年賀状が刷りあがってきたので、早速、「筆まめ」で宛名の印刷をする。宛名も手書きでするのが誠意かも知れないが、勘弁してもらっている。その代わり、裏面は手書きにしている。裏面のイラストはこの1年の唯一の私の作品である。隣の部屋に居た長女たちが出て行ったので、ここをアトリエにして絵を描くつもりでいたが、いまだに出来ていない。アトリエが出来たとしても、さて何をどう描くか、きっと悩むことだろう。
宛先を見ながら裏面に言葉を書き始めてみた。1枚書ければ後も続きやすいが、言葉が出てこないと休憩になってしまう。それに書き始めてみると、焦点が合わない。普段はメガネをとれば、近くはよく見えるのに、メガネをかけても外しても、どうも見にくい。書いているとすぐ疲れてくる。目がきれいに見えないと書く文字も形が悪い。手に力が入ってしまうのか、長く書き続けられない。
やっぱり歳には勝てない。まあ、ボチボチやって行こう。お昼のテレビはどの局も大相撲の問題で私は食傷気味だ。暴力現場に居ながら止められなかった白鵬や鶴竜が、減俸されるのは仕方ない。暴力を振るった日馬富士に引退勧告も、師匠の伊勢ケ浜親方が理事から退くのも当然だろう。それでもきっと、このままでは終わらない気がする。相撲が神事であるなら、興行は止めたらいい。
歌舞伎も相撲も神社や寺院の境内で行われ、次第に形が整えられてきた。伝統芸能はそういうものだろう。それが儲かるとなると、変質するのも仕方ないことだ。大相撲がどれだけ収入があって、どのように配分されるのか知らないが、親方衆は皆いい車に乗っているから取り分も多いのだろう。力士会(代表は白鵬)が、「土日を休みにして欲しい」と提案すれば、「まるで労働組合だ」と言う評論家がいたが、きっとそういう時代になるだろう。時を重ねることは変質することなのだから。