曇りがちながらも、暖かな週明け。
もう6~7年くらい前になるのだろうか・・・?
塩キャラメル珈琲という缶入り珈琲が、お気に入りで、午前中のルーティンワークが一段落すると100円玉を握りしめ?(←小学生みたいだが、今の小学生は、百円なんて大した金額ではなかろうて)、会社の社屋の玄関脇の自販機迄、出向き、買い求めた。
リーマン・ショックのあと、最初に派遣された部署が、子会社と合併して、他の派遣仲間は、全員、契約打ち切りで、私は、たった一人になって、あとは、全員正社員という・・・わりと過酷?な環境の中で、日々、このくどい甘さの中に、ほんの少しの塩味のする珈琲を飲んでいる時だけが、唯一、ほっとする時間だった。
暫くして、製造中止になったのか、或いは、あまり売れないから、自販機からハズされたのか・・・そのあと、その商品を見ていない。
その頃から、塩キャラメルだの、塩チョコレートだの・・・一時的だったのか、今も続いているのか、欧羅巴の高級塩使用を売りにしている菓子類が、販売された。
おしるこを、作るとき、仕上げに、塩一つまみ入れると、甘さが増すとか、箸休め?というか、一緒についてくる塩昆布などが、甘さと塩味の絶妙なバランスで、美味しさが増すことを知ったが、そのときは、塩が、身体に悪い・・・というガセネタを信じ込んでいて、料理をするときも、極力、塩を使わないように気を付けていた。
・・・使ってはいけない塩は、化学合成(或いは、分解?)された塩であって、天然天日干しとか釜炒りの塩は、人体には、不可欠らしい。
結局のところ、料理の味は、たぶん・・・殆どが、塩の味で、甘さを要する甘味でさえ、塩のチカラが、必要なのである。
割れチョコレートに、ヘーゼルナッツとマシュマロを混ぜて、固めるだけの好みのチョコレートを作ってみたけれど、コレもまた、塩が入るのと、入らないのでは、味が、全く違う。
『甘さ』の中に、塩味が、独立するのである。
その塩の味が、自立したチョコレートは、私好みの塩加減(といっても、添加する量は、適当で、規定の数量ではない)なので、私以外のヒトが、食べると、美味しさを感じないかもしれない。
まだ試したことはないけれど、たぶん、化学塩と自然塩では、塩味の独立の仕方が、違うのだろうと思っている。
そして、もしかすると、塩をまぶしてあるヘーゼルナッツでは、美味しくないような気がする(試したことはないのだけれど)。
チョコレートなどは、出来合いのものを買ってくるものだとばかり思っていたけれど、自分好みのものも、作ろうと思えば、作れるものなのだなぁ・・・と思っている。
大昔・・・昭和の中頃、一粒アーモンドチョコレートというのが、発売されて、楕円形のチョコレートの中に、アーモンドが、一粒づつ入っていた。
私は、子供のころから、貧乏症だったので、チョコレートを、たべるのではなくて、なめ切り、残ったアーモンドを、最後に、ガリっと食べるのが好きだった。
随分と忍耐がいる。
こらえ性がなくて、チョコレートと一緒に噛んでしまうこともあるにはあった。
そして、たぶん、アーモンドとチョコレートを一緒に、同時期に味わうのが、最高に美味しいアーモンドチョコレートの食べ方なのだろうと今になって思う。
だから、随分と損をした・・・ような気がする。
そう・・・木の実と一緒に食べないとナッツチョコレートの意味はない・・・ということに今更ながら気づいた。