愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

尾張大野城(2) 常滑市

2015年09月21日 07時44分18秒 | 常滑市

「愛知の山城ベスト50」より「大野城概要図」(作画 高田徹氏)

主郭
この概要図の下(南)の方に駐車場(5,6台)がありましたので、そこに車を止めました。駐車場から北の方に坂を降りていくと、登城口の看板があります。登城口を登っていきますと、門がありました。城山公園を作ったときに一緒に建てられたと思われます。これもイメージだと思います。


展望台、物見櫓台
門をくぐりますと、展望台になります。展望台には佐治氏に関する資料が展示してありました。

佐治氏の歴史を説明する看板。左奥が展望台。(復元ではないと明記してありました)

この展望台のすぐ南に物見櫓の跡がありました。現在は佐治氏を祀る佐治神社の祠があります。

物見櫓の跡

展望台から大野の町がすっかり見渡せました。


Ⅱ郭土塁跡
展望台を降りますと、すぐにⅡ郭があります。Ⅱ郭は現在児童公園になっています。そのⅡ郭の東の方に土塁がありました。

Ⅱ郭東の土塁。手前左はⅡ郭跡(児童公園)の遊具

主郭南側横堀
ここから裏を通り主郭南側をぐるっと一周しました。横堀の跡がはっきり見えました。

横堀

この横堀の東側がやや高くなっていました。土塁の跡ではないかと思いました。

土塁跡?

Ⅳ郭
Ⅱ郭から登城口に戻り、駐車場とは反対方向の西に歩いてみました。図のⅣ郭、Ⅴ郭方面です。Ⅳ郭は平たい土地になっていて、民家がありました。

Ⅳ郭跡。右側に民家がありました。

この4郭には土塁の跡らしきものが北側にありました。

高さは1メートルもありませんが、それっぽく見えました。

このⅣ郭の西側は切り立った崖になっていました。おそらく堀切ではないかと思いました。


Ⅴ郭
さらに奥のⅤ郭は、いったん西の先端まで行き、やっと道を見つけました。Ⅴ郭は畑になっていました。


今回は主郭とそれより西の方は見ることができましたが、北側や東側は残念ながら日程の関係で見ることはできませんでした。それにしても大変大きな城跡であることが分かりました。今度来るときは残りを見てみたいと思います。

尾張大野城(1) 常滑市

2015年09月20日 20時04分20秒 | 常滑市

尾張大野城展望台(再建ではなくイメージとして主郭部分に建てられました。)

春のゴールデンウィークに対してシルバーウィーク。さっそく史跡めぐりに出かけました。
尾張大野城です。大野城は、越前(福井県北部)にもありますので、愛知県では大野城で通っているのですが、あえて尾張大野城としました。

大野城とは
大野城とは、常滑市にあります。焼き物で有名な常滑市です。その常滑市の北部にあります。

近くに大野港があります。大野港は漁港としても、流通上の湊としても栄えたそうです。ここから伊勢方面に船で渡ることができたわけです。


佐治氏とは
大野城を居城としていたのは佐治氏という武将です。佐治氏ははじめ当地の守護であった一色氏の被官でしたが、次第に勢力を伸ばし、この大野城を奪ったそうです。4代約100年にわたって大野城を居城としたそうです。

佐治氏の系図(現地資料)

佐治氏の系図を見ると、いろんな武将と関係があったことが分かます。初代佐治宗貞の姪が池田輝政の母になっています。3代佐治三郎信方は、桶狭間の戦いの後織田信長につき、信長の妹お犬を妻としています。また、名前も信長から信の字をもらっています。

大野城展望台にあったお犬の絵

信方の子、一成は信長の妹お市の子であるお江を妻にしています。また、知多半島で位置的に近い水野氏とも婚姻関係を結んでいます。