ひとには、定められた寿命とうか、天寿というか・・・そんなものがあるらしい。
いくら、ここで、自分の人生を終わらせたいと思っても、寿命が尽きねば、終われないのだろうし、まだ、死にたくないって言っても、寿命が尽きているのなら、若くして、死ぬ・・・ということなんだろう。
私は、若い頃、せいぜい42歳くらいまでしか、生きないだろうと思っていた。
この42歳という年齢は、根拠のあるものではないが、母方の祖母が、36歳で、逝ったので、それよりは、少し長いかもしれない・・・と、適当に、考えた年齢である。
42歳より、長ければ、60歳くらいで、死ぬのかな・・・というよりは、60歳くらい死んだ方がいいや・・・と思っている。
ところが・・・。
どうも、この60歳では、死ねなさそうだ・・・というより、過去3人の占い師の方が、
『長命である』
とのたまった。もし、本当に、長命であるならば、困ったことである。でも、占いだから・・・?
なに故であろうか・・・。天は、私を生かす意味がないというのに。殺す意味もないのかもしれない。
現状では、『低血圧・除脈・脈弱』といった循環器系が、普通の人以下しか働いてくれないし、仕事をしているときは、かろうじて維持しているものの、休日などは、横臥して凌いでいる状態である。
我が身を養うために、大嫌いな会社へ行き、大嫌いな仕事をしている。
これが好きな仕事だったら、どんなに人生楽だったことか・・・。
何をやるにも、身体がついていかず、結局、ただ生きているだけのひととしては、惨めな存在でもある。
こんな状態なら、さっさと、彼岸へ行きたいものよ・・・と常々、思っているのだけれど、ひとは、天命まで、生きなければならぬ・・・という生命の法則というものか・・・そんなミもフタもない掟に縛られ、無意味な日々を送っている。
或る意味・・・地獄。
緩慢な死を与えられて、生きることも、死ぬことも許されぬ。
目の前にあるのは、どうしようもない現実。
回避できない苦痛と苛立ち。
さっさと尽きてほしい寿命では、あるが、たぶん、苦しむことが、天命なんだろう。
受け入れるしかないのかもしれない。
いくら、ここで、自分の人生を終わらせたいと思っても、寿命が尽きねば、終われないのだろうし、まだ、死にたくないって言っても、寿命が尽きているのなら、若くして、死ぬ・・・ということなんだろう。
私は、若い頃、せいぜい42歳くらいまでしか、生きないだろうと思っていた。
この42歳という年齢は、根拠のあるものではないが、母方の祖母が、36歳で、逝ったので、それよりは、少し長いかもしれない・・・と、適当に、考えた年齢である。
42歳より、長ければ、60歳くらいで、死ぬのかな・・・というよりは、60歳くらい死んだ方がいいや・・・と思っている。
ところが・・・。
どうも、この60歳では、死ねなさそうだ・・・というより、過去3人の占い師の方が、
『長命である』
とのたまった。もし、本当に、長命であるならば、困ったことである。でも、占いだから・・・?
なに故であろうか・・・。天は、私を生かす意味がないというのに。殺す意味もないのかもしれない。
現状では、『低血圧・除脈・脈弱』といった循環器系が、普通の人以下しか働いてくれないし、仕事をしているときは、かろうじて維持しているものの、休日などは、横臥して凌いでいる状態である。
我が身を養うために、大嫌いな会社へ行き、大嫌いな仕事をしている。
これが好きな仕事だったら、どんなに人生楽だったことか・・・。
何をやるにも、身体がついていかず、結局、ただ生きているだけのひととしては、惨めな存在でもある。
こんな状態なら、さっさと、彼岸へ行きたいものよ・・・と常々、思っているのだけれど、ひとは、天命まで、生きなければならぬ・・・という生命の法則というものか・・・そんなミもフタもない掟に縛られ、無意味な日々を送っている。
或る意味・・・地獄。
緩慢な死を与えられて、生きることも、死ぬことも許されぬ。
目の前にあるのは、どうしようもない現実。
回避できない苦痛と苛立ち。
さっさと尽きてほしい寿命では、あるが、たぶん、苦しむことが、天命なんだろう。
受け入れるしかないのかもしれない。