愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

2015年も終わりです

2015年12月31日 10時14分08秒 | 日記
2015年も今日で終わりです。
今年もたくさんの史跡をめぐりました。ある人から、「愛知県の史跡があまりない」との指摘を受けたので、どこをまわったのか振り返ってみました。

愛知県内
1月 八事興正寺、守山城跡、末森城跡、福谷城跡、
2月 寺部城跡(豊田市)、田原城、飯野秋葉神社、丸根城跡、長篠城跡
3月 裕福寺一里塚、山崎城跡、河和城跡、一色山城
4月 東広瀬城跡、西広瀬城跡、二川宿
5月 生田屋敷、足助城、有松界隈
6月 岩津城跡
7月 勝幡城跡、奥津神社、日近城跡
9月 室城跡、椎城跡、愛知池、尾張大野城
10月 山中城跡、小牧山城
11月 挙母城跡、名古屋市戦争遺跡、野田城跡、上之郷城跡
12月 田峯城跡、宇利城跡

県外
1月 大垣城(岐阜県)
3月 江戸城
6月 金沢城
7月 大聖寺城跡
8月 天筒山城跡、金ヶ崎城跡、仙台城、松江城、北前船主右近家、松山城
10月 彦根城
11月 高知城、湯築城跡、松山城、岡豊城跡
12月 掛川城、三原城跡

ブログの記事一覧から拾ってみましたが、我ながらたくさん出かけたなあと、改めて思いました。やはり愛知県内が多いことが分かりました。

それでは、皆様よいお年を。
来年もよろしくお願いいたします。

掛川城(3)天守閣 静岡県掛川市

2015年12月29日 06時20分46秒 | 静岡県
天守閣内部
さて、木造復元の内部はどうでしょうか。

天守内部。柱、床、梁など大変リアルに再現されていました。しかし、内部の木造復元でどんな技術を用いたかなど木造復元でしか見せられないものがなく、ただ木造というだけだったように思います。

金沢城と比べる
単純に比べられないかもしれませんが、こちらは、金沢城内五十間長屋の内部です。


五十間長屋築城の際の工法を紹介したものです。

こうした展示があると、もう一度柱や梁を見てみようと思うし、木造でしか見れないものかなと思います。

掛川城天守閣内部

これは、掛川城の階段です。梯子と言ったほうがいいかもしれません。かなり急です。もちろん昔は、これくらいだったのだろうと思います。でも、中に入れることを前提にしてつくるのであれば、当然お年寄りの方や障がい者の方が入れる工夫がいると思います。

中に入ることに伴う考慮
「あくまでも当時の城を再現する」ということであれば耐震のこともあるし、もともとが敵に攻め込まれないことを目的にしたところがあり、簡単に中に入れないようになっているので、「中に入らせない」というふうにした方がすっきりすると思いました。

また、耐震、安全のためにこのような補強も必要です。

こういう金具は、当時はなかったと思います。色が白いのでけっこう目立ちます。

要するに木造で完全な復元は「中に入る」ことを前提にした場合、かなり無理があるということです。

天守最上階から東を見ましたら、遠くに富士山が見えました。頭をちょこんと出していました。


掛川城(3)本丸 静岡県掛川市

2015年12月28日 06時52分32秒 | 静岡県
石垣に孕み?
さて、城の入り口に石垣がありました。おそらく「四足門」の両脇を固める石垣だと思われます。よく見ると、写真の右側の石垣が、まっすぐではありません。右側の石垣の真ん中辺りが出っ張っているように見えました。「孕み」というそうですが、どこのお城でもあるそうです。でも修復しているので、私の気のせいかもしれません。

四足門石垣

太鼓櫓
チケット売り場の背後は「太鼓櫓」でした。

太鼓櫓

腰櫓台跡

写真の右側が台跡のようです。ここから敵に対して横矢をかけたようです。

天守下門跡
二層の櫓門があったそうです。調査で、基壇の石垣が見つかったそうです。


天守閣の石垣
これは、野面積みで築城当時の様式だと思います。

天守の石垣。上部には「忍び返し」もありました。

掛川城(2)木造復元の過程 静岡県掛川市

2015年12月27日 09時09分55秒 | 静岡県
掛川城再建のパネル
城に入りますと、色々なパネルが展示されていました。まずは掛川城公園整備のパネルです。

天守閣復元の様子を伝えるパネル

これによると、発掘調査も同時に行われているようです。発掘の様子を伝えるパネルもありました。

発掘によって堀や通路、柱穴、礎石さらに茶碗、陶磁器などが見つかったそうです。

名古屋城も発掘しなくていいか
名古屋城も天守閣の再建に当たって発掘の必要がないのでしょうか。もし、まだ掘り残してあれば、調査をする期間が当然必要になってくると思いました。