愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

松平記(53) 松平記

2023年12月19日 10時16分34秒 | 松平記

松平記p53

翻刻
一 永禄五年六月、岡崎衆牛久保牧野新二郎、同出羽守を責ら
るる、吉田城主大原肥前守を責らるる、佐脇の八幡に取手
をとりて、板倉弾正、同主水、三浦佐馬助を、駿河方より籠置、
吉田牛久保を根城とし、氏真三河へ御馬を被出、駿河衆一
万余騎牛久保に張陣有處に一の宮取手に家康衆五六百
にて籠る間、氏真千余の人数にて被攻端城二ツ攻落すと
聞えしかば、家康三千の人数にて一宮の後詰に出られ佐
脇の八幡の間に出張し給ふ、此時駿河にて武田信虎逆心
を起し駿河をとらんとの謀有よし聞え、駿河衆悉さハき
岡崎衆と合戦なるへきやうなし、家康ハ駿河衆先手と旗
(本の間を押やふり)

現代語
一 永禄5年6月、岡崎衆(家康軍)は牛久保の牧野新二郎、牧野出羽守を攻められた。吉田城主大原肥前守を攻められた。今川氏真は、佐脇の八幡に砦を築き、板倉弾正、板倉主水、三浦佐馬助を駿河より籠め置き、吉田城、牛久保城を根城として、三河へ出陣をした。駿河の軍勢は、1万騎余りで牛久保城に陣を張った。一の宮砦には家康方の兵が5・6百で籠っていて、氏真は千人余りの兵で攻撃し、砦を二つ攻め落とした。それを聞いた家康は、3千の兵で一宮の後詰に出撃し、佐脇の八幡の間に出られた。この時に、駿河で武田信虎が逆心をし、駿河を取ろうとしているとのうわさが入り、駿河衆は騒ぎ出し、岡崎衆と合戦になる様子ではなかった。家康は、駿河衆の先手と旗本の間を押し破り、・・・・・

コメント
難解語

後ろから2行目「駿河衆〇さハき」・・・「党」のような、「半」ではないし・・・・
分かりませんでした。

有名な「一宮の後詰」の話です。一万の今川氏真の兵に対して、5百で守る一宮砦(本多百助ら)を3千の兵で家康が後詰をし、今川勢を撃退したという話です。「松平記」では、駿河で武田信虎(武田信玄の父、信玄に追われて駿河に隠居していた)が謀反を起こしたとの噂が、家康の援護射撃となったように描かれています。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (hakusiyu)
2023-12-19 14:35:25
こんにちは〜
[悉]ことごとく、だと思います。

それと、
張陣有、爰に→張陣有處に、ではないでしよょうか?

牛久保付近は今川家、山本勘助などの史跡がありますね。
旧東海道歩き、姫街道歩きの時に寄り道したいと思ってるがいつになるやら…
長篠城、吉田城に行った時に立寄るべきだった
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
返信する
お世話になります (midorishako)
2023-12-21 06:18:26
hakusiuさん
いつもお世話になります。
前も同じようにわからないと言っていた気がします。成長がないと自覚しました。がんばります。
3月頃に、お城めぐりを再開しようと思っています。詳しいことが決まりましたら、このブログでもお知らせします。
返信する

コメントを投稿