愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

守山城址 名古屋市守山区

2015年01月24日 18時13分58秒 | 名古屋市守山区
守山崩れ
守山城といえば、「守山崩れ」。徳川家康の祖父松平清康が、家臣阿部正豊に暗殺された事件です。松平家は清康の時代に勢力を拡大し三河を治め尾張にその勢力を伸ばそうとしていました。しかし、この事件で清康が亡くなると、松平家は衰退の危機にさらされることになりました。

守山城址概要図「愛知の山城ベスト50」より

宝勝寺
さて、守山城は宝勝寺というお寺になっていました。宝勝寺は真言宗のお寺でした。出かけたときにお墓参りの方がちらほらと見えました。

宝勝寺山門

土塁跡?
このお寺の裏手に史跡がありました。まずは、土塁らしきものの跡です。上記概要図のAです。

右側の小高い土手みたいなものです。手前が駐車場でちょうど車がおいてあり、高さがわかりやすいです。「愛知山城ベスト50」では「たかまり」としていて、土塁とは表記していませんでしたので、土塁ではないかもしれません。

この高まりに石碑がありました。


堀の跡
さらに、その土塁らしきもののすぐ南側にかなり深い堀がありました。

写真では、ただの竹やぶですが、けっこう深かったです。「ベスト50」では深さ7メートルとしています。それくらいはありそうです。

切り岸?
そして、ぐるっと回って西のほうのD地点(概要図で赤くDと書いてあるところです)を見てみました。D地点は平らになっており、現在は畑でした。しかし、その西側が急な崖になっており、城の遺構の一部ではないかと思いました。切り岸かな?

D地点を西のほうから見たもの、かなり急な崖になっていました。
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天白元屋敷遺跡へ行ってきました 名古屋市守山区

2014年10月27日 22時31分04秒 | 名古屋市守山区
 10月27日、中日新聞で報道された「天白元屋敷遺跡」へ行って見ました。


 天白元屋敷遺跡は、守山区の志段味町で近くに、以前訪れた古墳の遺跡がたくさんあるところでした。(2013年12月に志段味古墳群を訪れました)その古墳群のすぐ西にありました。近くを庄内川が流れ、すぐ隣が守山高校でした。

やはり重機が

遺跡の南のほうから撮ったもの

 地図で守山高校の南側に小さな川が流れています。そこから遺跡の方に近づいてみました。写真はそこから撮ったものです。元屋敷遺跡の南側を歩きましたが、葦が一面におい繁り、とても遺跡の様子はわかりませんでした。しかし、重機らしきものが動いていました。

発掘中
 遺跡の南東を走る県道15号線には、下のような看板がありましたので、発掘は終わったわけではなく、継続していることがわかりました。


進出するスーパーはアピタ
 そして、やはり県道15号線沿いに進出するスーパーの名前がでかでかと出ていました。

 アピタができれば、この辺り一帯が駐車場などに変わってしまい、遺跡のスペースはなくなってしまうとおもわれます。もうちょっと東に「バロー」があるので、そんなにスーパーは要らないとおもうのですが。
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三日市場よりもっとひどい名古屋市

2014年10月20日 07時52分17秒 | 名古屋市守山区
今日の中日新聞を見てびっくり。
名古屋市で遺跡の破壊が行われていました。
しかも「手続きミス」といっていますが、個人ではなく組織でやっているので、単純にそうですかとはいえません。
確信犯の疑いありです。
地権者組合と開発公社の双方が「やっていると思ってました」と罪を擦り付ける有様で、ことの重大性の認識が足りない気がします。

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志段味古墳群(2) 名古屋市守山区

2013年12月23日 15時16分08秒 | 名古屋市守山区
大塚古墳
 大久手池を後にして、先を行くと大塚古墳が見えました。新興団地の外れに、まるで団地の中の公園のようにありました。

手前が前方部分で、後方が後円部分です。前方部が低いというか、後円部が高いというか、丸い山が際立っていました。

案内板が立派になっていました。


東谷山フルーツパークが近くに
 全然関係ありませんが、近くに「東国山フルーツパーク」という公園があります。子どもがまだ小さい頃に訪れたことがあり、ちょっと懐かしかったです。


白鳥塚古墳
 さらに道を進んでいくと大きな古墳がありました。白鳥塚古墳です。

 これは、後円部分です。長さ115メートルで、県内で3番目の大きさだそうです。ちなみに1番は、熱田区の断夫山古墳、2番目は犬山市の青塚古墳です。


 前方部分と後円部分がつながっている部分です。左側が前方部分、右側が後円部分です。

うれしい出会い
 ここを歩いていましたら、中年のカップルと出会い、女性の方から、「古墳を見にこられたんですか。大きいですね。地元にいるのに、全然知らなかったです。」と、話しかけていただきました。男性の方も「車で横を通るけれど、知らなかった。」と。私も初めて来たので、「大きいですね。」としか答えられませんでしたが、とてもさわやかなカップルでした。こういう出会いがうれしいです。

 白鳥塚古墳は国指定でした。

白鳥1号墳
 さて、最後は石室です。白鳥1号古墳は横穴式石室があるそうです。

 中は、石のお部屋で天井には大きな石がまるで箱のふたのように横たわっていました。そうやって石を積んだのかと、納得の石室でした。
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志段味古墳群 名古屋市守山区

2013年12月22日 15時32分54秒 | 名古屋市守山区
一般人も発掘の体験ができる
 先日中日新聞に以下のような記事が載っていました。志段味古墳群を「歴史の里」として整備するというものです。記事を読むと、一般の人も発掘の体験ができるようにするというのです。有料で、1時間500円だそうです。2015年に部分オープンし、2018年には全面オープンする計画といいます。私もぜひ体験がしたいものだと思いました。早速、志段味古墳群に行ってみることにしました。


インターネットで、「名古屋市」のホームページから志段味古墳群の散策コースの地図をコピーさせていただきました。

この地図のとおりに散策することにしました。

勝手神社は古墳の上に
初めにあったのは、勝手神社(かってじんじゃ)です。なんと前方後円墳の上に神社が立てられていました。

古墳の前方部分


古墳 後円部分

古墳の周りには溝がありました。


神社の案内板に詳しく説明がありました。古墳の名前としては「勝手塚古墳」というようです。


大久手4号墳
次は大久手4号墳です。案内板が分からなくて、たぶんそうだと思います。


西大久手古墳
分かりにくい細い道を進んでいくと「西大久手古墳」の看板がありました。

実際の古墳は、ただの草っぱらのようで分かりにくかったです。


開発進む「古墳群」
あたりを見回しますと、工事中のところがありました。まさか、「歴史の里」の工事がもう始まっているのかと、工事の看板を見に行きました。しかし、看板はなく道路工事のようでした。「歴史の里」よりも、まず住宅、道路が先のようでした。


東大久手古墳
西大久手古墳の先を行くと東大久手古墳がありました。新聞で報道された発掘できる古墳です。意外と小さい古墳でした。かなり掘り尽くされているように見受けられました。まだ何か出るのでしょうか。大変興味深いです。

写真は後円部分です。左側が前方部分になります。(案内板では帆立貝式古墳とありました)


大久手池から東谷山を
ここから東の方に大久手池があり、大変よい眺めでした。東谷山がはっきり見えました。

長くなったので、この辺でちょっと一息入れます。
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