半年ぶりの観劇で、感激?である・・・(すみません。下らないダジャレでした)。
多少、お金があった頃は、月2回くらいは、都内で出て、感激ならぬ観劇をしていた。
相変わらずの手許不如意で、観劇もままならぬ身である。
以前は、定価で、チケットを購入していた。人気公演は、定価でないと入手できなかったし、座席が良い位置だとオークションだと数倍にハネあがり、手も足もでないから、定価で購入していた。
最近は、格安・割安が接頭にないとチケットも購入できない情けない有様だ。
何時の頃からだろうか・・・。
日本人の『娯楽』であった演劇が、『芸術』にすり替えられたのは・・・?
演劇を上演する劇場によっては、幕間の飲食禁止と言う劇場が、大半占めるのが現状で、座席で、モノを喰っていると、見張っていた係員が、
『お客様。大変申し訳ございませんが、お座席でのご飲食は、ご遠慮いただいております。ロビーにてお召し上がり下さい。』
間髪をいれず、鬼の首を取ったかのように注意に奔走する・・・。
官営というか、そういう劇場は、厳しいようで、『娯楽』の要素が皆無で、ムヤミヤタラに芸術性、演劇は、芸術で、鑑賞させてやるから有り難く思え!・・・みたいなスタンスの劇場が多い。
本来は、『娯楽』でしょうに・・・。
それなのに、堅苦しいったら。
森茉莉のエッセイの中に、彼女の母親が、茉莉氏の唯一の取り柄である料理の腕を見込んで、お弁当を作らせ、歌舞伎座へ行くという件(くだり)があって、もともと、歌舞伎などは、半日以上の長丁場だから、幕間に食事をするのが普通で、現在の歌舞伎座、新橋演舞場などは、幕間に、座席で飲食ができる。
演目もさることながら、芝居だけでなく、食事や劇場の雰囲気など、観劇の一日をフルに楽しむ場の提供も観劇の一部と捉えているのは、芸術至上主義の劇場とは、一線を画す・・・本来の観劇の愉しみ方であろうと思う。
そう思うに至るまでは、主に上演作品ばかり気にしていて、上演前にデパートのレストラン街で、食事を済ませてから劇場入りしていた時期が長ったし、上演作品がつまらなければ、損をした気分になった。
その点、昨日の明治座などは、開場時間は、上演の1時間前で、座席への着席は、上演の50分前と、他の劇場に比べ、かなりの余裕度があった。
そして何より、売店で売られているお弁当が、かなりのレベルだ。
一品一品、日本橋・人形町という古い伝統の街の食文化が詰め込まれいる。
劇場食堂の食事も実質30分という短い時間だけれど、手抜きはなかった。
大人数が、同じ時間に一同にかいして食事をするのだから、冷えていて不味いのだろう・・・そして、高額だと思っていたが、トンデモナイ。
その値段なりに、美味しい・・・そのへんで、同額ものもを食べるより、ずっとずっと美味しいのであった・・・。
観劇と食事・・・テレビや娯楽の少ない明治・大正・昭和期にかけての古き良きじだいの大衆の娯楽の姿を今に受け継ぐのが、銀座、日比谷、日本橋の劇場であろう。
そう言えば、かの帝劇も幕間の座席での食事は、OKだった。
そんなことを思えば、芸術至上主義の劇場の在り方にも、一考してもよさそうだな・・・と思うが、まあ、無理か・・・。