愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

金沢城(2) 石川県金沢市

2015年06月23日 15時17分12秒 | 石川県

さて、石垣の展示場の左のほうに坂がありました。大学があった頃は、「みやもり坂」と呼んでいたように思います。授業に遅れそうになった学生がこの坂を一気に駆け上がろうとしますが、なかなか上がりきれず、「心臓破りのみやもり坂」と呼ぶ学生もいました。

三十間長屋
この坂を上ると、法文学部があったのですが、そこに三十間長屋がありました。といっても、大学があったときから建っていたそうなので、私が知らないだけでした。

三十間長屋

三十間長屋には、おじさんが座っていて説明をしていただけました。「石落とし」を詳しく教えてくれました。


外から見ると・・・


まるで出窓です。今ならお花でも飾っておきたいようなかんじです。しかし、当時は石垣をよじ登ってくる兵士に石を落として進入を防ぐ大切な設備だったのですね。

強固な梁
さて、三十間長屋はその内部がすばらしいです。天井の梁が1本出なく、2本組み合わされて(つなぎ合わされて)いるのです。普通につなげば、すぐに外れたりしてしまうのでしょうが、ここの建造物は冬の雪にも耐えながら、建ち続けていました。


ここから外国船が見えた
なお、この三十間長屋は、幕末の頃、日本海を通る外国船を見張る役割もあったそうです。ただし、汽船なので、その煙を発見する役目だそうです。それにしても、ここから日本海が見えるなんてすごいですね。
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金沢城(1) 石川県金沢市

2015年06月22日 15時19分21秒 | 石川県
6月20日、金沢で学生時代の仲間が集まるというので、出かけました。せっかくなので金沢城も見ることにしました。金沢城は、今から40年ほど前は、中に大学がありました。しかし、城の整備のために何年か前に大学は移転しました。その後に、いろいろな建造物が立てられました。新幹線が東京から金沢まで通り、それを一つのポイントにして行われたように思います。


金沢城の案内図より

まず、車を停めたところは「しいのき迎賓館」という施設の駐車場でした。公園に一番近いのでいいかと思ったのですが、かなり割高でした。30分150円で、はじめの30分は340円でした。

本丸
そこから、まず見えたのは本丸でした。石垣がかなりりっぱでした。

本丸を西から見る

いもり堀
本丸のすぐ下に堀が造ってありました。「いもり堀」です。いもりでも住んでいたのかと思いましたが、残念ながら、名前の由来は不詳とのことでした。

いもり堀

マチュピチュか日本の石垣か
いもり堀をさらに進んで城に近づくと、石垣の展示がありました。
まず、「切石積み」です。

「切石積み」の石垣

すごいですね。ぴったりはめ込められています。あの固い石を、このようにぴったりと並べる技術は、すごいと感心しました。全然関係ないですが、テレビで「マチュピチュ」のことをやっていて、やはり壁の石がぴったりと並べられているのをみました。マチュピチュは、15世紀から16世紀にかけての遺跡で、金沢城は17世紀の建造物なので、少し時代は新しくなりますが、もし「マチュピチュ」の技術が世界最高峰なら、この石垣もそれに匹敵すると勝手に感心しました。

マチュピチュの石垣(NHK世界遺産ライブラリー紹介ホームページから)

その横に「粗加工石積(あらかこういしづみ)」の石垣が展示してありました。

「粗加工石積」

その横をしばらく見ていると、なつかしい「矢穴」がありました。石を割るときに出来たものです。

矢穴

石垣で有名な観音寺城を見学したときにも多数発見できました。
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東谷山フルーツパーク 名古屋市守山区

2015年06月07日 18時42分01秒 | 名古屋市守山区

もう、すぐそこまで梅雨が来ています。今日は、梅雨の前の小休止でしょうか。一日雨も降らず、かといって気温もさほど上がらず、絶好の行楽日よりでした。
東谷山フルーツパークに出かけました。妻がどこかに出かけようと声をかけてくれたからです。

ところで、このフルーツパークはすぐ近くに古墳がたくさんあるところです。


この看板は、フルーツパーク内にあったものです。フルーツパークの東西に古墳群があります。そして、以前にも記事にしましたが、この地域を「歴史の里」として整備する計画があります。古墳を実際に500円で掘る体験ができるという企画があったものです。

志段味古墳群 名古屋市守山区(当ブログの記事)
http://blog.goo.ne.jp/midorishako/s/%CE%F2%BB%CB%A4%CE%CE%A4

このフルーツパークに隣接するだけあって、「歴史の里」構想を宣伝する看板がいくつか見られました。先の記事では2015年部分オープン、2018年全面オープンということでしたが、今日見た看板にはいつオープンとは書いてありませんでした。
どんな風になるのか、大変興味深いです。

以下看板の紹介






計4枚のパネルが掲示してありました。
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岩津城址 岡崎市

2015年06月02日 18時26分11秒 | 岡崎市
松平氏の城 岩津城
岡崎ついでに岩津城も訪れました。岩津城は、松平氏2代目泰親が取り、子の3代目松平信光に譲ったとされています。その後松平家宗家として岩津松平氏は4代目親長まで繁栄しましたが、三河部の中条氏などに攻められたり、今川氏に攻められたりして勢力を失い、やがて宗家の座を安城松平氏に取って代わられるらしいです。

愛知県中世城館跡調査報告Ⅱ(西三河地区)より
原図 奥田俊春氏

登城口が分かりにくい
この図で右下(南東)に道路があります。右に行くと陸橋があり、下を東名高速道路が走っています。そして、その陸橋を渡り終えると、岩津天神の駐車場になっています。そこに車を止めました。
さらに右下の道路が左上の方と左下に分かれています。左上に上がる道に入りたいところですが、「私有地につき、進入禁止」の立て札がありますので、ここからは入れません。この道をまっすぐ伸ばしたところ(図の左下の方)に斜めの道路がありますが、この道を左側から入るのが登城口のようです。けっこう回り道になります。

登城口の看板

登城口から細い道を登っていきますと、左に折れる道があります。(まっすぐ行き過ぎると、上記進入禁止の立て札の「出口」に出てしまいます)城の南から入ることになります。
さっそく右側に堀が確認できます。


守りが固い曲輪Ⅱ
図のAは馬出しのようです。曲輪Ⅱの方は狭かったですが、南側に土塁が設けられていました。

曲輪Ⅱ南側の土塁

この土塁を超えてさらに南の方は凹凸があるがけになっていました。兵隊が侵入することは困難と感じました。

深い堀
曲輪Ⅱから曲輪Ⅰには土橋がかかっています。

曲輪Ⅰと曲輪Ⅱの間の土橋(曲輪Ⅰからみた写真)

この土橋の両サイドの堀はかなり深い立派な堀でした。

曲輪Ⅰの南側(図の左側)の堀

北側は腰曲輪
曲輪Ⅰの北側は腰曲輪が続いていました。

曲輪Ⅰからみた腰曲輪(写真では竹しか見えませんが、点線が腰曲輪の端の線です。)

曲輪Ⅰに弓矢台?
曲輪Ⅰには東に出っ張りがありました。ここからは曲輪Ⅰと曲輪Ⅱの間の堀がしっかり見渡せましたので、この出っ張りは、弓矢を打つための台ではないだろうかと思いました。

曲輪Ⅰの東の出っ張り

南からの攻撃を意識した岩津城
ということで、この岩津城は北は腰曲輪が続き、曲輪Ⅰと曲輪Ⅱの間にかなり深い堀があり、土橋の先に馬だし、さらに曲輪Ⅱには南側に土塁と堀があるという構造です。つまり南の方に守るべき力点が置かれていると感じました。

岩津松平氏にとって北より南を固める、どんな状況があったのか、ぜひ調べたいと思いました。
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