山道をハアハア言いながら登りつくと、道は左のほうに折れてしばらく尾根伝いに続いていました。
そして、ようやく玄蕃尾城にたどり着くことができました。
玄蕃尾城看板
看板を見ると、最後に「敦賀市教育委員会」と「余呉町教育委員会」の二つの教育委員会が連名で書いてありました。
玄蕃尾城とは、どんな城なのでしょう。
築城 天正11年頃(1583、賤ケ岳の合戦)
城主 この城は賤ケ岳の合戦の折に、柴田勝家が本陣を置いた場所。居住する城主はいない。
廃城 賤ケ岳の合戦の終了後に廃城か。
史跡の価値 この看板に「本遺構は、極めて限定された時期の城郭の遺構であることから、中世城郭から近世城郭への過渡期にあたる城郭編年の標式遺構として重要であること、遺構が良好に遺存していることなどから、史跡に指定して保存を図るものである。」とありました。
標式遺構というのは、詳しくは分かりませんが、遺存の状況が良好というのはうれしいです。
玄蕃尾城縄張り図(現地案内板)
そして、ようやく玄蕃尾城にたどり着くことができました。
玄蕃尾城看板
看板を見ると、最後に「敦賀市教育委員会」と「余呉町教育委員会」の二つの教育委員会が連名で書いてありました。
玄蕃尾城とは、どんな城なのでしょう。
築城 天正11年頃(1583、賤ケ岳の合戦)
城主 この城は賤ケ岳の合戦の折に、柴田勝家が本陣を置いた場所。居住する城主はいない。
廃城 賤ケ岳の合戦の終了後に廃城か。
史跡の価値 この看板に「本遺構は、極めて限定された時期の城郭の遺構であることから、中世城郭から近世城郭への過渡期にあたる城郭編年の標式遺構として重要であること、遺構が良好に遺存していることなどから、史跡に指定して保存を図るものである。」とありました。
標式遺構というのは、詳しくは分かりませんが、遺存の状況が良好というのはうれしいです。
玄蕃尾城縄張り図(現地案内板)