は、かきつばたで有名なお寺です。

「伊勢物語」の中に三河八橋についての記述があります。
 ある男が、京都ではうまくいかないということで、東のほうに旅に出かけました。そのときにこの三河八橋に立ち寄ったそうです。
 三河八橋の名前の由来が書いてあります。この近くは、川が蜘蛛の足のように分かれて流れていたので、橋を八つかけて渡っていたそうです。それで、この地域を八橋というと書いてあります。
 さて、この八橋に来て、かきつばたがきれいなので旅の人がある男に向かって「各句の頭の五文字が『かきつばた』となるように、歌を詠みなさい」と投げかけたそうです。そこで、ある男は、次のように旅の心情を詠んだそうです。

  からころも
  きつつつなれにし
  つましあれば
  はるばるきぬる
  たびをしぞおもふ
 着物を着て慣れ親しんだように、いつもいる妻がいたが、その妻を残して旅をしていて、はるばるきてしまったなあ。
 それを聞いていた人たちは弁当がふやけてしまうほど涙を流したということです。

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