長女とその娘ふたりが来ると言うので、久しぶりにクリスマスの飾り付けをした。居間には電飾のクリスマスツリーを置いた。あの子たちが来て最初に見る玄関戸にリースをつるし、中に入った靴箱の上には花に代えてクリスマスの小物を花瓶に挿して飾った。また、正面にはポインセチアを置き、根元を真綿で覆ってサンタなどを飾った。
子どもたちが家を出てからは、クリスマスの飾り付けが面倒になり、リースだけであったり、ツリーだけであったりと、こんなに手間をかけることはなかった。やはり、誰かが来るとなるとクリスマスらしい飾り付けが無いと寂しい気がする。幸い、正月は3日に私の親族が集まっていたから、それなりに正月らしさを演出してきたが、近頃のクリスマスは手抜きになっていた。
私は中学・高校とキリスト教の教会に通っていたので、クリスマスは最も厳粛な行事だったが、家では何もしなかった。家でクリスマスらしいことをするようになったのは結婚してからだろう。当時のクリスマスらしいことはケーキを食べることくらいだった。街中に讃美歌が流れていた。オッチャンたちが三角帽を被り、酔っぱらって繁華街を危なっかしい足取りで歩いているのをよく見かけた。
教会に通っていた頃は、私も信者の仲間入りをして、讃美歌を歌って街中を歩いた。とても清々しい気持ちであり、神を讃えている誇りのようなものを感じていた。ベトナム戦争が無ければ、牧師の勧めに従って、私は牧師の道を進んだかも知れない。アメリカ人牧師に「なぜ、アメリカはベトナム人を殺すのか、神はどうしてそれを許すのか」と聞くが答えてくれなかった。
世界各地で今も戦争が起きるのに、なぜ神は中止できないのだろう。どうして飢えと貧困が無くならないのか、真面目に働いているのに働きもしない大金持ちの何千万分の1の収入しか得られないのか。神は、あなたの手で作られた人間の現実をどう見ているのだろう。クリスマスの意義を取り換えてしまった人類を悲しんでみえるのだろうか。