鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

お詫び

2013-02-18 23:01:10 | Weblog
昼過ぎから、雨。


拙ブログにお越しいただいた数少ないお客様

このブログは、全体的に、暗い、愚痴ばかりの記載が大変多うございます。
特に、最近は、去年夏の終わり頃から、年明けにかけての身体不調により、精神的にも、鬱状態で、ご閲覧いただいた皆様の中にも、ご不快に感じた方も多々いらっしゃるかと存じます。
この場をかりまして、お詫び申し上げます。

年が明けて、一時的に、回復して、今年は、もしかしたら、『絶好調』に転じるかと期待していたのですが、それも1週間も経たないうちに、今度は、腰痛に見舞われ、再び、埋没するような日々になっています。

痛みと向き合っていると、どうしても、暗くなる一方なのですが、こういうことにも、慣れが生じてきて、歩行困難になったら、なったで、そのとき考えればいいし、仕事に支障がでたときは、そのとき考えよう・・・とにかく、身体が不調なときは、休養しようと思うようになりました。
仕事を休養すれば、私のような非正規社員の商品価値は、皆無になって、解雇も時間の問題なのですが、そのときは、そのとき。
今日、明日・・・すぐ困窮する訳ではないし・・・と、ヘンな開き直りが出てきました。
私の性質から言えば、こういう開き直り方は、今まで、したくてもできなかったし、撃沈状態の心理の中で、不思議な解放感がありました(でも、またすぐに、不安に陥るのはいつものことですが)。
以前のような、切羽詰まった閉塞的な状態とは、ちがう、どこか、ゆったりとした、何故か、妙に穏やかな撃沈状態であることが、不思議です。

有名人やタレントさんのブログなら、その消息を知りたくなるでしょうが、私のように、存在価値の全く無い、一般人・・・市井のひとの書いたブログなんて、まったく影響力もありませんし、何かの検索ワードで、偶然お越しいただいて、内容のあまりの暗さに、不快感を、お感じになった方々に、深くお詫び申し上げたく、つたない文章を綴りました。

また、稚拙ながらも、細々と続けていければと思っております。

お越しいただけました皆様に、感謝の意をお伝えするとともに、お暇がございましたら、またのご訪問をいただければ幸いです。

立春を過ぎて、今日は、二十四節気の雨水。
まだまだ寒さも続きますので、ご健康には、充分お気を付けくださいませ。
人間、健康でないと何もできませんこと、この半年に改めて、実感致した次第です。


三毛猫堂拝


どんどんダメになってゆく・・・。

2013-02-17 22:52:01 | Weblog
昨日の強風も収まり、穏やかな日曜日。


このところ、何もする気がなくて、ただ、ただ、横臥していたい。
朝は、起きたくない。

もちろん、いの一番に、会社になんぞ、行きたくない。
会社に行きたくないから、車の運転もしたくない。

出社しなくていいのなら、湯浴みもせず、髪も洗わず・・・。
身体的に不快でないのなら、そんなこともしたくない。

本も読みたくないし、テレビも見たくない。

炊事、洗濯なんて、もちろん論外。

空腹にならなければ、食事もしたくない。

しなくていいなら、なにもかも、したくない。

だた、横臥して、日々をやりすごしたまま、いつしか、自然に、消えている。

面倒な日々の雑事もなく、身体も痛くなくて、嘔気もなく、ただ、揺蕩うだけの・・・。

こうして、どんどん、ダメになる。

心底、ダメになる。

どんどん・・・ダメになってゆく・・・。



麗しの昼食

2013-02-16 22:50:40 | Weblog
強風。


休日や体調不良など休暇を取った日などは、昼過ぎまで、寝ていると、空腹になる時間が、ズレて、午後3時くらいにようやく、何か、食べとこうと思ったりもするけれど、あと3時間もすれば、既に、夕食の時間帯になるから、お茶くらいにしとこうか・・・ということで、結局、あまり食べなかったりする。
休日だから、いいようなものの・・・。

平日は、朝起きて、会社へ行って、午前中仕事をすると、昼前には、空腹になるのは、生体の当然の反応だろうと思う。

平日でも、まともな一食といったスタイルの昼食を取らなくなって、数年が過ぎた。

ある時期から、会社という場所で、昼食をとるのが、面倒になってしまったからだ。
社食は、塩分がきつくて、夕方まで、水を飲み続けないといけないし、自宅からお弁当を作って持っていくような体力がない。

こんなことをしていると、生体的には、良くないだろうし、栄養失調になるかもなぁ・・・と思うこともあるけれど・・・なに・・・昼前の11時頃、ドライフルーツと珈琲で、空腹を凌げば、午後3時くらいまでは、充分も持つので、午後3時前に、再び、軽く、栄養補助食品と称するビスケット類を食すれば、夕食までは、それで、充分だし、相当、空腹になった身体には、1日の最終として、夕食が待っている。

現在のところ、平日の私の昼食は、『音楽』だけで充分な気がする。

麗しの昼食だ。

以前は、フュージョンばかり聴いていたけれど、それが、ハードロックになり、普通のロックになり、ポップスになり、緩やかに転移していく。

音楽の好みは、面倒なパラダイムが、存在しないせいか・・・(それでも、好き嫌いは、激しいから、どうしても受け入れがたいモノもあるにはある・・・というか、ありすぎかも・・・)。
感覚だけで、好きになれる・・・。
音楽に関しては、理屈が言えない。
ただ、感じるだけだから・・・。

・・・という訳で、私の昼食は、小さなウォークマンから再生される音なのだ。


沈みゆく日々・・・

2013-02-14 22:51:52 | Weblog
くもりがち。



今日も一日が、私の過去に沈み込んでゆく。

在っても・・・、無くても・・・、どうでもいい一日。

何の意味をなさない一日が、またひとつ過去に沈み込んでゆく。

何もない過去

何もない現在

何もない未来

何の意味もなさない時間が、沈んで、沈んで、沈み込んでゆく。

ただ、虚しい堆積した時間だけが、そこにある。

そして、今日一日が、また累積されるだけ。

明日もまた、そんな一日が過ぎ去ってゆくだけなんだろう・・・。



雪の日の朝

2013-02-13 22:53:47 | Weblog
朝起きると、あたりがうっすらと雪に覆われていた。

車のフロントガラスにも、一面、雪に覆われている。
氷の方が多いから、ミゾレだったのかもしれない。

いつもより長めに暖気して、フロントの雪を融かそうと思ったのだけれど、凍りついているためか、なかなか融けない。

主要幹線道路は、通常通りで、ひとまず、安心。
やはり、1月の雪とは、違って、春の雪なのだろうなぁ・・・と思う。
1月の雪は、3週間くらい融けずに、灰色に汚れても存在していた。

極端な大雪でなく、朝方の気温が、氷点下にならなければ、この地域は、通勤にも支障がない。

子供の頃は、雪が大好き?だったのに、今は、もう煩わしいばかりである。
通勤さえなければ、たぶん、このトシでも、充分楽しめるのはないかと思える。

犬なんかつれて、雪道をお散歩するのもいいかもしれない。

子供のころ、家にいた犬は、歌のとおり、喜び・・・庭駆けまわる・・・なんてもんじゃなくて、もう弾丸のように、走り回っていた。
嬉しさあまって、気がふれる・・・状態だった。

今、通勤時間に、犬を散歩させているご婦人とすれ違うことがあるけれど、専業主婦なのか、或いは、パートタイマーなのか・・・いづれにせよ、それ程、時間に縛られてはいないようで、羨ましい限りだ。
あの時間帯に、犬とお散歩か・・・。

会社へ行くこともなくて、平日を自由に過ごせる・・・なんてのは、夢のまた夢。

来世があるのなら、綺麗で、優しい奥さんに飼われて、大事にされる犬もいいかな・・・と妄想する。

それでも・・・やっぱり、猫の方がいいか・・・。
特に、散歩にもいかなくていいし、雪の日は、炬燵のなかで、ヌクヌク暮らす・・・。

別に、犬や猫でなくても、ナマケモノでも、一向に構わないのだが・・・。

そんなことを考える雪の日の朝。


Blue Tuesday 沈み込む火曜日。

2013-02-12 22:52:43 | Weblog
曇りがちで、寒い週明け・・・。


Blue Manday ならぬ、Bule Tuesday ・・・。
全てが、沈み込むような1日。

特に、急ぎの仕事がある訳でもなく、通常のプロジェクト費用から生産工程で、使用する機材類やら、工具類の発注書類の作成に午前中を費やし、午後からは、月次の請求書関連のチェック。
こんなに請求ミスがあるのに、請求元からは、なんの問い合わせもない。
・・・いいんだろうか・・・と思う。
一度、請求書を発行してしまうと、見直しや確認など、しないような取引先(関連会社だから、いい加減なのである)だから、過剰に請求されていなければ、神経質になる必要もないけれど。

しかし・・・前月度は、百万単位の誤差で、過剰請求もあったし、支払う我が身は、神経質にもなろうというもの。支払われる前に、支払停止をかけないとまた面倒なことになる。

支払停止の修正伝票を起票するのは、ウンザリだ。
私のミスでもないのに・・・。

そんなことを考えると、どんどん沈み込んでいく。
会社の費用だし、どうなろうと知ったこっちゃないのだけど・・・。

このシステムを使うようになって、5年くらい立つし、何度か、改修もされたけれど、私自身のミスで、修正伝票を起票したのは、3回くらいしかない。

でも、そういう正確さなんて、誰も評価しないし、自慢もできない。

(なんで、こんな簡単な伝票をミスするのだろうか・・・?)
そう思うから、ヒトにやってもらうのは、イヤだ。
どんなに、時間が迫ろうと、システム・ロックに間に合わなかろうと、自分でやった方が格段に速いし、修正しない分、ラクなのだから。

・・・それでも・・・。
沈み込む1日。
心は、落ちていくばかり・・・。

こんな仕事は、ツマラナイ。

どんどんブルーになるばかり・・・。

届いたばかりのLim Hyung joo のCDは、明日聞くことにしよう。

今日の気分を引き摺ったまま、彼の歌は、聴けないから・・・。




おんぶSCENE

2013-02-11 21:01:30 | Weblog
春にむかっているものの、まだまだ北風は、冷たい。


週末病人なので、横臥したまま日を過ごす。
信じられないくらい、よく眠るけれど、全く、疲労が取れないし、眠ると疲れる・・・極めて、不快な状況なのだけれど・・・。
・・・という訳で、DVDなど見ている。

ヒトが、背負われる美しいシーン二題。韓国ドラマでは、多いのでしょうかね?2作品も最初だけしか見ていないから、違うかも・・・???

『宮廷女官チャングムの誓い』は、医女編まで、視聴した。
無実の罪で、済州島に流刑にされたハン尚宮様が、身体も弱り、チャングムに背負われたまま、亡くなるという悲しくも美しいシーンがある。
囚人達は、冬枯れした荒野を歩いていく。
このストーリーでは、チャングムが、呪いの御札事件で、納屋に閉じ込められ食事も与えられず、ハン尚宮が、衰弱しきったチャングムを背負うシーンと対をなす名シーンだと思っている。

王の閨に、慕い続ける女を背負っていくチョソンは、『王と私』の中(前半の前半)でも、もっとも切なく哀しいシーンだ。
王と初めて閨を共にするソファ(後の廃妃尹氏)は、目隠しをされ、チョソンと知らずに、背負われて、王宮の回廊を行く。
悲しい悲しい春の宵(・・・季節は、失念した)。


おんぶのシーンなら・・・本邦も負けてないですね。

『茨の道なら背負って通る』・・・夜叉が池(泉鏡花)の萩原晃のセリフ。
息絶えた百合を抱いて、後を追う覚悟の自害。

『桜の森の満開の下(坂口安吾)』は、山賊は、都の女を背負って、桜の森を通る。
高飛車で、高慢で、美しい女は、ひとの生首を収集して、遊ぶのが、趣味・・・・
その首を調達するのが、彼女をさらった山賊の仕事となるけれど。
桜の森で、背負った女は、醜悪な老婆の鬼の姿になり、山賊の首を絞つける・・・。

極め付け・・・『夢十夜(夏目漱石)』の第三夜。おぶっためくらの子どもは、見えないのに、背負われた風景を次々に言い当て、やがて、『おまえが俺を殺したのが百年前』と告げる。殺人を思い出したとたん子供は、石の地蔵のように重くなる。

ひとは、ひとを背負って、彼岸に旅立つのだろうか?

私は、腰痛で、もう子供さえも背負えぬ身だけれど・・・。


さよならをするために・・・。

2013-02-10 22:52:11 | Weblog
光は、とっても春なのに、空気が冷たい・・・寒い1日。


最近、よく夢をみる。
去年の秋から、今年の始めと、今年の1月中旬から2月の初旬の週末は、ほぼ寝たきりだったし、
昼夜を問わず、ウツラウツラしていたものだから、夢くらい、いくらでも、みるだろう。
そんなこんなで、夢占いの本など、紐解いてみる。


心を寄せていたひとが、夢に出てくると、それは、お別れの前触れだとか・・・。

お別れ・・・と言っても、距離が遠くなるお別れだとか、彼岸への旅立ちもお別れだろうし、もう諦める・・・と心に決めるのも、お別れのひとつだろう。

意中のひとが、夢に出てくるのは、お相手の気持ちが、どうの・・・という共感的テレパシティックな問題ではなくて、自分の心(脳だとか、潜在意識)が、予知的に見せてくれるものなのだろうと思う。

夢のなかのあのひとは、現実のあのひととは、ちょっと違う。
何処が違うのかわからないけれど、たぶん、自分の脳なり、潜在意識か顕在意識が、勝手に作り上げた幻像に違いない。
だから、現実とは、微妙に違っている。

顔が違う、声が違う・・・、現実では、絶対着ないような服を着ている・・・なんて、明確なものから、なんとなく違和感がある・・・どことなく違うといった曖昧な感覚まで、様々だけれど。

夢の中の意中のひとは、さよならをするために、出てくるのだ。

現実には、叶えられない望みをかなえるために・・・。
そして、叶えられない現実を諦めるために・・・。

なんだか・・・そんな気がする。

そして、現実で、心が通じ合っている人が、夢に出てくるのは、相手が、自分のことを思ってくれているなによりの証だろう。
だから、感応する。共感する。

感じる・・・ただ、それだけで、幸福な夢(或いは、現実)となる・・・ような気がする。
それでも・・・現実のあのひとも・・・もしかしたら、さよならをするために、現れるのかもしれない。

それにつけても、最近は、よく夢をみる・・・。

夢見る人は、眠る人。そして、さよならをするひとに出会う幻の現実。


腰痛考

2013-02-09 23:00:10 | Weblog
空気が冷たい・・・寒い1日。


原因不明?(・・・イヤ、明らかに運動不足によるものだと思うけれど)の腰痛が、慢性化してきていて、どうにも、身動きが取れない。
今を去る事、7年半前に、歩行不可能な腰痛を起こして、11日間の入院を強いられたことがあるが、このときのきっかけは、出社しようとして、屈んで、靴下を履こうとしたら、いきなり、ギクッ!と来て、その後、もう痛みで歩行できなくなっていた。

次が、1年半前で、コレは、一番最初の腰痛よりも、軽く済んだが、1週間くらいは、起きていられないくらい難儀したので、割と、重症だった。
この原因は、かなり馬鹿馬鹿しいのだが、一応書いておこう。

都下の病院で、上顎洞の骨の手術をした日、帰宅途中のJR駅構内で、電車のホームを間違えた。早く帰りたかったので、焦っていたのだった。

階段を登り切り、間違いに気づき、引き返そうとしたら、円柱に凭れたカップルがいて、昼間から、発情気味の御様子で、抱き合っているのが視界に入った。

(ここは、ニューヨークでもロサンジェルスでも、パリでもない・・・公衆の面前で、真昼間っから・・・)と思いながら、視線をそらして、Uターンをしようとした間に、ギクッ!!!
あのカップルは、自分たちは、知ったこっちゃない思うだろうが、私のギックリ腰の原因に、70%くらいは、関与しているのである。アイツらのせいで・・・???ヒトは、自分の気づかないところで、他人に多大な影響を与えるものなのである。

・・・翌日も、病院通いをしなくてはならないのに。
口の中は、血だらけ。麻酔が切れれば、痛みが出る。そして歩くたびに腰は、痛い。
(・・・このまま、自宅まで、たどり着けるのだろうか・・・)
7年半前の歩行困難を思い出し、頭の中は、パニックに陥った。
(タクシーで帰宅するとなると・・・10万円くらいかかるかな・・・)

歩くことは、なんとか出来そうだ。私は、新幹線で帰宅するハメになった。

あのときの歩けなくなったら・・・の恐怖は、今でもつきまとう。
痛みが、トラウマになってしまった。

・・・腰痛とは、関係ないし、タイトルも忘れてしまったのだけれど、片岡義男氏の小説で、一人で、ハイソなマンション生活をする中性的な女子高校生とその恋人(・・・こういう括りでいいのかどうかわからないけれど、女の子同志の恋人)が、私鉄の新宿駅のラッシュの中で、抱き合って、キスする場面があったような気がする。
こちらは、清潔な?女子高校生で綺麗な感じだったが、私をギックリ腰におとしいれたバカップルとは、全く違う(・・・ような気がする。やってるコトは、同じか・・・)。
まあ、片や小説、片や現実の色ボケした醜い?バカカップルという違いは、あるかも・・・。
(実際は、それ程、見苦しくもないのかもしれないが、少し、恨みが籠っているので、正確なビジュアルは、思い出せないでいる)

器物百年の劫を経て、付喪神となる・・・。②

2013-02-08 23:00:45 | Weblog
強風。風が凍るような金曜日。


風の時計が、白い波を刻む・・・
まるで永遠の心のように・・・。

時の中に見えていただけの砂上の夢・・・

(砂上の夢:by Grass Valley)


お題とは全く一致しませんが、時の堆積・・・を感じる曲(詞)なので、ちょっと書いてみました。


さて、器物百年を経て、付喪神になる・・・というお題でしたが。

若さに任せて、ただ、ガムシャラに突き進むのも、よいものでしょう。若い時期だけにしか味わえないラフな感覚とでもいいましょうか?

例えば、味覚。
質より量で、食べていた時代。空腹を満たすだけで、それだけで、美味しかったのに、食が細くなると、もう味覚が合わないと、どんなに空腹でも食べたくない・・・。
過去に最高に美味に感じたものが、不味い・・・そんな経験も最近多いものです。
素材自体が変わってきてることもあるでしょうし、自分の味覚も変化していることもあるのだろうから・・・。

器物は、味覚・感覚・触覚・嗅覚・視覚などは、もちろんありませんし、むしろ、これらを使う側の人間が楽しむもの・・・。
受け手のヒトが、時間によって変化すると、送り手(使われる側)の器物もまた時間によって変化するのかもしれません。
物理的風化(退色したり、微妙に形が歪んだり)・・・だとか。

受け手に合わなくなった器物は、捨てられるか、壊されるか・・・或いは、大切に保存されるか(こんなのは、稀だけれど)・・・だから、100年も保存されると付喪神になるのかもしれません。

ヒトは、感覚が鈍くなり、やがては、死に至りますが・・・。

器物もやがて、形あるものは毀れるのとおり、その形を失ったものは、ソレでおしまい・・・。
付喪神になれる器物は、本当に稀。美術館か富豪の蔵に眠るのか・・・。

ヒトも器物も100年位風雪を耐え忍ばないと、本物には、なれないのかもしれません・・・。

すみません。お題と内容が全く一致せず、論旨不明瞭な内容になってしまいました。
書いていて、書きたいことが散逸した最悪のパターンです。