愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

玄蕃尾城(2) 福井県敦賀市

2017年12月21日 05時55分30秒 | 福井県
山道をハアハア言いながら登りつくと、道は左のほうに折れてしばらく尾根伝いに続いていました。

そして、ようやく玄蕃尾城にたどり着くことができました。

玄蕃尾城看板

看板を見ると、最後に「敦賀市教育委員会」と「余呉町教育委員会」の二つの教育委員会が連名で書いてありました。

玄蕃尾城とは、どんな城なのでしょう。
築城 天正11年頃(1583、賤ケ岳の合戦)
城主 この城は賤ケ岳の合戦の折に、柴田勝家が本陣を置いた場所。居住する城主はいない。
廃城 賤ケ岳の合戦の終了後に廃城か。
史跡の価値 この看板に「本遺構は、極めて限定された時期の城郭の遺構であることから、中世城郭から近世城郭への過渡期にあたる城郭編年の標式遺構として重要であること、遺構が良好に遺存していることなどから、史跡に指定して保存を図るものである。」とありました。

標式遺構というのは、詳しくは分かりませんが、遺存の状況が良好というのはうれしいです。

玄蕃尾城縄張り図(現地案内板)

玄蕃尾城跡(1) アクセス 福井県敦賀市

2017年12月19日 06時57分00秒 | 福井県
道がむずかしい
11月25日、金沢に用ができ、ちょうど出かけるついでに玄蕃尾城を見ておこうと思い立ちました。
玄蕃尾城への道は、分かりにくいので、事前に調べました。すると、米原の方から行くときには、県道140号線を走り、柳瀬トンネルを抜けたところで右に曲がるということでした。


県道140号から玄蕃尾城への入り口(地理院地図で作成)

しかし、この入り口は小さく大変分かりにくいものでした。小さな標識が立っているとのことでした。実際グーグルで調べると、小さな標識を確認することができました。これは必ず見落とすに違いないと思いました。そこで、この標識が確実に見えるように、米原側ではなく、敦賀側から140号線に入り、柳瀬トンネルのところで、左折することにしました。


柳瀬トンネル近くの分岐点の様子(敦賀側から見た画像、Googleストリートビユーより作成)

ここの所をクリアすれば、あとは一本道でした。ただし11月の下旬で天候は曇り時々雨で、道には落葉樹の枯れ葉がびっしりと敷き詰められていました。雨で湿り気を帯びていて、ゆっくり走行しましたが、車体に枯れ葉がいっぱい付着してしまいました。
細い一本道は、小さな駐車場まで続いています。


小さな駐車場

駐車場には、先客がありました。地元の人でしょうか、山歩きの方が数名降りてきました。「道はどうですか。」「そんなにぬかるんではいないよ」と親切に教えてくれました。「へえ、さすが山城ベスト1だけのことはある。見学者が一人ということはないんだ」などと、独りごとを言いながら、登っていきました。ここから20分歩で玄蕃尾城に行くことができます。
城が分からない
しかし、詰めが甘いのでしょうか。道に迷ってしまいました。


分かれ道の看板

10分ほどで、上の写真のような看板がありましたが、左側の上り道に気が付かず、看板のすぐ近くで矢印を見たものですから、左上の矢印は、「左斜めに直進」右上の矢印は「右折」(おそらく右に下っていくと、行市山砦というのがあるのだろう)と思い込みました。
行けども行けども玄蕃尾城はありません。そればかりか城らしきものすらありません。30分ほど歩いていると、今度は道が下ってきました。これは、道に迷ったに違いない。残念だけどあきらめようかと思い、来た道を今度はひたすら戻っていきました。
そしてようやく先ほどの看板のところまで戻り、じっくり辺りを見ますと、なんと山を登る道があるではないですか。偶然にも人が下りてきました。「ここに違いない」と、やっとの思いで玄蕃尾城にたどり着くことができました。

玄蕃尾城 続く

「山城歩き」徹底ガイド 

2017年12月18日 05時17分48秒 | 日記
城の会の旅行のおり、城の会の人から「『山城歩き』徹底ガイド」という本をいただきました。
その本は、よく本屋さんに並んでいるお城のガイドブックの一つですが、山城を中心に紹介しているガイドブックでした。

「『山城歩き』徹底ガイド」洋泉社 2016年5月

山城ランキング
この本は、読者が食いつきそうな編集をしていて、まずは「山城100名城」のリストアップです。これは、いうまでもなく「日本100名城」の山城版です。中井均氏、加藤理文氏、荻原さちこ氏が選んだそうです。どの人も山城には詳しい人で、有名な人です。愛知県は、大給城と小牧山城がアップされていました。
次に、読者が食いつきそうなランキングの登場です。なんでもランキングにすると、不思議なことに1位は何だろうと興味を持ってしまうので、編集としては、上手だと思います。ランキングは、「土の城」「石垣の城」「山城の眺望」という3つの観点から、それぞれベスト10を選んでいました。

「土の城」部門
1位 玄蕃尾城(滋賀県)
2位 山中城(静岡県)
3位 丸子城(静岡県)
4位 増山城(富山県)
5位 滝山城(東京都)
6位 杉山城(埼玉県)
7位 諏訪原城(静岡県)
8位 小幡城(茨城県)
9位 八王子城(東京都)
10位 岩櫃城(群馬県)

このベスト10の記事が若越城の会の人には大変うれしかったようで、「玄蕃尾城はすごい。あの山中城や丸子城をおさえての1位だから。たいしたものだ。」と話してくださいました。同時に、「玄蕃尾城は、滋賀県ではなく福井県と書くべきだ。管理は福井県がしているのだから。」と、少しご立腹でした。実際ネットで調べたところ、福井県教育庁生涯学習・文化財課のホームページに玄蕃尾城の管理は「刀根生産森林組合」と記されていました。この組合の所在地は福井県敦賀市です。

ということで玄蕃尾城に行ってみたいと思いました。

城の会旅行(兵庫県)(12)篠山城(5)

2017年12月17日 06時13分49秒 | 兵庫県

篠山城縄張り図

埋み門から外に出るるとき、ガイドさんが「ここを見てください」と石垣を指しました。石垣には、刻印がありました。

⑧三左之内の刻印

「三左之内」と書かれているそうです。三左とは、普請総奉行だった池田輝政のことで、この辺りの石垣が池田輝政の担当だったのではないかということでした。

埋み門から外に出ると、城の高石垣が実によく見渡せました。とても美しい石垣でした。

⑨立派な高石垣

そこから土橋を渡り、南馬出へと進みました。馬出は山城でよく見かけますが、山の地形の関係上、小さいものが多いです。また、名古屋城にも角馬出がありましたが、土塁ではなく石垣でできていました。今回は土塁でできた角馬出、しかも規模の大きいものでしたので、大変見ごたえがありました。

⑩土塁の南馬出案内

⑪馬出の内部


⑪馬出の東側部分

この後、城の西側にある武家屋敷跡を見学しました。一般の方が住んでいる住居ですが、城下町保存ということで昔ながらの家を守っていらっしゃいました。住民の方の協力があって町並み保存ができるということを実感しました。

篠山城 城の会旅行 おしまい

城の会旅行(兵庫県)(11)篠山城(4)

2017年12月16日 06時37分40秒 | 兵庫県

篠山城縄張り図(赤い番号は以下の写真の番号です)

二の丸の大書院を出ると、こんどは本丸のほうに向かいました。

④本丸に向かう城の会の方々

本丸内は神社になっていました。青山神社と言って、篠山城主最後の青山氏を祀ってあるそうです。

⑤本丸に鎮座する青山神社

⑥本丸の天守台へ
天守台からは、八上城の山(高城山)や三の丸の現在の様子などが見渡せました。案内板によれば、天守台は、本丸から4メートル、外側の犬走りからは17メートルの高さがあるそうです。むかし「笹山」という小山だったことが頷けます。

天守台を降りて二の丸に戻り、南の方に行きますと、埋み門があります。その名の通り二の丸からずいぶん下がったところに門があり、いざというときには、ここを埋めて敵の侵入を防ぐためのものだそうです。

⑦埋み門(二の丸から撮影)

篠山城 続く