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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

イヴの夢は儚い

2017年12月24日 17時28分08秒 | Weblog

  「クリスマスなんて嫌いだ。なんでよその宗教のお祝いをするのか、私には理解できない。7日後に食べる年越しそばの方が大事な行事だ」と怒っていた人がいた。キリスト教を信じていないのに、教会に行ったことも無いのに、キリストの誕生を祝う気持ちにはならないという訳だ。しかし、こういう「愛国」的な人は少ないだろう。

 キリスト教が日本に伝えられたのは戦国時代。「神は身分に関係なくすべての人を等しく愛される」とでも説教していたはずだ。生活が厳しかったから、人々は信じることで生きる喜びを得たのだろう。仏教は各々の「悟り」を求めたが、キリスト教では聞いたこともない「愛」が語られた。明治以降は西洋化とともにキリスト教は人々の中に入り込み、戦後はクリスマスが人々の生活の中に定着していった。

 「よその宗教」であろうと、何でもこだわらずに受け入れるのは日本人の長所だ。冷たい水の中に入って修行するわけでもない。讃美歌が神を讃える歌であろうと構わない。それで楽しいひと時を迎えられるなら理屈などいらない。お母さんたちは子どもに、「いい子にしていれば必ずサンタさんがプレゼントを持って来てくれる」と言い聞かせている。

 ひとりの老人のところに天使がやって来て、「あなたの望みは何でもかなえてあげる」と言う。老人はうれしくなって、「どうか、あなたのすべすべした肌に触わり、プリンプリンのお尻にキスさせてください」と言った。天使は驚いて、「なんて助平な爺なの。あなたには罰しか与えない」と怒って行ってしまった。

 老人ががっかりしていると別の天使がやって来て、「あなたが悪いわけではないわ。あの子は若すぎて何も知らないの。代わりに私のお乳を吸わせてあげる」と言い、着ていた天使の白衣を脱いで乳房を差し出した。老人は喜び、ゆっくりお乳を吸い始めた。その時、目覚まし時計が鳴り、「何寝ぼけているの。だらしない口してるわよ」と声が響いた。現実はやっぱり厳しい。

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