フランスの首都パリで13日の午後9時、ほぼ同時に相次ぐテロが行われ、129人が死亡、352人が負傷した。犯人グループは3つに分かれ、6か所で自爆あるいは銃撃を行ったようだ。過激派組織「イスラム国」は、「フランス政府が空爆を続ける限り平和ではいられない」と犯行声明を出した。オランド大統領は「イスラム国の犯行」と断定し、非常事態宣言を発令、「テロとの戦いに容赦はない」と決意を示した。
「イスラム国」への空爆が始まって1年以上になるのに、平和を実現する道は見えてこない。空爆という空からの爆弾攻撃に対して、飛行機のない「イスラム国」はテロで対抗するしか手段がない。空爆にしろテロにしろ、兵士でもない一般人が巻き添えを食らうのは避けられない。兵士同士でもなぜ殺し合っているのか分からないだろう。「イスラム国」の兵士は聖戦という大義があり、西側の兵士は暴走する過激派から平和を守るという大義がある。
「イスラム国」の兵士となる若者は、生きる場所がない、世間への不満が大きいようだ。パリでのテロにかかわった者に、シリアからの移民・難民もいるようだから、西側では「難民の救済がテロを生む」と言い出す人々も増えるだろう。民族主義や愛国主義の風潮が強まり、難民排斥運動が各地で高まるだろう。キリスト教国とイスラム教国という13世紀の十字軍遠征の時代に戻るだろうか。
十字軍遠征も単なる宗教戦争ではなかったように、「イスラム国」のテロとの戦いだけではない面もある。「戦い」を継続することで覇権を維持したい国もあるし、取って代わろうとする国もある。こういう国の民主主義を変えるにはどうしたらいいのか。憎しみの連鎖をどこでどう断ち切ったらよいのか。今朝の中日新聞に18歳のフランス人留学生の言葉が載っていた。「1月のテロで、フランスはすでに怒りと悲しみが渦巻いている。テロの連鎖を生まないためにも、国民に『報復を』というムードが広がってほしくない」。そう信じたい。