団塊世代向けのセミナーで、グループ別に雑談の時間があった。漠然と「雑談しましょう」と言っても出来ないので、初めての体験というテーマが与えられた。最初の発言者が結婚のことを話したので、以下それに倣って結婚にまつわる話が続いた。私もそうだけれど、団塊の世代も年齢になれば当然みんなするものだと思っていた。新婚旅行も当然の事業で、まだ海外ではなく国内が多かったようだ。名古屋空港から九州へ飛び立った飛行機は「全席が新婚カップルだった」と言う。一同そんな時代を懐かしく思った。
それでどんな家庭というと、親との同居ではなく全員が核家族だった。地方から出てきて、家庭を持った人が多いから核家族にならざるを得なかったのだ。父親は猛烈社員でなかなか家に帰らないので、子育ては母親の役目になってしまう。母親も働いている共働きの家庭では、父親が付き合いを削って母親の手助けはするけれど、やはり母親への負担は大きい。それでも私たちの時代は、子どもの頃に誰がどんな風に働いていたのか、たとえば料理の仕方や家事の進め方など、手本となるものがいくつかあった。
核家族で育った子どもたちは自分の親の姿しか見ていない。だから家庭のあり方、作業の分担や仕様も個々によって違いがあることに気が付かない。結婚してみて、その違いに戸惑うというか、自分が見て来たものが正しいと思い込んで押し付けてしまうようだ。それを反省すると、「子どもたちには何も言えない」ということになってしまう。それは仕方ないことだ。
世代毎に新しい価値観や生活スタイルが生まれることを食い止めることなど出来ないし、古い世代は新しい世代を見守る以外ないだろう。「嫁は実家には行くのに、ウチには来ない」とか、「息子は嫁の実家にばかり行く」とか、文句や愚痴をこぼすけれど、年寄りは太っ腹になることだ。クヨクヨせずに、何でも受け入れる寛容さが大事だ。そんなことを話していたら、「息子を名乗った詐欺師に何百万円か取られた人もいるよ」と言い出す。困った世の中だ。