どうやらこのまま、桜の季節を迎えることになりそうだ。デイサービスの皆さんと穏やかな陽気に中、公園に散歩に出かけた。90歳になるような人でも元気に歩ける人もいれば、若いけれども歩行がもどかしい人もいる。歳を取ると、年齢だけでは判断できない身体能力の差が大きくなる。私は週に1日、お年寄りの人たちと一緒に過ごしているが、お年寄りたちを見ていると確実に明日の自分を見ているように思う。
明日の自分などと書いたけれど、実は第3者から観れば、少しも変わりないかもしれない。そんな皆さんと公園に着いたら、とても人懐っこい女の子が一輪車でやってきた。「上手ね。お願いがあるんだけれど、聞いてくれる?もう一度、一輪車に乗ってここを通って見せてくれる」と、スタッフの女性が女の子に話しかけた。女の子は、坂道の下から、少しよろよろとやってきた。下りの時は勢いよく乗っていけたが、上りとなるとちょっと力が要るようだ。
女の子はそのまま、私たちの集団に入り込み、90歳に近いおばあちゃんの手まで握ってくれた。「私のおばあちゃんの家のそばに、100歳になるおばあさんがいるとお母さんが言っていた」と女の子は言う。スタッフの女性が「あなたのお名前はなんていうの?」と聞くが、女の子は名前を教えてはくれなかった。余りに小さいからスタッフが「今度小学生?」と聞いた時には、「3年生になるの。小さいからいつも5歳かって聞かれてしまうの」と平気な顔で言うが、傷つけたかなと思った。
それにしても今時の小学生は、知らない人には名前を教えてはならないとしつけられているのだと知った。そういえば、子どもたちが学校から帰る時は、名札は胸にはつけないそうだ。知らない人に親しく話をしない、名前を聞かれても決して言わない、名札をつけない、なるほどそういう世の中になってしまったのだと実感した。女の子はとても素直で、いつまでもおばあさんの手を握っていてくれる優しい子だったのに。女の子は充分に世間に心を開いていてくれたのに、名前は言わなかった。
恐ろしい世の中だと思う。人は人の中でしか幸せになれないのに、人を見たら泥棒か誘拐犯に思えと教えなくてはならない。泥棒とか誘拐犯という言葉ではなくても、決して信用してはならないと子どもに言い聞かせなくてはならない世の中は全く恐ろしい。
愛した人がどんな人なのか、わからないような世の中は馬鹿げている。地獄の底までついていくと信じていいじゃないかと思うのは私の勝手なのだろうか。
明日の自分などと書いたけれど、実は第3者から観れば、少しも変わりないかもしれない。そんな皆さんと公園に着いたら、とても人懐っこい女の子が一輪車でやってきた。「上手ね。お願いがあるんだけれど、聞いてくれる?もう一度、一輪車に乗ってここを通って見せてくれる」と、スタッフの女性が女の子に話しかけた。女の子は、坂道の下から、少しよろよろとやってきた。下りの時は勢いよく乗っていけたが、上りとなるとちょっと力が要るようだ。
女の子はそのまま、私たちの集団に入り込み、90歳に近いおばあちゃんの手まで握ってくれた。「私のおばあちゃんの家のそばに、100歳になるおばあさんがいるとお母さんが言っていた」と女の子は言う。スタッフの女性が「あなたのお名前はなんていうの?」と聞くが、女の子は名前を教えてはくれなかった。余りに小さいからスタッフが「今度小学生?」と聞いた時には、「3年生になるの。小さいからいつも5歳かって聞かれてしまうの」と平気な顔で言うが、傷つけたかなと思った。
それにしても今時の小学生は、知らない人には名前を教えてはならないとしつけられているのだと知った。そういえば、子どもたちが学校から帰る時は、名札は胸にはつけないそうだ。知らない人に親しく話をしない、名前を聞かれても決して言わない、名札をつけない、なるほどそういう世の中になってしまったのだと実感した。女の子はとても素直で、いつまでもおばあさんの手を握っていてくれる優しい子だったのに。女の子は充分に世間に心を開いていてくれたのに、名前は言わなかった。
恐ろしい世の中だと思う。人は人の中でしか幸せになれないのに、人を見たら泥棒か誘拐犯に思えと教えなくてはならない。泥棒とか誘拐犯という言葉ではなくても、決して信用してはならないと子どもに言い聞かせなくてはならない世の中は全く恐ろしい。
愛した人がどんな人なのか、わからないような世の中は馬鹿げている。地獄の底までついていくと信じていいじゃないかと思うのは私の勝手なのだろうか。