7月14日、幸田町の歴史に詳しい歴史好きの友人Dさんと、13日に一緒に名古屋城などを訪ねた城に詳しいSさんと3人で幸田町の史跡を巡りました。
深溝城
はじめに訪れたのは、深溝城です。
深溝城は、鎌倉時代に大場氏により築城されたといわれています。そののち、松平氏が代々拠点としました。(いわゆる深溝松平氏です)城主は、松平忠定、好景、伊忠、家忠、忠利と続き、忠利のときに豊橋の吉田城に移ったようです。江戸時代には、陣屋となっていたようです。
松平家忠は、有名な「家忠日記」を遺しています。
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深溝城之図
Dさんによれば、この「深溝城之図」は、深溝郷土資料館にあり、元の図は失われましたが、大竹森一さんという方が書き写したものだそうです。
土塁跡
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現在残っているのは、写真のような約5メートルほどの高さの土塁跡だけでした。手前の水田は、堀を埋め立てて作られたのではないかとDさんはおっしゃっていました。左奥に見えるだいだい色の屋根は工場の屋根で、深溝城の多くの敷地はこの工場になっていました。
深溝城
はじめに訪れたのは、深溝城です。
深溝城は、鎌倉時代に大場氏により築城されたといわれています。そののち、松平氏が代々拠点としました。(いわゆる深溝松平氏です)城主は、松平忠定、好景、伊忠、家忠、忠利と続き、忠利のときに豊橋の吉田城に移ったようです。江戸時代には、陣屋となっていたようです。
松平家忠は、有名な「家忠日記」を遺しています。
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深溝城之図
Dさんによれば、この「深溝城之図」は、深溝郷土資料館にあり、元の図は失われましたが、大竹森一さんという方が書き写したものだそうです。
土塁跡
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現在残っているのは、写真のような約5メートルほどの高さの土塁跡だけでした。手前の水田は、堀を埋め立てて作られたのではないかとDさんはおっしゃっていました。左奥に見えるだいだい色の屋根は工場の屋根で、深溝城の多くの敷地はこの工場になっていました。