大和塾の講師の依頼のため、岐阜県のお寺に出かけた。臨済宗のお寺で、開かれて600年になるそうだ。山門を入ると立派な白州の庭があった。赤い石を組み合わせたものと青っぽい石組みの2つが目に入った。それに左端から右上に向かって並べられた石は先が細くなっている。これは何を表しているのだろう、そう思いながら庭を眺めた。
住職に本堂にある応接間のようなコーナーに案内される。住職は先代が始められた公開講座が70年になること、続いてきたものは発展させることが使命だと思い年に5回ほど行ってきたと話される。「今は、立派な坊主がいなくなりました。政治家も吉田茂さんが最後の、財界も土光さんで最後ですね」と言われ、「どうしてだと思いますか?」と逆に聞かれる。
「豊かになったためです。坊主の98%は所帯持ちです。結婚すれば相手のことが、子どもが生まれれば家庭のことが第一になりますよ。人のために尽くすはずのお寺が、人のことより自分の家庭のことが大事になってしまっています。立派な人が生まれにくいのは豊かさのせいです。坊主が独身でなければいけないと、今は誰も思っていないでしょう」。
釈迦が苦しみの中から悟った教えは中国へ渡り、朝鮮半島を経て日本に伝わり、独特のものになったと住職は言う。日本人の自然観と仏教の教えとが融合し、釈迦の教えはいっそう深められ、高められた。「キリスト教とイスラム教の対立を和解することが出来るのは日本の仏教しかないでしょう。けれどもその人材がいません」と言うから、「いや、ぜひ、ご住職こそその先駆者となってください」と私は思わず、懇願してしまった。
住職の言われるように、「ひとりなら苦しむことはないでしょう。人の間で生きて行かなければならないので、苦しみが生まれますが、人の間にしか幸せもありません」と私も思う。今、人々は立ち止まり、振り向いて、迷っている。どこへ向かったらいいのか、何をしたらいいのか、悩んでいる。一緒に考えていける人を大和塾の講師に迎えたいと思う。