松平記p70
翻刻
作十郎大将分也。天野三兵と馬場小平太鑓を合、天野、馬場
小平太を突伏て、首を取、一揆共是に力を失ひ、引返す。家康、
大久保一類を針崎の押に置、大久保弥三郎計を案内にめ
しつれ、盗木を直に小豆坂へあかり給へハ、敵引返す道に
て行あひ合戦を企、よき敵数多討取給へハ、不叶して、一揆
とも引て行。石川新七、朱の具足に金の団扇の指物にてし
んがりして退く。諸人是を討と評定する。然るに、余人は山
にかるまりのく。石川新七、大見藤六、佐橋甚五郎、波切孫七
郎ハ本道をしつしづと除く処を水野藤十郎追詰、石川と見
るに、かえせと言葉をかけ、突てかかる。石川取て返し、互に
現代語
(矢田)作十郎が大将である。天野三兵と馬場小平太が槍を合わせ、天野、馬場小平太を突き伏せ、首を取った。一揆勢これを見て力を失い、引き返した。家康は大久保一党を針崎の押さえとして置き、大久保弥三郎を案内にして小豆坂へ上がったところ、敵が引き返すのと出会い、合戦となった。家康はよき敵をたくさん討ち取ったので、一揆どもは叶わず引いていった。石川新七は朱の具足に金の団扇の指物で殿をつとめ、退いていった。皆はこれを討ち取ろうと相談したが、石川新七は山に逃れた。石川新七、大見藤六、佐橋甚五郎、波切孫七郎は本道をしずしずと引き返していたが、そこへ水野藤十郎が追いかけてきた。水野は石川新七を確認すると、「返せ」と言葉をかけ、突いてかかった。石川は取って返し、(突きあいになった。)