友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

うだつの町並み散策

2008年03月28日 20時37分33秒 | Weblog
 心配していた天候にも恵まれ、美濃市の町並み散策は充分に楽しめた。「うだつの町」といつごろから知られるようになったのか、はっきりわからないが、私が地域新聞を作っていた頃に一度見に来たことがあるから、20年は経ているように思う。町並みはかなり整備されていて、今日は平日なのに、散策する多くの人に出会った。通りのあちらこちらで雛人形が飾られていたが、それらの人形は特別古いものではなく、いわば散策する人の目を楽しませてくれるための企画のようだ。

 江戸時代から続く紙問屋は、観光客のために開放されていたが、こうした家がもう何軒かあれば、もう少し目玉になるかもしれない。それでもあちらこちらと見て周り、造り酒屋で地酒も買った。観光客相手の郷土料理の店などは無く、結局は「道の駅」での昼食となったが、いろいろと品数も多く、皆さん「お腹いっぱい」と満足された。私たち塾生の最長老はこの町で青春を過ごした。戦争のために浜松から疎開し、この町の武義高校が母校というので、町にはとても詳しく、おかげでたくさん案内していただけた。

 この人の同級生がこの町の川上で、鵜飼に使う船を造っているというので、見学させてもらった。船の造り方は全く昔のままだという。この辺りの人々も昔は鮎を獲るために船を持っていたが、今ではもう数少ないと言う。鵜飼いも昔のままと言うけれど、伝統は失われつつあると教えてくれた。この船大工さんは一人で船を造っていたが、後継者はもういないようだ。船造りの設計図はない。長年の勘であの美しい曲線が出来上がっていく。板と板とのつなぎも、接着剤は使わずにどうするかも教えてもらったけれど、こういう技を受け継ぐ人がいないことは寂しい気がした。

 郡上八幡は何度か訪れたことがあるのに、美濃市をゆっくり歩いたのは今回が初めてだった。古い町には昔懐かしい趣がある。私は愛知県刈谷市の生まれ。刈谷も城下町で、城跡の隣が小学校だった。小学校の周りには寺横とか肴町とかいう地名もあった。肴町を過ぎると黒い塀に囲まれいつも甘いような不思議な匂いが漂う造り酒屋があった。現在の刈谷市にはもうそんな昔の風情は残っていないが、美濃市を歩いて懐かしい気持ちになったのは、そんな共通項があったのかもしれない。

 最長老が青春の地を懐かしく語る姿を見ていて、そこに人の原点があると感じた。
コメント
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