愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

太尾山城(3) 滋賀県米原市

2022年12月22日 06時09分02秒 | 滋賀県
南城
北城と南城の間は尾根上の道が通っていました。そして、南城に入る手前にかなりはっきりした堀切が見られました。

南城北の堀切②

南城は、山の頂上を掘りこんで造ってあり、まわりの土塁も積み上げたものではなく、曲輪を掘りこんで土塁となるべき部分はそのまま残すことによって土塁にした感じでした。

南城の土塁

その南城のさらに南西方向に櫓台があり、そこから堀切に向けて急峻な切岸が見られました。

南城西の堀切③と櫓台の斜面(切岸)

太尾山城のように北城と南城を持つ山城を「別城一郭」と呼ぶそうです。

太尾山城 おしまい
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太尾山城(2) 滋賀県米原市

2022年12月21日 05時28分57秒 | 滋賀県
北城
この岩を過ぎると、いよいよ太尾山城北城です。北城の本曲輪の手前に小さな曲輪があり、そこから琵琶湖が一望できました。

北城の曲輪①からの眺望

よくみると、以前登ったことがある山本山が見えました。大変美しい形をしていると改めて思いました。

北城曲輪①からの見える山本山

概要図ではこの曲輪の土塁がしっかり描かれていましたが、実際はかなり低くなっていました。

北城曲輪①の土塁跡

北曲輪には鉄塔があり、その鉄塔の東側に小高い土塁が残っていました。昔はぐるっと回っていたのかも知れません。


北城の土塁

北城の東には堀切があります。今はかなり浅くなっていて、両側の部分も埋まってしまっていますが、昔はしっかり掘られていたのだろうと思いました。

北城東の堀切①

北城の南側には曲輪が3つほどあり、2つ目の曲輪と3つ目の曲輪の間には堀切が設けられていました。

太尾山城 つづく
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太尾山城(1) 滋賀県米原市

2022年12月20日 05時54分52秒 | 滋賀県
寒波襲来
この日は寒波が押し寄せ、東北、北陸で大雪、吹雪の予想が出ていました。米原は滋賀県ですが、雪の多いところです。北西の風が若狭湾を通り抜けて琵琶湖に入り、伊吹山系にあたって滋賀県に雪を降らせるのです。大丈夫かなあ、ちょっと心配でしたが、せっかく計画を立てたので、がんばって行くことにしました。

境目の城
この城は北に浅井氏、南に六角氏があり、ちょうど境目の城になっています。両氏による攻防が繰り広げられたそうです。浅井長政の家臣である中嶋宗左衛門が城主を務めていたそうですが、元亀3年に織田信長に攻められ落城したそうです。

青岸寺

太尾山登山案内板

太尾山の登り口は麓の青岸寺にあります。左からのコースと右からのコースがりましたが、私は左からのコースで上りました。


太尾山城概要図
遺構に付けた番号は、この記事での遺構番号です

盗人岩
太尾山城に着く前に「盗人岩」という奇岩がありました。「盗人が岩陰に隠れ、村人を脅かした」という言い伝えがあるそうです。

盗人岩

太尾山城 つづく
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長比(たけくらべ)城(4) 滋賀県米原市

2021年03月28日 06時45分20秒 | 滋賀県
長比東城
この虎口を出て尾根上を、さらに東に進むと東城に出ます。東城の北西の土塁の上から北西方向を見ると、小谷城が見えました。逆に小谷城からも見えたと思われますので、中山道に敵が攻めてくれば、いち早く浅井長政に知らせることができたと思われます。

長比東城から見た小谷城

東城は、西城に比べて広いのですが、中に低木が茂っていて見通しがききにくい感じでした。

東城東端食い違い虎口

東城南東内桝形虎口(外から見る)

東城からは、眼下に柏原の街の様子、高速道路の様子がとてもよく見えました。あとで、地元の人にお伺いしましたら、遠く金華山も見えるとのことでした。まさに、長比城は、織田信長に対する守りの城として、造られたんだということがよく分かりました。

東城から見た柏原の街、高速道路の様子

長比城 おしまい
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長比(たけくらべ)城(3) 滋賀県米原市

2021年03月27日 06時34分38秒 | 滋賀県
長比城は東西2か所あり
道は尾根伝いに須川山砦から長比城の西の城に続いています。長比城は西に一つ、東に一つ曲輪があり、分かれています。便宜上西の城を長比西城、東の城を長比東城とします。


長比城概要図(作図高田徹氏「現地案内パンフレット」に加筆)

長比西城

長比西城竪堀(南西方向)

長比西城にたどりつくと、迎えてくれるのは竪堀です。城の南西方向に2本掘られていました。

長比西城竪堀(南方向)

その竪堀をたどっていくと、西城の虎口になります。はっきり遺っていました。

長比西城南西虎口(平入り虎口)

西城はこじんまりしていましたが、まわりをしっかり土塁で囲み、東の方の虎口は、食い違い虎口として守りを堅固にしていました。


西城の東側虎口(食い違い虎口)

つづく
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする