テレビドラマ『民衆の敵』、最終回を観た。女性が主役を演じたドラマが全て最終回を迎えた。米倉涼子さんの『ドクターX』、井上真央さんの『明日の約束』、そして篠原涼子さんの『民衆の敵』だ。『明日の約束』は学校でのいじめを扱いながら、親子の溝にも迫る秀作だった。『民衆の敵』はいったい何がテーマなのかと思っていたが、見事に重い現実を突きつけられた。
一般的な常識に欠ける若い母親が、報酬がよいからと市議に立候補し当選する。私の経験ではありえない話だ。市議となった篠原さんは「市民の声」を丹念に集めて、議会に反映させていく。そこは立派だが、現実の議員の世界はそんなに甘くない。「出る杭は打たれる」。議員の控室も、議員同士のやり取りも、あんなにフレンドリーではなく、もっと陰湿だ。市の将来を見据えての論議というより、ライバルを蹴落とすことに皆必死だ。
議会としてはかなり虚構だと思うが、篠原さんと高橋さんのやり取りは面白かった。市民の声をどう実現していくかでふたりは真っ向から対立する。そもそも「市民の声」とは何かが問われる。当たり前だと思われる政策であっても、そこにはプラスとマイナスがある。ドラマでは産業廃棄物処理場を建設するか否かが問題であったが、高齢者福祉を実現しようとすると子どもの福祉まで予算が回らない、そうなるとどうするかということになる。
「多数を守るためには少数を切り捨てることも必要」。「多数はそれでいいが、少数はどうするの」。「愚かな民衆を導くためには、民衆に全てを伝えない方がスムーズにいく」。「それは民衆をバカにした政策だ」。「一人のために多数を犠牲にするのはおかしいでしょう」。「一人を大切にしない政治はダメ」。「理想に近づくためには多少の犠牲は仕方ないでしょう」。こんなやり取りが続く。
そして、「民衆の敵は、市民の無関心」と言い、「世の中を変えるのは、あなたです」と指摘する。代議員制度を補完するものとして、住民自らが議論し合う場を設けていく。私も議会制民主主義が究極の民主主義とは思えない。今、その変化に期待したい。