友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

こんなこともあるのか

2015年11月20日 17時59分59秒 | Weblog

 こんなこともあるのか。昨夜、テレビで野球の世界大会の準決勝、韓国との試合を見てそう思った。7回まで、日本ハムの大谷投手が韓国打線を完全に抑えていた。5回に相手のミスもあって3点が入った。大谷投手はノーヒットにはならなかったが、剛速球でバッタバッタと三振を取り、誰もがこれで日本の決勝進出は間違いないと思ったはずだ。

 8回は楽天の則本投手に代わった。完璧ではなかったが、0点に抑えた。最後の9回も則本投手の登板だった。なぜ、目先を変えないのかと思っていたら、案の定打たれた。代わったのも楽天の松井投手だった。同じようなタイプの投手が続き、韓国打線は一気に火が付いた。土壇場で逆転され、万事休すとなった。

 小久保監督は「全て私の責任」と言う。その通りだろう。けれど、ここまで勝ち進み、「みんなで決勝戦へ行こう」と盛り上がっていた選手たちの落胆は大きいだろう。絶対はないし、これで大丈夫と思っていても、どこに落とし穴があるかは分からない。順調に来た人生もどこで狂うか誰も分からないが、現実は受け止める他ない。

 イギリスのサッカー球場で、イギリスとフランスの試合の前、イギリス人が一緒にフランス国歌を歌った。フランスとイギリスは百年間も戦争した国なのに、テロの犠牲者を追悼してフランス国歌を歌ったことは大きな一歩かも知れない。パリのテロの現場でも犠牲者を偲び、花が飾られ蝋燭が灯された時、自然とフランス国歌が歌われた。

 なんとなく心が一つになる、そんな時がある。野球の選手たちも勝った時は、そんな一体感を味合ったことだろう。負けた時、誰かを非難する気持ちになる。「お前のせいだ」と言いたくなる。けれど、もしそれを口にしたなら、一体感はたちまち崩れてしまう。テロで妻を亡くした夫は、「テロリストを憎まない。憎しみはテロリストの思う壺」と言うのである。

 こういうこともある。赦すことの大切さを自分のものにしたいと思う。

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