友々素敵

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議員と公務員は清貧が当たり前

2008年03月25日 20時52分39秒 | Weblog
 24日の愛知県議会で、「県議の調査研究に充てる政務調査に関する条例改正」が可決され、3万円以上の支出に領収書添付が義務付けられた。ただし、人件費は除かれる。自民・公明はもとより民主もこれに賛成した。「政務調査費は1円から全面公開を」と選挙で主張してきた民主党の佐藤夕子議員(名古屋市東区)は、採決の際に退席した。佐藤議員は「民主党議員団の一人として、選挙時の公約を守るためのぎりぎりの判断」と述べ、今後も議員団で活動する考えを話した。

 これに対して民主党議員団の中には「除名すべきだ」との意見もあると新聞は報じている。議員団の団長を務めるかしわぐま光代議員は「支援者の声と(佐藤議員の)信念に照らして判断した結果だと思う」と言い、今後の対応については「これから議員団で話し合って決める」と述べている。近く規律委員会で佐藤議員から事情を聴き、処分が必要かどうかを検討する方針だそうだ。

 議員が会派を組むと、それはヤクザの組織か、連合赤軍にも似た組織になってしまう。どういうことかというと、ここには全く民主主義も個人の自由も存在しない。人がそれぞれに違うということが許されないのだ。多分、組織を作り上げた人間はそれぞれの個性を認めてしまっては、組織が組織としての体をなさないことを一番恐れたのだ。なぜ、恐れたのか。自分がその頂点にいられなくなるからだろう。

 政党は政策ビジョンを同じくする者の組織だ。けれども、その政策についても党員の間で果たして議論できているのか怪しいものだ。ましてや現実の中に生まれてくる具体的な問題について、どう考えどう判断するか、まともに議論できているのか疑わしい。政党に所属しなかった私が会派を結成した時、他会派の議員から「バラバラで全然統一できていない」と批判された。なぜなら、「会派では賛成か反対かは決めないので、それぞれ自由に判断してください」というのが(私の)会派の基本だったからだ。ところが実際の採決時はどういうわけか全て一致していた。

 佐藤議員が議場を退席したが、これも以外に勇気がいる。私が議員の時、福祉センターの管理規則の中に「政治や宗教活動を禁止する」という項目があったので、「絶対に認められない」と反対した。まだ議員になりたての頃で、反対討論する場を逸してしまい、もうひとりの同調者と公明党議員とで議場を退席した。佐藤議員は民主党が賛成だったので、「党議拘束を解除して欲しい」と申し入れたけれど認められず、退席という方法で賛成しない立場をとったというわけだ。

 政務調査費は議員報酬とは別に議員が受け取る税金である。一応、議員個人にではなく会派に支払われるけれど、議員としての勉強や情報収集などを目的としたお金だ。しかし、これまでの愛知県議会のように領収書の添付を必要としなければ、全く何に使われたのかわからない。そんな不透明な税金の使われ方があってもよいのかというのが世間の意見だろう。なぜ3万円以上と線引きをするのか、人件費をなぜ除くのか。世間を一番味方にしたいはずの民主党が自民・公明と一緒に賛成するのか、さっぱり理解できない。

 議員報酬が高すぎる上に、一人当たり50万円もの政務調査費は、議員をますます特別な存在にしてしまっている。公務員と議員は清貧が当たり前であって欲しい。公務員も議員も、なぜそう思わないのだろう。
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