おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

海へ行きたかった

2024年07月16日 | 日記・エッセイ・コラム
ラジオから「あなたの夏の思い出は?」と
流れて来た

車の外は、雨が降ってる中で、
夏の思い出と言われましても。。。と、
自分の記憶を辿ってみたが、
思いつかない

はっきり言って、夏の思い出はない

会社員時代、同じ職場のメンバーで、
海水浴に行く計画を立てた

集合場所に帰省先の田舎から
駆けつける算段になっていたが、
高速道路の想定外の渋滞に巻き込まれ、
約束の時間には間に合いそうもない

当時、携帯電話はなかった

連絡しようにも、サービスエリアから
電話を掛けることしか出来ないが、
約束の場所へ出掛けている仲間には、
連絡のしようもない

悶々とした時間が流れる

絶望感と喪失感

バックシートには、海水浴に行くための
グッズが無造作に置かれている

その後、会社の独身寮へ戻った後、
何をしたのかは、今となっては
全く記憶の襞に残ってないし、
覚えていたとしても、それが
「ひと夏の思い出」とはならないほど、
悲しい出来事だった
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なんか嫌な気持ちになる

2024年07月11日 | 芸能ネタ
電車から降りる家族

小さな子どもを連れた夫婦が雑踏を歩く

雨が降っているので、傘をさしつつ、
人混みの中を進む

じとっと湿気を含んだ画面の中、
喫茶店らしき店内で
スマホの画面を見せる

チケットでも予約出来たのだろうか

画面は変わり、高原の高台に
三人が並び立つ

なんのCMか忘れたが、
私はこのCMが嫌いだ
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自分を落ち着かせる目印

2024年06月19日 | 日記・エッセイ・コラム
X(旧ツイッター)を見ていると、
格言のような物が流れてくる

生きづらさを感じていたり、
毎日の暮らしの中でのストレスや悩みを
解決したり、考え方一つで
自由に自分を解放すべき!的な
10カ条が画像として添付してある

なになに

と、その文言を読んでみる

確かに、完璧主義は疲れるよね
テキトーじゃないと、自分を追い込むだけ
休みも必要だし、他人に助けを求めるのも大事
正義感よりも楽しみに重点を置いた方が・・・

なかなかいい事が書いてあるじゃないか!と、
ハートの「いいね」を押す

スクロールして、他の投稿を見ていると、
また同じような画像が上がってくる

他人の目を気にしすぎるな!確かにそうだ
やる前から色々と考えすぎるな!確かにそうだ

そしてスクロールを続けると、
また新しい格言が!

こっちもいい事書いてあるじゃないか!

と、次々に登場する言葉を読み進めて思う

これをいちいち気にしている自分は
大丈夫なのか?

こんな事も気にならないように
生きていけばいいじゃないの?

でも思う

指標は必要だ

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完封負けでしたが楽しかった

2024年06月14日 | スポーツ
私は阪神ファンだ

中学生の頃までは、
はっきりと巨人ファンであるという自覚は
なかったが、サードの中畑が好きだったし、
それまでのサードの高田も好きだったので、
推しで言えば、巨人だった

それが

高校に入学すると、阪神好きへと
変わっていった

侍ジャイアンツにウルフ・チーフという
阪神の助っ人外国人が登場したことも、
ある程度、影響している感も否めないが、
理科の担任であった西垣先生の影響が大きい

授業の前に前日の戦績を含め、
実況と反省を話してくれる

その話が長いほど、授業自体の時間が
短くなっていくので、皆んなで焚き付け、
阪神の話を聞くように仕向けた

そんな時間を過ごすうちに、
阪神の選手に愛着を持つようになり、
阪神ファンへと移ろいでいった

家族で言えば、母親は熱烈な南海ファンを経て、
原辰徳の入団を機に、巨人ファンへとなっていた

父親はアンチ巨人だったので、
夫婦仲は、こと野球に関しては良くなかった

そんな二人を見て育った身としては、
同じ阪神ファンか、全く野球を知らない人と
結婚しようと思っていた

妻は、野球を知らない

知らないからこそ、
私の気持ちを逆なでするような事も
平気で言ってくる無邪気さもあるが、
知らないのだから、仕方がないと諦めている

そんな妻が、野球を観に行こうと
誘ってくれた

甲子園のチケットは取れなくても
交流戦なら・・・と機転を利かせてくれて、
初の京セラドームでの観戦となった

「テレビ見てる時とテンションが違うね」

と、言われたが、
そりゃそうだ

現場とテレビの前では、違う

久々の野球観戦

異空間で私は舞い上がっていた
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4年生の時だけでした

2024年06月06日 | 日記・エッセイ・コラム
それは四年生の時の話

授業中、一人の児童が手を挙げ、
「先生、オシッコ行ってもいいですか?」
と、確認をした

小学校入学以来、そう教わってきたから、
その児童は同じように先生に申し出た

しかし、その時の担任の返答は違った

「私がダメと言ったら貴方は我慢するんですか?」

言われた児童はもちろん、
周りの僕たちも困惑した

授業中にトイレに行かせてもらえない?
プチパニックになっていると、担任が続けた

「トイレに行ってきます!だけでいいですよ」

目から鱗だった

判断を相手に委ねるのではなく、
自分の行動を決めて報告すればいい

当時、そこまでの思慮はなかったが、
とにかく、確認しなくても
報告をすればいいんだと思った

そして月日は流れ1年後

「先生!トイレに行ってきます!」

と言った同級生は先生に

「行ってもいいですか?でしょ?」

と、注意された

もちろん、その担任、4年の時の担任とは違う

目から再び鱗

あぁ、常識ってのは、人によって違うんだと、
学ばせてもらった
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