愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

アイリス愛知から名古屋城入口まで 名古屋市中区

2024年05月26日 06時00分59秒 | 名古屋市中区
全教女性部というところから散策のお供の依頼がありました。「全教」とは、正式名称「全日本教職員組合」です。教員の組合です。このたび愛知で学習交流のための集会を行うそうです。その一環で、せっかく名古屋に来たなら名古屋城を見てください、という趣旨です。ただし、城内はボランティアさんがいらっしゃるので、そちらの方にお願いし、わたしは宿泊地である「アイリス愛知」からお城まで短い間です。
さっそく、確認の為にそのコースを下調べしましたが、お堀あり、土塁あり、護国神社ありで、実はけっこう見ごたえがあるコースだと分かりました。

名古屋城の堀にかかる土橋、本町橋。その下部はアーチ状のトンネルになっていました。実はここを電車が通っていたのです。


コース途中の護国神社、ここには名古屋城が軍隊の基地であった事や先の戦争の事がいろいろな碑を通して知ることができます。

資料作りが大変です。

日置城 名古屋市中区

2021年09月16日 06時40分50秒 | 名古屋市中区
日置城は日置村の西北?
今回は尾張の城です。といっても尾張の城はほとんど遺構が残っていません。
「尾州古城志」に、「日置村 城跡1反2畝歩、自村戌亥方 織田丹波守、一説曰織田掃部領之」との記事があります。1反2畝は、約1189平方メートル(正方形にすると、一辺約34mの正方形の広さ)なので、少し小さすぎます。尾州古城志が成立した宝永5年(1708)に城跡として残っていたのがこれだけということでしょうか。方位が村より戍亥とあります。戍亥は西北の方向です。

明治23年の地図より

ところが、明治23年の地図で、日置城は日置村のほぼ東に位置しています。不思議に思い、「日本城郭体系9」を見たところ、「古渡城の西北に位置し」との説明がありました。古渡城は、ちょうど東本願寺別院の場所なので、そこから西北の方向というのは頷けます。「尾州古城志」には「自村」としか書かれていませんので、この村とは古渡村のことかもしれません。

熱田台地の西端
さて、この地図で日置城跡の西側を南北に流れている大きな川は、堀川です。つまり、この地図の北の方に名古屋城があります。そして南は熱田神宮です。この名古屋城から熱田神宮にかけては熱田台地という台地になっていて、まわりより少し高くなっています。日置城はこの台地の上にあり、西端に位置しています。「日本城郭体系9」でも「西方を広く眺望できる要害の地であった」と記しています。

熱田台地(地理院地図、陰影起伏図より)


熱田台地がわかる所

日置城のすぐ西隣にコメダ珈琲がありましたが、1階部分は下になっていました。2~3メートルは段差があるでしょうか。現在日置城跡から西を見てもビルが立ち並んでいて、眺望は開けていませんが、日置城が一段高いところにあったことは分かりました。

尾張織田家
この城に関する武将ですが、織田丹波守とは、尾張守護代(下四郡)の方の織田家で、織田寛定(ひろさだ)です。明応4年(1495)に討死したということなので、信長の生まれる(天文3年1534)以前です。主に、清州城を本拠としていたようです。
織田掃部(かもん)とは、清州三奉行(因幡守家、弾正忠家、藤左衛門家)の一つ藤左衛門家の織田忠寛(ただひろ)です。信長、信雄に仕えていました。

尾張支配図

名古屋城天守閣復元問題 名古屋市中区

2021年02月14日 11時04分02秒 | 名古屋市中区

名古屋城天守閣(2015年12月撮影、今は工事中で見ることができません)

少し前のことですが、名古屋市が名古屋城天守閣復元問題で市民説明会を行いました。そこでの説明について報告します。現在名古屋市は、文化庁に対して調査結果を提出し、現天守の解体の許可を待っている状況です。

名古屋城天守閣の木造復元は、河村市長によって2009年ごろから言われだし、2015年には「オリンピックのある2020年までに完成させる」「工費は400億円」という話になりました。
しかし、専門部会である石垣部会が「石垣保全が不十分」という指摘をしたり、文化庁から「現状変更」(現天守閣の解体)の許可が出なかったりで、結局2020年完成は破綻し、2022年に延期しましたが、それも破綻し、今では2028年(リニア開通予定の年)に延期されています。
1月22日、市民向け説明会があり、それに参加しました。この説明会は、はじめに学芸員の講演が1時間ぐらいあり、そのあと、ユーチューブで公開している説明をそっくりそのままプロジェクターで流しました。説明は名古屋城の武将隊の一人である「徳川家康」が行いましたが、「でござる」とか「拙者」「その方」など、わざとらしいしゃべり方で、聞いていて市民を馬鹿にしているのかとも思いまた。

その後で、河村市長が参加して、質疑応答が行われました。
「復元事業の進捗状況」ということで、下記の4点が話されました。

復元事業の進捗状況

1の「き損事故への対応」と言うのは、2020年3月に、本丸の工事中、地下に埋蔵していた江戸時代の蔵跡(礎石)を破損したという事故です。学芸員の立ち合いのない中で、工事が行われたようです。

2の「文化庁からの指摘事項への対応と今後の流れ」については、2019年9月に文化庁から「指摘事項」という形で、名古屋市に対して注文がなされました。要約すれば、本丸の堀や、天守台の石垣等をしっかり調査(発掘を含む)しなさい、また、天守閣解体と言うが、耐震対策のためか、木造復元のためか考えをまとめなさいということです。

文化庁からの指摘事項への対応と今後の流れ

これを聞いてびっくり。「えっ、まだ文化庁の許可が出てないの?木材はもう買っているって聞いたけど?」今年4月に指摘事項の回答を提出するそうです。

3の「木材の調達及び保管状況」で、なんと2071本の木を買い、5つの県で保管していることが分かりました。

木材の調達及び保管状況

しかし、2018年の議会決議には、「木造復元の見通しが立った時に」という付帯事項があり、まだ見通しの立たない段階で購入したのはどういうわけだとの質問が出されました。また、いくらか言いませんでしたが、共産党の資料によると725本で約22億円です。単純計算で約62億7000万円がかかっていることになります。

4の「バリアフリーの検討」では、史実に忠実であることと誰でも天守に登れるためのバリアフリーの両立をめざすという考えだけが述べられました。しかし、具体的な方法は一切語られませんでした。

5の「機運醸成」では、後からの質問への回答で分かったことですが、天守閣の金シャチをおろし、それに触るというイベントを計画しているようです。コロナ禍の中、触るイベントはいかがなものかという意見が出されました。
ということで、現在の復元事業には、やはり無理がありすぎると感じました。

なお、名古屋市の説明動画はここをクリックしてください

がんばれ石垣部会 名古屋市中区

2018年07月15日 06時14分42秒 | 名古屋市中区
7月14日、名古屋城のニュースが載りました。

石垣部会が、市の報告に対して、異論を唱えているというものです。
城郭考古学者の千田嘉博氏、金沢城の北垣聡一郎氏は、ともに「石垣が大事」と発言し、市の天守閣建築、石垣修復の同時進行案に反対しているようです。

がんばれ石垣部会

7月14日中日新聞
千田氏と北垣氏の発言に赤線を入れました。

名古屋城ニュース 名古屋市中区

2018年07月03日 05時49分23秒 | 名古屋市中区
中日新聞7月2日号に名古屋城の記事がありました。
天守閣再建をめぐり、石垣部会と天守閣部会がうまくいっていないようです。

記事を読む限りでは石垣部会の言い分に理があるように思います。
石垣の保全が一番重要で、その上の建物は目立ちますが復元天守になるので、文化財の価値としては石垣を大切にしたいと思いました。
また、文化庁が現存の天守閣も「価値ある建物」であるとしていることも注目したいと思いました。