今日は雨降りで、せっかくの紅葉も雨に打たれて寂しく見える。私が住むマンションには中庭があって、かなり大きな築山があるが、そこに植えられているケヤキやサクラなどで築山が赤く染まっている。香嵐渓はきっと見事に赤く燃えているだろう。祖父江ではイチョウ祭りが行なわれているという。町は黄金色に輝いていることだろう。
胃腸風邪のせいか、何もしたくない。気力がない、やる気がない、車はあったのだから出かけて行ってもよかったのに、どこにも出かける気がなくて、ぼんやりとしている。高倉健さんの座右の銘は「行く道は精進にして忍びて終わり悔いなし」という。誰もが一生懸命に自分の人生を生きてきた。一生懸命であればあるほど、悔いはないだろう。
ところが私は、妙なところが気になった。映画『あなたへ』に、「定年を迎えたら妻と一緒に全国を旅するつもりだった」と言うビートたけしが扮する国語の教師が出てくる。「旅行は帰るところがあるが、さすらいは当てがない旅」と妻を亡くした教師が語りかける。その中で、山頭火の句が引用されていた。
「分け入っても 分け入っても 青い山」。何気なく聞いたけれど、あれっと思った。5・7・5になっていない。5・5・5でもいいのだろうか。「分け入っても 分け入っても」の次ぎに、「なお」とか入るのではないのか、そう思ってパソコンで調べてみるが、やはりビートたけしのセリフが正しいようだ。
どこまでいっても、人間は苦悩から救われることはないのだろう。ないと分かっていても、探し求めるのが人の常、定めというものだろう。戦後70年を迎えようとしているが、民主主義が定着しているとは思えない。これからは主権在民、国民が主人公と思った。国民が主権者というなら、私たち一人ひとりが主権者ということ、なのにどうして政治は国民の意思とは違う、遠くにあるのだろうと思ってきた。
結局、私たち国民自身が変わらなければ何も変わらない。どんなに遠くても、探し求める以外にない。目の前の幸せも、探し続ける運命なのだ。