午前中に年賀状を書き上げ、郵便局に出かけた。駐車場はいっぱいで、職員の人が駐車の整理していた。郵便局に入ると、市の国際交流協会の女性職員に出会った。「お世話になりました。来年もよろしくお願いします」と挨拶され、「こちらこそ。よいお年を」と返す。昨夜、小2の孫娘を我が家で預かった時、あの子は盛んに「よいお年を」と繰り返していたが、「そうか、お正月はもうすぐなのだ」と実感する。
小2の孫娘を迎えに行った時、「ガスボンベを買ってきて」とメールを受け、途中のスパーに寄った。ちょうどそこに、刃物研ぎ屋さんが店を出していた。私の街にも昔は2軒の研ぎ屋さんがあったが、今はどちらも締まっている。正月に来る姪っ子のダンナはいつも蟹をさばいてくれるが、出刃包丁の刃がボロボロになっているがとても気になっていた。関の刃物センターまで行こうかとまで思っていたので、これは絶好の機会だと思って出かけて行った。
園芸売り場に立派なパンジーが並べてあった。チューリップは植え込んだが、パンジーのために11鉢残してあり、年内には買ってきたいと思っていたので、少々高かったがパンジーも買った。料理は2日にするとしても、重い酒類は買っておこうと酒屋にも寄り、ビールと日本酒を買った。スーパーも酒屋も郵便局も、どこも混んでいた。カミさんが「この車のお守りなんか、ぜんぜん痛んでいないから来年だって使えるのにね」と不謹慎なことを口にする。
日本人は正月を大事にしてきた。特別に贅沢をするわけではない(もちろん贅沢をする人はいるが)、新しいものに代えることで1年の穢れを落としてきた。ささやかでも新しくすることで、幸せを呼び込もうとしてきた。現代人は、信仰ではなく行事としてそれを受け継いでいる。元旦に見る太陽が清々しいのは(昨日と変わらないのに)、そう思って見るからだろう。私はそうした日本人の風習は尊い気がする。